市川三郷町市川大門の上地区というところに摩利支天社があります。
毎年8月の最終土曜日に通称「摩利支天さん」と呼ぶお祭りがあって賑わいます。
お祭りに行くことはあっても、肝腎の社を見ることはめったにないので、日曜日の朝早起きをして出かけて行きました。
南線通りの東の端から細い道を数十メートル上がったところに摩利支天社はひっそりと建っていました。
近所の方にうかがうと、社を守っている人がいないので、周りの組(自治会)で修繕をしたり整備をしたりしているのだとか。

摩利支天はインドの戦いの神様ですが、全国に数多(あまた)ある摩利支天社の多くは明治から大正にかけての神社合祀令や戦後のマッカーサーの神道指令などにより取り壊されるか、他の神を合祀して形が変わってしまいましたが、ここ市川大門の摩利支天社は摩利支天だけをまつった数少ない純粋な社なのだそうです。

社の中に祀られている摩利支天の像は馬ではなくイノシシの上にまたがっているということで(私は確認できませんでしたが)、ずいぶん古いものなのは確かなようですね。
きれいに整備された社からは、地元の方々が大事に守ってきた様子がうかがえました。
摩利支天社のあるあたりは市川大門地区でも一番東側にあたり、ちょっと歩くと芦川のほとりに出ます。

せっかくなので、そこでも何枚か写真を撮ってきました(ただいま鋭意、カメラの練習中)。

芦川にかかる芦川橋を走る身延線の車両。

芦川のせせらぎに遊ぶ鳥、セグロセキレイでしょうか(ピントはイマイチ)。
毎年8月の最終土曜日に通称「摩利支天さん」と呼ぶお祭りがあって賑わいます。
お祭りに行くことはあっても、肝腎の社を見ることはめったにないので、日曜日の朝早起きをして出かけて行きました。
南線通りの東の端から細い道を数十メートル上がったところに摩利支天社はひっそりと建っていました。
近所の方にうかがうと、社を守っている人がいないので、周りの組(自治会)で修繕をしたり整備をしたりしているのだとか。

摩利支天はインドの戦いの神様ですが、全国に数多(あまた)ある摩利支天社の多くは明治から大正にかけての神社合祀令や戦後のマッカーサーの神道指令などにより取り壊されるか、他の神を合祀して形が変わってしまいましたが、ここ市川大門の摩利支天社は摩利支天だけをまつった数少ない純粋な社なのだそうです。

社の中に祀られている摩利支天の像は馬ではなくイノシシの上にまたがっているということで(私は確認できませんでしたが)、ずいぶん古いものなのは確かなようですね。
きれいに整備された社からは、地元の方々が大事に守ってきた様子がうかがえました。
摩利支天社のあるあたりは市川大門地区でも一番東側にあたり、ちょっと歩くと芦川のほとりに出ます。

せっかくなので、そこでも何枚か写真を撮ってきました(ただいま鋭意、カメラの練習中)。

芦川にかかる芦川橋を走る身延線の車両。

芦川のせせらぎに遊ぶ鳥、セグロセキレイでしょうか(ピントはイマイチ)。