先日の続き。
さだ氏は長崎市立西北小学校に在学していた。
子供の頃の話はコンサートライブや噺歌集で読むことができる。
ただ、その噺歌集に出てきた「伊良林」という地名からさだ氏が伊良林小学校の出身と思っていたゆきたんくである。
この時は「せっかく長崎に来たのだから、その伊良林小学校を見たい。」
亀山社中跡まで来たのだから、近くだから・・・・
伊良林という地名が頭に残っていたのだ。
正門。一歩踏み込んでみたら右側に停まっていた車の中に先生らしき人がいたのでここまで
校庭と体育館とプールかな。
正門横の横断幕。どうやら水が綺麗なのだろうかね。近くには蛍茶屋跡がある。
プレハブ校舎。工事中なのね。
もう、満足ね。
噺歌集に出てきた地名の場所に自分がいる。
丁度車で、蛍茶屋駅前を通り過ぎてここにきて、車を降りて歩いた時に
♪蛍茶屋から鳴滝までは、中川抜けてくかわばたやなぎぃ(^^♪
と「紫陽花の歌(グレープ)」が頭の中で流れた。
さすが、さだ通。
いや、前日には「思案橋」を見てるし、伊良林に来る前に「眼鏡橋」を見ている。
紫陽花の歌の2番、
♪思案橋から眼鏡橋~(^^♪
が出て来ないといけないだろう。
まあ、こんなことは長崎県内だけで終わらせないといけない。
さだ氏は全国縦断コンサートなんてやっているのだからね。
それからイギリスのロイヤルアルバートホールでも歌っていらっしゃる。
ところで、伊良林なんて変わった名前だなと思ってね。
亀山社中近くに、亀山社中資料展示場というところがあって入場は16時30分まで。
とっくに過ぎていたのでもう入れなかった。
その後、亀山社中跡は閉館ぎりぎりで入れてもらえて有り難かった。
その資料展示場と亀谷社中跡の間に解説板があった。
良林亭跡の解説板。
1863年に良林亭を開業。
そもそも長崎に町名が施行されたのが1889年。
その前の地名は伊良林郷だ。
旧上長崎村にあった10郷のうちの1つが伊良林郷だという。
では、良林亭の良林は伊良林から取ったと考えても良いのだろう。
こんなそんなで話がとてつもない方向に行きそうなので終りにする。
次回、長崎に行った時には西北小学校訪問を実行する。