風・感じるままに

身の回りの出来事と生いたちを綴っています。

小学校の同窓会

2012-11-19 | 日常
           入学式の写真・最後列右から2人目が私です(あまり面影がない?)

三年ぶりの同窓会で、先生1人と生徒16人(男が5人、女が11人)が集まった。
幹事が挨拶の中で、前回の同窓会(三年前)からの間にSとOが亡くなったことが報告された。黙とう。
これで、卒業時46人(男20人、女24人)のなかで、男6人、女2人の8人が亡くなったことになる。残念だ。
担任していただいた4人の先生方も、すでに2人が亡くなっている。

 
写真左:学芸会の写真(5年生) 右:入学時の校舎全景  ※クリックすると大きくなります。

会は12時に始まったのだが、幹事の計らいで時間無制限?だというので、終り時間を気にせず、思いっきり昔に返ることができた。
女性が多かったこともあり、終始男性は押されっぱなし?だった。みんな、子供の頃に返って、○○ちゃんと呼び合うおしゃべりのなんと懐かしく楽しいことか。
記念の写真を撮り、〝みんな元気で〟と言い合って店を出たのは4時半。

その後、6人はふみちゃんの姉さんがやっている店(スナック)に行った。ふみちゃんとともちゃんが「今日は旦那が旅行でいないので、何時になってもいいよ」という。
ほぼ、貸切状態の店で夜遅くまで歌って踊っての二次会がまた楽しかった。

次回の幹事を任された。今日、来れなかった人も、今日来た人も、みんな元気で次回に会えることを楽しみにしています。

懐かしい風景

2012-11-19 | 日常
     写真は1958年当時の校舎全景・後ろの黒瓦屋根が旧工兵隊隊舎の校舎です(高槻市立第一中学校HPより)
              

久しぶりに、通っていた中学校辺りを自転車でぶらっとしてきた。
卒業後、学校周辺の道を車では何度か通ったことがあったが、ゆっくりと見ることはなかった。

家からは、歩いたら1時間近くかかる道を、雨が降ろううが何があろうが、毎日々自転車の通学だった。
その、通学した道も広く綺麗になっていたり、家が建て替えらるなど、学校周辺の街並みも随分変わっていた。

学校があった辺りは、昔、高槻城があり、ここから北、現在のJR高槻駅辺りまでが城下町だったところ。
戦争中は、高槻連隊が駐屯していて、隊舎や訓練場があり、1947年にこの隊舎をそのまま校舎にして開校された。建物は、頑丈な木造二階建てで、床には油が敷いてあった。一年生、二年生の時は、その校舎で、三年になって新しい校舎に移った。
※上の写真、後方の黒い瓦屋根が隊舎だった建物で、手前の校舎と左の講堂は新しく建てられたもの。

ゆっくりと走ってみると、少なくはなってしまったが、古い家屋などに当時の城下町の雰囲気が残っていて懐かしさに浸った。

      

学校のホームページから校歌を紹介します。歌詞もメロディーもまったく覚えていませんでした。ただ、「真白にかおるカラタチの」の歌詞については、裏門辺りの堀跡土手の垣根にカラタチが植えてあって、春には白い花を咲かせ、晩秋には黄色い実をつけていたをよく覚えています。

【高槻市立第一中学校校歌】
1.緑色こき城跡や
  真白にかおるカラタチの
  花と競わんわがはげみ
  古きをたずね豊かなる
  明日の実りを胸に秘め
  希望新たに意気たかし

2.流れてつきぬ大淀や
  紅顔燃ゆる北摂の
  嵐に強きわが五体
  全校自治の鐘の音に
  青史を飾る共学の
  誇りぞ高きわが母校