図書館から借りた『「空気」と「世間」』を読了。
先日読んだ『「空気」を読んでも従わない』の大人版のような内容。重なる内容があったし、他の本の引用がやけに多かった印象でした。
「世間」よりはもう少しふわっと浮いている「空気」ってどこへ行ってもあると思います。特に中学時代は「世間」まで行かなくてもあることに従わなければ仲間外れにされるという「空気」はありました。職場でもそんな雰囲気のところもありました。
修学旅行や学年集会など、「連帯責任」を強要されそうになったけれど、それが全く理解できませんでした。もし違反などしたら張本人だけを裁けばいい話であって、関係ない人まで巻き込むのはどうも許せませんでした。
海外の方の「どうして日本人はベビーカーを押す親を手伝わないのか」という言い分にはちょっと意外でした。う~ん、もちろん手伝う人もいるでしょうが、多数派にとっては見知らぬ人は「世間の外」なのでしょうね。一見すると日本人は親切に思えますが、それは「世間内」だけの話なのでしょうか。家の周りでは捨てないでしょうに道ばたに平気でゴミを捨てる人がいるけれど、それも「世間」と関係しているのかもしれません。
「世間」と全く付き合わないのはほぼ不可避ですし、学校や職場以外にサークルや趣味の世界に入るなど、1つの「世間」だけに拘らないのがいいのでしょうか。
先日読んだ『「空気」を読んでも従わない』の大人版のような内容。重なる内容があったし、他の本の引用がやけに多かった印象でした。
「世間」よりはもう少しふわっと浮いている「空気」ってどこへ行ってもあると思います。特に中学時代は「世間」まで行かなくてもあることに従わなければ仲間外れにされるという「空気」はありました。職場でもそんな雰囲気のところもありました。
修学旅行や学年集会など、「連帯責任」を強要されそうになったけれど、それが全く理解できませんでした。もし違反などしたら張本人だけを裁けばいい話であって、関係ない人まで巻き込むのはどうも許せませんでした。
海外の方の「どうして日本人はベビーカーを押す親を手伝わないのか」という言い分にはちょっと意外でした。う~ん、もちろん手伝う人もいるでしょうが、多数派にとっては見知らぬ人は「世間の外」なのでしょうね。一見すると日本人は親切に思えますが、それは「世間内」だけの話なのでしょうか。家の周りでは捨てないでしょうに道ばたに平気でゴミを捨てる人がいるけれど、それも「世間」と関係しているのかもしれません。
「世間」と全く付き合わないのはほぼ不可避ですし、学校や職場以外にサークルや趣味の世界に入るなど、1つの「世間」だけに拘らないのがいいのでしょうか。