考え方は人それぞれである。
押しつけはタブーである。
自分の思いを語る。
日本人は戦争に関わる事象については否定的に思う者が多い。
自分も戦争は肯定してはいない。
日本が歩んできた歴史の一つとして学ばなければと思っている。
千葉県船橋市の熊野神社にある「一億一心」と刻まれた国旗掲揚台の取材に行った時のことだ。
丁度、神社ではお祭りが開かれていた。
千葉県船橋市の熊野神社 2006.10.29
日も落ちてきて、暗くなり始めている。
写真も撮りにくくなる。
お祭りに来ていたご老人の集団に声をかけた。
ゆきたんく「今晩わ。あのぅ、探し物をしています。」
老人「何なりと。」
ゆきたんく「この神社に一億一心と刻まれた国旗掲揚台があると聞いたのですが。」
老人A「あぁ、あれだべ、あの大東亜戦争の時のじゃねえか。」
老人B「そうそう、大東亜だよな。」
ゆきたんく「第二次世界大戦のことですか?」
老人A「いんや、お兄ちゃん。大東亜戦争って言うんだよ。」
おかげ様で「一億一心」を見つけることができた。
熊野神社参道脇にある一億一心の国旗掲揚台。
当時40代のゆきたんくをつかませてお兄ちゃんっていうご老人方は80近いのだろう。
帰宅して「大東亜戦争」のことを調べた。
良い歳して聞いたことしかない言葉だったからである。
今まで持っていた歴史観が自分の中で変わっていくことを感じた。
戦争に関わる物について、正しい根拠なしに毛嫌いしていた自分がいた。
ただ、見聞きすることについて納得できない自分がいたから戦争遺跡の探訪を始めた。
正しい歴史って何だろうと思うようになった。
さて「一億一心」って何だろう。
「一億の国民が心を一つにして戦う」ということのようだ。
これを国民として素晴らしいという人もいるし、忌み嫌うキーワードであるという人もいる。
この掲揚台ができたであろう昭和15年の日本の人口は7193万3000人で1億人には、約3千万人足りない。
なぜ一億なのか。
かつて日韓併合があった。
その時は大日本帝国と大韓帝国が併合され、日本の統治が始まった。
大韓帝国とは、現在の韓国と朝鮮民主主義人民共和国である。
つまり昭和15年当時の日本は、大日本帝国の人口と大韓帝国の3000万人弱ということを考えると1億人いたということになる。
一億一心というのは、当時の日本人が心を一つにしてということだったのだ。
現在の状況からは、考えにくいことかもしれないがそうだったのだろう。
特攻隊の一人として国のために自分の命を捧げた最年少(17歳)の少年は大韓帝国出身の方だった。
それは、ゆきたんくも最近鹿児島の知覧にある特攻平和会館を訪れて知ったことだ。
物言わぬ戦争遺跡を忌み嫌うのではなく、紐解くことで、正しい歴史にたどり着くことかできればと思っている。
船橋周辺の戦争遺跡や廃墟、神社などを巡っている者です。
こちらのブログで知り、熊野神社にも先日行ってみました。国旗掲揚台もすぐに発見でき、銀杏まで拾えました。
情報をありがとうございます。
かつて住んでいた所ですのでその響きを懐かしく思います。
そして海軍の遺構が多く残されていますね。
廃墟もあるのですか。
教えていただけるとありがたいですね。
それからブログのリンクを有難うございました。訪問されていただきますね。