総合雑誌の『文藝春秋』を定期的に読み始めたのが、昭和45年の25歳の時だった。
それまでは映画青年を気取っていた時は、『キネマ旬報』、
文学青年のような時代は『新潮』、『群像』、『文学界』が主体であった。
昭和45年の時、私は民間会社に中途入社したので、
サラリーマンとして総合雑誌で極く一般の社会人として、
教養、常識を身に付けるようとしていた。
それまでは『文藝春秋』を不定期に読んだりはしていたが、
『世界』、『中央公論』も一時は読んだりもしていた。
結果として、定年退職後の今でも、定期的に愛読しているのは、
『文藝春秋』である。
政治、外交、軍事、経済、社会、文藝等の分野で、
私程度の拙(つたな)い知識の持ち主は、手頃な総合雑誌となる。
読んだりする時、私と同意のご意見のお方がいると安堵したり、
記載されている事が程度の低い物で著者に失望したり、
或いは無知だったことを知り、謙虚にご教示頂いたりしている。
私は『文藝春秋』の記事で、理解出来なくなった時は、
ボケるの避けたいので、死ぬ時と思っている。
それまでは映画青年を気取っていた時は、『キネマ旬報』、
文学青年のような時代は『新潮』、『群像』、『文学界』が主体であった。
昭和45年の時、私は民間会社に中途入社したので、
サラリーマンとして総合雑誌で極く一般の社会人として、
教養、常識を身に付けるようとしていた。
それまでは『文藝春秋』を不定期に読んだりはしていたが、
『世界』、『中央公論』も一時は読んだりもしていた。
結果として、定年退職後の今でも、定期的に愛読しているのは、
『文藝春秋』である。
政治、外交、軍事、経済、社会、文藝等の分野で、
私程度の拙(つたな)い知識の持ち主は、手頃な総合雑誌となる。
読んだりする時、私と同意のご意見のお方がいると安堵したり、
記載されている事が程度の低い物で著者に失望したり、
或いは無知だったことを知り、謙虚にご教示頂いたりしている。
私は『文藝春秋』の記事で、理解出来なくなった時は、
ボケるの避けたいので、死ぬ時と思っている。