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雁屋哲の見た真実

2014年05月11日 | 日常
人気漫画「美味しんぼ」で福島県を訪れた主人公が鼻血を出す描写が問題になっている。

原作者の雁屋哲氏は2年かけて実際に福島を取材し、そこで得た真実をありのままに書いたという。
それに対して、風評被害が生じる、差別を助長させる、など、多くの苦情が寄せられている。

原作の雁屋氏は、正式な反論は最後の回までお待ちください、としているものの、とりあえずこう書いている。

(5月4日の「雁屋哲の今日もまた」より)

私は自分が福島を2年かけて取材をして、しっかりとすくい取った真実をありのままに書くことがどうして批判されなければならないのか分からない。

そして、美味しんぼが気に入らないのなら、自分たちに都合のいい、自分たちにとって心地よい読み物を読んでください、という。

おそらく雁屋氏の書いていることは真実だろう。
嘘は書いていないと思う。
ただ、事実を書いたからといって、読者に真実が伝わるとは限らない。

僕は彼のウェブサイト「雁屋哲の今日もまた」を以前から愛読している。
それでこの人は、反原発、反天皇制、憲法改正反対、戦後賠償はきちんとしろ、という考えだということがわかった。
ただ彼は、原発は悪という、認知バイアスがかかった状態で取材を行っていると思う。
だから、これを読んだ人は「やはり原発は危険なんだな」と感じるようになっている。
なんだかんだ言って、雁屋氏も、自分に都合のいい事実のみを選別して使っているのではないだろうか。
あるいは、最初から自分の欲しい答えが聞ける人を選んで取材しているのかもしれない。
実際、漫画の舞台となった福島県双葉町では、役場への取材はなかったという。
役場のような公の場では、期待する回答は得られないと判断したのだろう。

雁屋氏は昨年の2月14日に、福島取材での自分がどう思ったかについて表明するのはやめたと書いている。
理由は、
「反原発であるとか、原発推進であるとか、そのようなことを漫画の中で言うのは止めた。
そのような、一つの意見で漫画全体に色を付けてしまうと、なにやら、宣伝パンフレットみたいになってしまう恐れがある。
一つの考えを読者に押しつけるのも嫌だ。」

ということだ。
そして
「私が見てきた福島の真実を、その真実の姿だけを書く」
その結果が、今の“美味しんぼ騒動”なのだ。

とりあえず美味しんぼの福島編が終了して、雁屋氏の反論を待つことにしよう。
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増税もまた楽しからずや

2014年05月10日 | 日常
4月23日の日経新聞に掲載されたトヨタの広告が波紋を呼んでいる。

少し読みにくいがこちら


ここから問題の前半部分を抜粋してみよう。

消費税が8パーセントに上がった。家計のやりくりは大変だが、これを機会に生活を見渡せば、ムダはいくつも見つかるはず。不要なものを買っていないか。水光熱費はもっと節約出来るのではないか。
例えばもやしのような安価な食材も、工夫次第では立派な主菜になる。節約は実は生活を豊かにするのだと気づけば、増税もまた楽しからずやだ。
こうしたムダのチェックは企業の現場では当たり前のこと。
(抜粋おわり)



要するに、
「家庭にはまだまだムダが溢れている。増税の文句言う前に、ムダを削減せよ。そんなの会社じゃ当たり前ですよ」
ということだ。

節約は生活を豊かにする、だから増税もまた楽し、だなんて、プラス思考というより、ブラック企業のよくあるポエムだ。
「カイゼンして合理化するきっかけを与えてくれたのは増税。
これでまた成長することが出来たよ、増税ありがとう!」
こういうのにウンザリするのは僕だけじゃないだろう。

本当に「増税ありがとう」なのは、庶民ではなく、トヨタのような輸出でメシを食ってる大企業だと言われる。
それは輸出戻し税の存在だ。
消費税が上がれば上がるほど、税金が返ってきて、その金額は数千億円になるという。

賃金格差、非正規雇用、ワーキングプア、貧困の連鎖、こういった社会問題に対し、トヨタは無関係ではないはずだ。
なのに、まるで“貧乏人はモヤシを食え”と言わんばかりの広告は、庶民感情を逆なでしている。

これが海外だったら、不買運動デモになりそうだ。
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「あらためて教養とは」とは?

