伝えたんく

日々の何気ないできごとに感じた幸せ

5月1日って

2016-05-01 23:03:30 | 言いたんく

いろいろんな日が設定されている。

有名なのはメーデーだろう。

さて、2006年に50年目を迎えて制定された記念日がある。

1956年5月1日に熊本県水俣市の保健所へ「原因不明の奇病」の報告があった。

これを「水俣病啓発の日」と制定した。

日本初の環境汚染(メチル水銀)による食物連鎖の絡んだ人類初の公害病の発生地が熊本県水俣だった。

チッソ水俣工場は1932年から1958年まで排水路を経由して水俣湾に廃水を流した。それが八代海に注がれる原因を作った。

当時のチッソ水俣工場の地図がwikiにあったので、googlemapと重ねてみた。


 


百間港は埋め立てられて、現在の水俣広域公園の一部になっている。 (黄色い部分は当時の土地)


 熊本県で一番被害のひどかった地域がこの周辺である。

認定患者数は約3000人に及ぶ。

鹿児島を旅行し熊本に移動する時に水俣市の隣にある出水市に寄った。

本当は水俣市に寄りたかったのだが、県境の辺りだったので適当だった。

海の様子を見たかったからである。


 


水俣湾の端から丁度8㎞のマイル飼料㈱米ノ津サイロ脇に着いた。


 水俣市の隣の出水市である。鹿児島県全体では水俣病患者に認定された方が500人弱ということだったが、この場所でも被害があったことは想像にかたくない。

実際数はもう少し調べてみないと分からない。wikiでは引っ張れなかった。

しかし、水俣病の申請者の数が増えているということである。

長い間、ハンター・ラッセル症候群という水俣病患者中最も重篤な患者、いわば「頂点」に水俣病像を限定してしまい、その「中腹」「すそ野」である慢性型や軽症例を見逃す結果を招いてしまったという。

このような重症例はもちろんのこと軽症であっても、感覚障害のため日常生活に様々な支障が出てしまうという。

細かい作業が出来なかったり作業のスピードが落ちたり、怪我をしても気付かないために傷口が広がったり菌が侵入したり原因となることから、「危なくて雇えない」などと言われて、職を失ったとする証言は判決文や出版物中に複数存在するそうだ。

また、水俣病公式発見前後、劇症型の激しい症状は、「奇病」「伝染病」などといった差別の対象となり、劇症型以外の患者が名乗り出にくい雰囲気が生まれ、熊本大学の研究班に送られてくる症例は劇症患者ないしそれに近いものだけとなり、ますます水俣病像=ハンター・ラッセル症候群という固定観念が強くなってしまった。

一方で、若い頃に健康であった者が、加齢にともなう体力低下などにより水俣病が顕在化する場合も考えられるという。


 マルイ飼料㈱会社の米ノ津サイロ。2012.08.09 → Map


出水市の港。クラゲがたくさん泳いでいる。 → Map

jellyfish


なお、差別と中傷は現在も続いているようだ。

水俣病に対しては、発生当初から差別や中傷が行われてきた。

2000年代以降は沈静化したとされていたが、2014年5月1日に、水俣病慰霊式の様子がで放映された際、出演しインタビューに応じていた認定患者で水俣市水俣病資料館の語り部の会長を務める男性が、ニュース放映日以降、「いつまで騒ぐのか」などの中傷電話を継続的に受けている実態が明らかになったという

 2010年6月に熊本県内で行われた中学校サッカー部同士の試合で、水俣市内の中学校チームの選手に対し、対戦校の部員が「水俣病、触るな」などの暴言を繰り返し行っていたことも判明しているそうだ。

 まだ5年位前にこうした差別・中傷があるのも地域の大人の責任と考える。
絶対に許してはいけない。 

 2011年の東日本大震災のおり、福島県から一時避難していた児童生徒に対し、放射能汚染に関する差別や中傷があったことは記憶に新しい。  


  
水俣メモリアル 2012.08.09 → Map


二度とこういう過ちを侵さないようにと・・・ 2012.08.09

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 40年ぶりに・・・ | トップ | 旅の楽しみ283…台湾 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

言いたんく」カテゴリの最新記事