先日秋川50という催し物について書いた。
そこで卒業以来初めて再会したY君との旧交を温めた。
とりえのなかったゆきたんくにスキルをくれた一人である。
このことは「東京都立秋川高等学校31…リコーダーの思い出」で書いている。
彼は、秋川高等学校の全期が集まる50周年の舞台で校歌を歌った。
現在は音楽に携わる仕事をしている。
彼の歌は、進行過程の作業の関係で聴くことはできなかったが同期として誇らしかった。
「音楽は聴くもの」と思っていたゆきたんくに、「音楽はやるもの」という姿勢をくれたのは彼だった。
彼はリコーダーを教えてくれた。
そのおかげで楽譜も初見で読めるようになった。
マルチ・プレーヤーのマイク・オールドフィールド氏の楽曲との出会いで、様々な楽器に興味を持ち、手を出した。
彼がいなかったら、自分の趣味の中で楽器を奏でるということが無かったと思う。
秋川50の2次会は同期会である。
Y君と同席し、当時の思い出や感謝の気持ちを述べた。
「・・・?」
残念なことに彼は覚えていなかったのである。
びっくりしていたY君。
同様に私がかつての陸上競技部の仲間に感謝された話もでたが、私が覚えていなかった。
若い時の思い出は、自分にとってどうだったのかが記憶に残っているものなのかもしれない。
だと言って、Y君への感謝の念は薄まることはない。
自分の趣味を広げてくれただけでなく、現在の仕事にも役立っているのだから。
ヨハン・パッヘルベル
楽器ができなかった自分に夢があった。
「パッヘルベルのカノン」を吹いてみたい。
それは夢であった。
ソブラノリコーダー一つ満足にできなかった中学生時代のゆきたんくの夢であった。
上に肖像画を載せては見たが、誰と問われたら答えられない程度の知識である。
曲は大変有名であるが、その顔も分からないゆきたんくである。
そのパッヘルベルがその音楽家の生涯の中で唯一書いたカノンが「パッヘルベルのカノン」だという。
Y君のおかげで手に入れることができたスキルを試す時がやってきた。
偶然楽譜を手に入れることができたからだ。
リコーダーの楽譜である。
これにギターバートを加えて5重奏を試みたのである。
出来は荒いが、まあゆきたんくなのでしょうがない。
ソプラノリコーダ・パート 2つ。
アルトリコーダー・パート 2つ。
クラシックギターパート 1つ
では音源をアップする。
お時間のある方はリンクをクリックしてお耳汚しをしていただきたい。
今から14年前の録音だ。
時間のある時に録り直してみたい。
Y君に感謝。