2014年05月04日 | 読書
知人の勧めで、村上陽一郎著書「あらためて教養とは」を読んだ。



内容をものすごく簡単に書くと

「教養はモラル。昔の人は教養が深かった。戦後の民主教育で教養が失われた。今の若いもんはなっとらん」

ということだ。

難を言えば、かなり長々とヨーロッパや日本での、教養の成り立ちや歴史が書かれていること。
そういう知識も教養の一つかもしれないが、僕としてはモラルとしての教養にもっとページを割いてほしかった気がする。

それと、戦後日本人の道徳心は民主化によって失われた、と書かれているが、本当にそうなのだろうか?
僕はかなり疑問に思っている。

この本の終わりの方に“教養のためにしてはならない百箇条”というのがある。

然もありなん、と頷くことから、ん?と立ち止まって意味を考えるもの、それは細かすぎでは?と思うものまでいろいろだが、勉強にはなったと思う。
この章を読むだけでも、この本を読んだ甲斐があった。

“教養のためにしてはならない百箇条”より
なるほどと納得した事柄

・「正しい」こととそうでないこととをはっきり区別はするが、自分が正しいという主張を第一にはしない
・「美しいもの」とそうでないものとをはっきり区別はするが、その判断を他人に強制はしない
・「優れたもの」とそうでないものとをはっきり区別はするが、それだけで対象を裁かない
・物事を一面だけから考えない
・自分の義務と権利を秤にかけて、権利に先に錘を乗せない

百箇条のうち、これらは哲学的な内容だが、もっと具体的なのもある。

・略語、たとえば「冬のソナタ」を「冬ソナ」というが如き、を使わない
・「ホーフマンスタル」を「ホフマンシュタール」とは言わない、書かない
・よその業界用語を使わない、寿司屋で「ゲソ」だの「ギョク」だの言うのを含めて
・スープを音を立ててすすらない、音を立ててすすった人を睨まない
・他人の前で自己陶酔しない
・相手の退路を断たない、駄目押しをしない

他にも、今後僕が気をつけなければならないものや、疑問に感じるものなどたくさんある。
それらについては、また別の機会に紹介しよう。
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ジューダス・プリースト「エキサイター」

2014年05月03日 | 音楽
ギター名曲シリーズ第8段

アーティスト:ジューダス・プリースト
ギタリスト:グレン・ティプトン、KK・ダウニング
アルバム:ステンドクラス
発表年:1978年


ヘビメタバンドのジューダス・プリーストは、デビュー当時からヘビメタだったわけではない。
まだ、自分たちの進む道を模索していた頃は、ハード・ロック、プログレ、グラムが微妙に混ざりあったようなロックをやっていた。
1978年発表のアルバム「ステンド・クラス」にて、ようやく従来のハード・ロックをさらに激しく進化させた道を見出す。
そんな進化を象徴しているのが、1曲目の「エキサイター」だ。

まず特筆すべきなのは、テンポの速さだ。

それまでの主なバンドのアップテンポの曲を、BPM(メトロノームが1分間に刻む数の単位)で見てみよう。

・レッド・ツェッペリン「ロックンロール」=168BPM

・ディープ・パープル「ハイウェイスター」=176BPM

・ブラック・サバス「パラノイド」=184BPM

それに対して「エキサイター」は220BPMというブッチギリの速さだ。
これはもうスラッシュメタルのスピードである。
今でこそ、これより速い曲はいくらでもあるが、1978年当時としては異様なスピードだったと思う。

さらにこの曲がメタルなのは、ギターのバッキングだ。
低音弦のルート音をオルタネイトピッキング(ダウンとアップの繰り返し)にて、8部音符でズクズク刻む。
テンポが速いのと、歪の強い音色なので、16部音符で刻んでいるように聴こえる。
そしてドラムパターンも斬新だ。
ツインバスドラムを8分音符で連打しているのだが、70年代でこれをやっている曲は少ない。

ギターソロは2回。
1回目はグレン・ティプトンによる速弾き主体のソロ、2回目はツインリードのハーモニーでメロディアスなものだ。

この曲は、1978年発表でありながら、すでに80年代に通ずるものがある。
しかし、当時のレコーディング技術では、そのポテンシャルを発揮しているとは言い難い。
そこで、是非聴いていただきたいのは、日本公演のライブ盤「イン・ジ・イースト」のバージョンだ。
これを聴くと、もうスタジオ版は聴けないほど、アグレッシブでカッコいい。
(それでもまだ100パーセントとは言えないが)

Judas Priest - Exciter(スタジオ版)
Judas Priest - Exciter(ライブ版)



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