館山は戦争遺跡の宝庫だ。
そして訓練の厳しさでは群を抜いていたという館山海軍航空隊。
横須賀海軍航空隊が拡張され、教育・訓練部が霞ヶ浦に、館山に作戦部隊を移した。横空はヶ研究航空隊に特化し航空廠併設。
館空は実戦部隊となったが、木更津に移り、内線作戦部隊に転換とwikiにはある。
太平洋戦争以前の1930年に開隊された。
館空の残したものは、いろいろと取材した。
今日は、居住地の中に眠っている掩体壕を紹介しようと思う。
実際には、掩体壕のあるところに居住地ができたと思われる。
軍に接収された後は民家などないからである。
そして戦後は、居住地に代わるが、掩体壕は倉庫になったり、内部を改造して生活してりしているところもある。
今回紹介する掩体壕は、当時の位置に当時のままでそれも言われないと気づかない場所に位置している。
館山に残っている掩体壕は2つで、宮城と香(こうやつ)で、写真は宮城のもの。
かなり大きな掩体壕だ。 → Map
香(こうやつ)のも取材しにいかないといけないな。