ちょっと前に読んだことでふと思い出したことがあります。
それは「やさしい表現」について。日本語を習い始めた海外出身の方や、小さな子ども、そしてハンディキャップを持った方でも読めたり聞けたりしようというもの。これは日本語だけでなく、英語でも語彙数を減らした表現にしようという動きがあるそうです。
そういう動きも悪くはないかもしれません。母国語以外を勉強している時はありがたいとさえ思うでしょう。でも、それでは細かいニュアンスまで伝わらなくなってしまうのではと思います。単に「すごい」とか「おいしい」だけでは表現が乏しいです。
たとえば日本語には美しい四字熟語や諺がたくさんあります。「やおら」とか「艶やか」など副詞や形容詞は勿論、「萌葱色」とか「鴇色」など日本独自の色の名前の数も夥しいほどあります。それが「やさしい表現」で使われなくなるのは寂しい気がします。
決して「やさしい表現」を否定しているわけではありません。ただ、語彙を増やすのも、様々な表現ができて楽しいと思います。
それは「やさしい表現」について。日本語を習い始めた海外出身の方や、小さな子ども、そしてハンディキャップを持った方でも読めたり聞けたりしようというもの。これは日本語だけでなく、英語でも語彙数を減らした表現にしようという動きがあるそうです。
そういう動きも悪くはないかもしれません。母国語以外を勉強している時はありがたいとさえ思うでしょう。でも、それでは細かいニュアンスまで伝わらなくなってしまうのではと思います。単に「すごい」とか「おいしい」だけでは表現が乏しいです。
たとえば日本語には美しい四字熟語や諺がたくさんあります。「やおら」とか「艶やか」など副詞や形容詞は勿論、「萌葱色」とか「鴇色」など日本独自の色の名前の数も夥しいほどあります。それが「やさしい表現」で使われなくなるのは寂しい気がします。
決して「やさしい表現」を否定しているわけではありません。ただ、語彙を増やすのも、様々な表現ができて楽しいと思います。