五十の手習い足払い

五十歳を過ぎて始めたブログももう何年目?
山梨に住む新しモノ好きのオヤジが自分の趣味や日々の暮らしをつづります。

1998年のLMP1

2014年06月19日 | ミニカー
今回は1998年のル・マン24時間レースに参戦したポルシェLMP1を取り上げます。

この年は、ポルシェのワークスチームがポルシェ911GT1を擁してル・マンで総合優勝を果たした最後の年(2014年時点)となるのですが、同じ年ヨースト・チームが2台のポルシェLMP1をエントリーさせています。

1996年、1997年と二年連続してル・マンを制したヨースト・チームですが、1998年は911GT1に力負けし、三連覇はなりませんでした。
そのせいか、華々しくワン・ツー・フィニッシュを飾った911G1の影に隠れて地味目なLMP1ですが、プロトタイプ・カー大好き人間の私としては放っておけず、表彰台を獲得できなかったにもかかわらず2台とも揃えてしまいました。

LMP1は2台エントリーされ、カーナンバー7には前年度優勝者のミハエル・アルボレートとステファン・ヨハンソン、それからヤニック・ダルマスの3選手が登録されていました。いわばこちらが本命マシンで予選9位。

F1ドライバーとして有名なイタリア人のアルボレート選手はティレルとフェラーリで5度の優勝を果たしています。残念ながら2001年にアウディの練習中に事故死してしまいました。

日本で開催されたF2など多くのレースに参加して知名度の高いヨハンソン選手(ヨコハマタイヤのCMにも出たことがあるとか)は、シャドウ、トールマン、リジェ、ティレルなど多くのF1マシンをドライブし、フェラーリ時代はチームメイトだったこともあります。しかし、それぞれのマシンの戦闘力に恵まれず、2位4回、3位8回にとどまりました。ル・マンではポルシェの他マツダのクルマにも乗っています。

またダルマス選手はF1の経歴こそ2レースしかありませんが、ル・マンではプジョー905で1991年に、ダウアーポルシェで1994年に、そして1995年には関谷正徳選手とともにマクラーレンF1-GTRで優勝しています。



一方の8号車にはジェームズ・ウィーバー、ピエール・アンリ・ラファエル、デヴィッド・マリーの3選手がドライブし予選20位。7号車のドライバーに比べて知名度は落ちるとはいえ(私だけ?)、例えばウィーバー選手はマツダや日産のマシンに乗ってル・マンに参戦していますし、1985年にはポルシェ956(キヤノン・ポルシェ)を駆って総合2位に入っています。

またフランス人のラファエル選手はマクラーレンF1-GTRで多くのレースにも出ており、1992年のル・マンにはトヨタTS010で総合2位に入っています。私が何年も探している1987年総合3位のクーガーC20というクルマをドライブしていた人でもあります。

ついでに言っちゃうと、米国人のマリー選手はポルシェのツーリング・カーレースが主体のようで米国内のレースに数多く出場しています。

決勝レースでは、7号車が107周で、8号車が218周でそれぞれリタイヤしてしまい、良い成績を収めることができませんでした。
マシンをご覧になればお分かりの通り、こちらのLMP1もモービル石油のサポートを受けており、ポルシェ911GT1とほぼ同じカラーリングとなっています。、

ヨーストはこの年を持ってポルシェと別れ(喧嘩別れしたわけではないようですが)、同じフォルクス・ワーゲン・グループのアウディと契約し、翌1999年からR8R、R8Cで参戦します(R8Rが総合3位)。
そして、2000年から今に続くアウディの黄金期を築くのです。

が、ヨースト・チームの活躍についてはまた別の機会に年代を追ってまとめることにしましょう。

一方のポルシェは1998年をもってル・マンから撤退し、今年久しぶりの参戦を果たしました。
総合優勝はアウディに阻まれたとはいえ、レース終盤に首位を走るなど今後に可能性に期待を持たせる走りを見せました。
来年のル・マンが今から楽しみではあります。

※モデルはトロフュー製、1/43スケール。

トロフュー製のミニカーはケースの形状が独特(というか大きい)なので、狭い陳列棚を占有してしまう困りものです。

コメント
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