山里ひぐらしの小径

木曽路の入り口、岐阜県中津川市から
人と自然とのかかわりをテーマに、山里、植物、離島など。

漆器のお膳と、お膳を貸してくれる岩や淵の話

2021-07-28 | 山里

毎週行なっているオンライン山里勉強会。昨日の「各地の聞き書きを読む」で、2011年発行の「長野県木祖村の聞き書き」から、木曽漆器の製作・販売をしていた人の話を読んだ。

その方は初め漆器の産地である木曽の平沢(木祖村の近く)で漆器を作っておられたが、その後、作った漆器の販売に全国を回るようになった。鹿児島、新潟、伊勢などの旅館に行くと、お膳の注文をたくさん取ることができたのである。昭和40、50年代の話。

漆器なんて今の生活ではほとんど使わなくなっている。お重も、日常使っているのはウレタン塗装の気軽なもの。手入れにもあまり気を使わなくていいし、値段も高くないからあまりドキドキしないし。店先に並んでいるのもそういうのが主力だと思う。そのお重すらあまり使わずに、プラスティックの密閉容器を使ったりしている。

お重は、昔は、たくさん作ったおはぎを隣近所に配ったりするにも使った(らしい)し、お祭りだといえばお重にごちそうを詰めて持って行ったりした(らしい)ので、漆塗りのお重もよく使われていた。今はプラスティックの使い捨てパックに入れるし、お祭りでは仕出し屋や大手スーパーからオードブルを取る。

話を戻すと、当時の漆器の主力商品はお膳であり、昭和40、50年代頃は旅行ブームで全国各地の旅館で大量のお膳のニーズがあったということだ。

また、昔は家で結婚式や葬式をしていたので、そのとき何十客というお膳が必要だった。足りないときは組(自治会の一単位)で貸してもらったりしていた。けれども、近所の淵や岩で貸してくれる場合もあるのだ。

結構全国各地に膳貸し岩、膳貸し淵の昔話がある。うちの母の実家の方(愛知県の海ぎわ)では岩があって、その岩に「お膳5客貸してください」と頼むと、翌日岩の前にお膳が置いてあるというのである。愛知県の奥三河(山間部)では川の淵が貸してくれるらしい。頼んだ個数のお膳が淵に浮かびあがるというのだ。そんなのどうやって拾うのか。結構命がけである。

それらの話には、「お膳を返さなかった人があって、それ以後、貸してもらえなくなった」というオチがついている。そのオチがつくと途端に話が説教くさくなって面白さが半減する。というか、夢がなくなるなあ。

 

お膳の話では、「負けず嫌いだったのでお膳は借りないで全部買ってそろえた」という人もあり、お膳を借りると負けた気がする人、というのに笑えてきたりする。いるかもなあ、そういう人。

 

写真は話と関係ありません。

夕焼けの山里動画(静止画ですが)

OGPイメージ

やわらかなバラ色の夕焼けにヒグラシ 夏の夕暮れ

#sunset #Evening #cicada 撮影地 Japan 中部地方 7月下旬 20210726 Thanks for♪BGM ...

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