インドネシアの独立記念塔モナスが完成したのが1975年。
その前年に何があったか。
「マラリ事件」という1974年1月15日にジャカルタで起こった「反日・反政府暴動」があった。
同年1月14日の田中首相(当時)のインドネシア訪問に際し、日本製乗用車の焼打ち、有力合弁企業トヨタ・アストラ社やスネン市場および華人系商店などへの放火、略奪が行われたという。
軍は17日には「暴動」を鎮圧したが、死者11名、重軽傷者137名、逮捕者775名を数えたことが公式に発表された。
ゆきたんくはインドネシアは親日の国とばかり思っていた。
そう、少なくとも終戦後からはずっとそうだと思っていた。
実際にインドネシアにいった時も、善い人ばかりだった。
ゆきたんくと長男のおーちゃん 2007.12.31 ジャカルタ
ふりかえり。
事件以前、インドネシア在住の日本人たちはやや傲慢なものが、より礼儀正しく、慎重な態度を取るようになった。
事件後のインドネシア側は、スハルト氏が自身の大統領としての地位を守るため強行に政策を変更し、自身の地位を脅かし、ましてや実権を奪う可能性がある部下を排除した。
しかし、外国投資や国産自動車製造計画における基本的な政策に変化は見られなかった。
日本側は東南アジア諸国に対する外交政策をただちに変更した。
これには当然インドネシアも含まれ、両国の文化交流が推進された。
日本におけるインドネシア地域研究は第2次世界大戦以後ないがしろにされてきたが、マラリ事件以降には進歩がみられるようになった。
そして、日本企業もインドネシア進出前に現地に関する十分な知識を持つべきとされた。
出展「インドネシア人の本音」
相手を良く思うにしても、そう思えない状況であるにしても、異国の歴史や文化は勉強しておくものだ。
なにか、海外旅行が怖くなってきたな。