写真は2008年、ゆきたんくの友人との大男3人組の旅で高知に行った時のものだ。
高知龍馬(こうちりょうま)空港という、日本で唯一の人名のついた空港での一枚だ。
2010年の大河ドラマは坂本龍馬の33年の生涯だという。
2008年高知龍馬空港にて
なんか時代を先取りした感じがしていい。
写真は2008年、ゆきたんくの友人との大男3人組の旅で高知に行った時のものだ。
高知龍馬(こうちりょうま)空港という、日本で唯一の人名のついた空港での一枚だ。
2010年の大河ドラマは坂本龍馬の33年の生涯だという。
2008年高知龍馬空港にて
なんか時代を先取りした感じがしていい。
グーグルアースのおかげで、かつて旅をした場所の名前や画像での確認が容易てきるようになった。
ただ仕事が忙しい時にはできないし、夜は目がだめになってきて細かい写真だと確認が難しくなってきた。
そう、旅の写真でいまだに気になっている写真があるのだ。
道沿いの風景などは、ランドマークがなければ、どこだかわからない。
そんなことは諦めればいいのである。
しかし
どこからどこまでの移動で、ランドマークがあった時には、調べたくなるのが人情である。
この教会の名前は・・・ 造りがすてきなんだよなぁ。
写真は、ウースターからコツウォルズへ移動中の社中から次男が撮ったものだ。
サイトのために作ったフォルダとは別に旅行フォルダに時系列に並べられた写真の時刻をチェックしてもどことどこの間というのは間違ってはいない。
グーグルマップのチェックで教会で検索しても、この画像の教会は出てこない。
建物を見る角度が違うのかもしれないが、この独特な造りをした教会の画像にはお目にかからないのである。
心に余裕があれば車を降りて撮影したのだろうが、この時は夕方の5時。
まだ宿も決めていないし、これからコツウォルズ(ボートン・オン・ザ・ウォーターとビブリー)へ行こうといていたのである。
まあ見つけてしまえば楽しみは一つ減るのだから、当分の間いいかなぁ。
枝豆でーす
みなさんは枝豆っていうとビールでしょうか。
残念ながらゆきたんくは飲めません。
飲みすぎで体を壊したのではありません。
生まれつきの下戸なのです。
だから「枝豆にサイダー(オールゼロね)なのです。」
そう、かつてはコー〇を飲んでいましたが、体のためにやめました。
って、全く説得力が無いと言われております。
コー〇は次男が喜んで飲んでおります。
そう、写真の枝豆はどうですか。
ゆでてある枝豆で、塩が効いているのであります。
しかし暑い中で汗をかいていると、この塩辛さが心地よいのはなぜでしょうか。
血圧のことも考えなくてはならない年齢になっていますが、鞘を持ってプチプチと食べることのできる枝豆は体の味方でしょう。
食欲減退の夏の暑い時に、お豆さんからたんぱく質をいただくことができるのですからね。
そして、サイダーを流し込む快感。
ここ3ヶ月はこれで楽しめるかな。
先日インドネシアの女性と話をする機会があった。
ご主人は日本人である。
小さいお子様がいらして、日本の小学校で学んでいる。
自分も子どもに教えられるように、もっと勉強したいという。
インドネシアではジャカルタの会社に勤めていたという。
そこから察するとかなり勉強をされた方だ。
独立記念塔モナスの前で
ジャカルタの話をすこしして盛り上がった。
彼女はインドネシア語と英語と日本語を話すことができるのだ。
ジャカルタの街中の話をしていて、思いを共有することができたことは嬉しいことだ。
いやぁ、いくつになっても嬉しいものである。
生涯2回目の
そう、1回目は小学生の時だった。
何の話かって?
