風・感じるままに

身の回りの出来事と生いたちを綴っています。

生い立ちの景色⑤ イナゴと鶏

2008-09-08 | 生い立ちの景色
1951年10月。5歳の秋。

朝夕めっきり涼しくなり、今朝は稲穂に朝露が光っていた。
田んぼへの水入れも終わり、おっ母は稲刈りまでの最後の畦草刈りに精を出している。

今年も台風はいくつか来たが稲を倒すほどでもなかった。おっ父は、「このまま行ってくれれば豊作になる」と言っている。

この季節になると、俺も日課が一つ増え忙しくなる。遊んでいても日が暮れる前にはサイダーの空き瓶を持ってイナゴ捕りに行かなければならない。

田んぼの畦をゆっくり歩くとイナゴがあっちこっちと飛び交う。これをさっと素手で掴み瓶に入れていくのだ。2、30分もすれば瓶の中はイナゴで満杯。

持ち帰ったら瓶の蓋を外し、それを鶏小屋の中に放り投げる。イナゴが一匹づつ出てきてぴょんぴょん飛び回ると、10羽ほどが奪い合うようにして食う。俺はその様を最後の一匹になるまで眺めている。

食い終わると水桶に順番に頭を突っ込んでは口ばしを上に向けて水を飲む。俺はこれを見届けてから、小屋の入り口の扉を開いてやる。
羽を広げ飛ぶようにして家の前の堤防に走って行く。今度は足と口ばしで草の根元などを堀ってミミズを探すのだ。

俺はその間に小屋に入って藁を敷いたみかん箱から今日産み落としたタマゴを取り出す。タマゴは台所の水屋の籾殻を敷いた引き出しにそーと並べる。今日は4個だった。

日が暮れかかると鶏は三々五々に寝ぐらにしている納屋に勝手に帰ってきて、順番に止り木に乗る。
俺は1、2…と数え全部帰ってきていることを確かめてから、納屋の入り口の木戸を閉めた。

「明日もタマゴをぎょうさん産んでくれよ」と言いながら。