アイスクリームだよ。
名糖ホームランバーというアイスクリームを知っているだろうか。
「名糖ホームラン1本当たり」
「お店で商品と交換してね!」
嬉しかった。無性に嬉しかった。
次男が、「お父さん、バニラにする、ストロベリー?」
と聞いた時に、「ストロベリー」と答えて正解だった。
これが、人生2回目のホームランバーの当たりであった。
実はゆきたんくは教育学部を出ている。
教育実習を経験しているのだ。
中学校体育科の実習でお世話になった先生とはずっとお付き合いをしていただいている。
今年3月をもって定年退職された先生は浅草在住で、自宅1階にあるスペースをで喫茶店を開く計画があることを教えて下さった。
そのお披露目があったので行ってきた。
お祝いにかけつけた人数が多かったので、喫茶店ではなく、近くの割烹ですることになった。
教え子たちの太鼓の演舞
教え子たちの太鼓演舞や、かつての同僚の歌でおおいに盛り上がった。
ゆきたんくは先生の勤めていた学校の歴代PTA役員の方々と話をさせていただいた。先生が最後まで熱く頑張っていたことが聞けて嬉しかった。
喫茶店の入り口だ。
喫茶店の名前は「ぐり」。
浅草4丁目にある。
近くを通られたら寄っていただきたいと思う。
土曜日であるが、仕事が好きなゆきたんくである。
仕事は楽しい。
しかし、新しいことにチャレンジしてはいない。
新しいことにチャレンジして不安を感じることも大切だ。
不安定はスピードを生むからだ。
しかし精神状態はどうだ・・・
夕刻に空を見上げた時に目に入った雲を撮った。
見事に逆三角形なのだが、不安定さは感じない。
飛んでいる鳥にさえ見える雲
不安定に鈍感になって気づかないのかもしれない。
千葉県流山市に赤城神社がある。
群馬県の赤城山から流れていったことから、流山という地名になり、神社の名前も赤城神社になったという。
その隣には光明院というお寺がある。
そこに「はがきの木」と言われる木がある。
葉を尖ったものでなぞると、そのあとが残るのだ。
これが「はがきの木」
能書きはこちら
多羅葉(たらよう)と言うのだそうだ
昨日、「伝えたんく」にアクセスできない状態にあった。
ところでめでたいことに今日は戻っていた。
ウイルスバスターの有害サイト規制を解除してアクセスしてみたが
画面の体裁が面白くなかったので放っておこうと思った。
とにかく戻って良かった。
自分なりのこだわりってあるからね。
ブログを続ける意欲もかかわるんだ。
ということでめでたしめでたし。
「伝えたんく」の更新をしようとしたら、ウイルスバスター10の違法サイトブロックがでてしまった。
自分のサイトにアクセスできないのだ。
ということでフィルターを切って編集している。
ここをご覧の皆様。
変なところがあったらお教え下さい。
長男の顔つきが変わった。
大人になってきているのだ。
この5月から社会人となったが、仕事はシフトがあるので勤務時間が昼だったり夜だったりする。
以前はのべつまくなしで体力にまかせて好きなことやっていたが、仕事の時間帯に合わせてしっかりと休養をとっている。
朝早い勤務に合わせて早く寝ることもあれば、夜勤に合わせて、昼寝を取っている。
立場は人を変える、その変化を毎日感じ取ることができるのは嬉しい。
そして、休みになると体が疼くのだろう。
「父さん、運動公園までトレーニングに行ってくる。」
と言ってウエイトトレーニングにせいを出すのである。
就職が決まるまでの陰鬱に顔とは真逆の充実した顔である。
人間ってやっぱり働かなくてはだめなんだと思う。
「ムー」を見ていると、見たことがあるような写真を見つけた。
本を読んでいるとよくあるのだが、行ったこともない場所の景色をどこかで見たように思うことはあるものである。
今回見た写真はこれ、
レイ・ラインのページにある写真
ロングタウン城とある。右下の地図だと、ゆきたんくが見たのとは130kmばかり離れているので違うものと思っていた。
しかし、これはゆきたんくの文を読み取る力のなさが成せるものであった。
このページの主人公はロングタウン城ではなくて、レイラインである。
地図で調べた先史時代の遺跡(土塁、立石、石塚、地上絵、古い教会)がきれいな直線上に並んでいるという。
ロングタウン城もその上にあるということだ。
本文を読んでいくと、イギリスの考古学者のアルフレッド・ワトキンスはヘレフォードシャーの丘陵を馬であるいて行くと・・・とあった。
ヘレフォードシャーの丘陵とつながっているウェールズの境目辺りにロングタウンという町があり、そこには城跡があった。
イングリッシュヘイテイジの看板
挿入画像に似た写真
角度は違うが、確かに本の写真と同じである。
一枚上の写真は、この石のゲートをくぐると見ることができる
本の写真には、このゲートの円の部分も写っている。
朽ちてはいるが、かつての砦だ。
当時は、ハージェストリッジを目指した時、一休みはるのに途中にあった城跡に寄っただけだが、何であれ意味合いを持つものに触れることが出来たことは嬉しいものだ。何かを見つけるとすぐに行ってしまうゆきたんくの性癖は治さないでおこう。
これは一種の病気かもしれない。
昨日買った本をじっくりと見ている。
世界のムー「超古代文明」
コンビニで見つけ面白そうなので買った。
読んでいるうちにゆきたんくの見解とは違う部分を見つけた。
勉強が足りなかったのである。
それはイギリスの「ストーンヘンジ」と「ウッドヘンジ」のことだ。
ストーンヘンジ
こちらは有名な遺跡だ。
名前を知っておられる人も多いだろう。
この本に書いてあったことの中に、遺跡はその存在だけではなく、機能を持っているということがあった。
ストーンヘンジの場合は、遺跡の石と石との結びか方で、春分、夏至、秋分、冬至、それぞれの日の出と日の入りの方向を示す機能があることが判明している。月食や日食の予測もできたという。
現在のコンピューター解析で判明した事実を建造が開始された紀元前2750年に知っていたというか。
そうそう、ゆきたんくの見解はストーンヘンジとウッドヘンジの関係にあった。
ウッドヘンジのフリント石塚の横に立つゆきたんく
こちらは文字通り木を配列していた遺跡である。
木は朽ちてしまうので、現在はコンクリートポストが、かつて木があった場所に立てられている。
拙サイト「幸たんく」の「旅たんく」の中で 「ストーンヘンジ」は、3つの段階を経て造られたといわれている。それも約5000~3500年前の1500年という年月がかかっているそうだ。」と記している。
今回購読した「ムー」には、3つの段階というのは同じだが、2750年建造開始、第2期が~2000年、第3期が~1900年と書いてあった。
時が経つと、情報というのは変わるものだが、常に新しい情報に触れることができるようにしなくてはならない。
今回のことも検証してから、サイトの内容を書き換えなければならないだろう。
今まで書き溜めたデータの中にも多数修正点があると思うのだ。
そしてウッドヘンジは朽ちてしまうはかなさを、ストーンヘンジは永遠を表す対の遺跡という考えもあるそうだ。
この2つの遺跡は直線距離で3kmほど、車で5分の距離にある。
水色がストーンヘンジ、黄色がウッドヘンジ
先日、サイト「幸たんく」の旅で大阪と愛知が整理できたことは記した。
その中で忘れられない味があったのだ。
わざわざ道頓堀まで行ったのに、食い倒れ人形まで見たのに、そこでは食べなかった。
体が疲れていたこともあったのだろう。
老夫婦で営むうどん屋さんに入った。
ゆきたんくが食したのは「けつねうろん と かやくごはん」だった。
薄口の汁、口に広がる舞茸の香り
美味しいというよりも優しい味という印象が残った。
また大阪を訪れた時には行きたい店である。
これはまいった・・・
米従軍カメラマンが撮り貯めた日本の姿である。
時期は終戦前から終戦後辺りである。
上司の命令で記録をとることになったカメラマン。
その内容にネガをトランクにしまったまま45年間開けずにいた話だ。
「触れなければ思い出すことはない」と考えたが、日を重ねる毎に当時の思いが蘇ってくることがつらかったという。
45年の時を超えて写真集となった一冊だ。
1995年に出されたものの再販ということだ。
ご本人は2007年に85歳で亡くなっている。
長崎及び広島における原爆投下直後の状況を米海兵隊の写真家とした撮影した画像がこの本の中に・・・