昨日と同様に、昼過ぎに塩野七生・著の『ローマ人の物語』(新潮文庫)第23巻を読んでいるが、
居間で簡易ベットに横たわりながら、
1時間程過ぎた頃、眠りに付いた・・。
私は東北新幹線のある駅からタクシーで15分走り続けた場所で降ろされた。
周囲は里山を背景に放置された田畑が幾重にもあり、広大な荒地となっていた。
ひとりの年配の老人が私に、
『あんたかいなぁ・・竹の物狂いのお人というのは・・』
と言った。
私は煙草を老人に勧めた後、私は煙草に火を点(つ)けた。
私はこの老人の方に熱弁を奮(ふる)っている・・。
日本の古来から孟宗竹をこの地一面に植え、竹の文化村を作りたい。
平地の土地は、土壌を四尺ほど、改良し、
建物以外は公園のように遊歩道を設ける以外は、孟宗竹・・一色とする。
建物は筍(タケノコ)主体の専門料理店、筍の加工食料品所、
そして竹に関しての日常品から工芸品に至るまで加工所、販売店まで手がけたい・・。
お客さんは、駅からマイクロバスでお迎えして、
筍づくしの料理と里山で栽培した山菜を食べて頂いた後、
孟宗竹の中の遊歩道を散策して頂き、
お土産売り場で保存のきく筍、筍と山菜、そして竹細工の多種をお買い上げて頂く・・
『あんたぁ・・採算あうのかいなぁ・・』
と老人は私の言葉を遮(さえぎ)った。
『採算はギリギリですが・・
孟宗竹の四季の移ろいの美しさを観て・・その方なりに感銘をして頂ければ・・』
と私は老人に言った。
『そりやぁ・・そうだが・・
あんたに以前言った値段で・・売るよ・・
だけどもね・・あんたは・・夢を見るのがお好きな人だね・・』
と老人は苦笑しながら、私に言った。
私は目覚めた・・。
サラリーマンを定年退職し、年金生活の3年生の私には、
このように気力も資金もない。
私は庭に下り立ち、雨の舞い下りる庭の樹木を眺め、
煙草を喫いながら、どうしてあのような夢を・・
と思い返している。
私は東京の郊外で農家の子として生を受け、
父、祖父が亡くなる小学幼年期まで田畑、雑木林、竹林の中で育った。
竹林は、孟宗竹の専用とした2反程あり、5月頃には筍を青果市場に出荷し、
竹は秋の頃に竹細工の方達が買い求めに来宅していた、
記憶が鮮明に残っていたる。
ここ50年ばかり筍を作られている場所を見たり、
テレビで視聴したりすると、
あれは本物の筍じゃない、と思っているのである。
私の幼年期に観た竹林は、前年の秋に根が浅くなった所を最低三尺掘り下げて植え直し、
春先には地割れと土壌が固くなるので、私達の子供は近寄れなかったのである。
4月の下旬から5月の初め、
地割れの箇所をたよりに祖父と父が専用のスコップで掘ったりしていた。
すべて地中で育ち、根元は最低15センチ以上あり、
少しでも地上に芽が出たものは身が固くなるので、
商品価値が激減するのである。
私は地上から5センチほど芽がだした筍は皮が黒ずむので、
子供心でも、カラス、と呼んでいた・・。
このような想いがあったのか、ときには考えられない夢を見ることがある。
年を重ねた私は、今でも夢は甘く、ときには苦いものである。
居間で簡易ベットに横たわりながら、
1時間程過ぎた頃、眠りに付いた・・。
私は東北新幹線のある駅からタクシーで15分走り続けた場所で降ろされた。
周囲は里山を背景に放置された田畑が幾重にもあり、広大な荒地となっていた。
ひとりの年配の老人が私に、
『あんたかいなぁ・・竹の物狂いのお人というのは・・』
と言った。
私は煙草を老人に勧めた後、私は煙草に火を点(つ)けた。
私はこの老人の方に熱弁を奮(ふる)っている・・。
日本の古来から孟宗竹をこの地一面に植え、竹の文化村を作りたい。
平地の土地は、土壌を四尺ほど、改良し、
建物以外は公園のように遊歩道を設ける以外は、孟宗竹・・一色とする。
建物は筍(タケノコ)主体の専門料理店、筍の加工食料品所、
そして竹に関しての日常品から工芸品に至るまで加工所、販売店まで手がけたい・・。
お客さんは、駅からマイクロバスでお迎えして、
筍づくしの料理と里山で栽培した山菜を食べて頂いた後、
孟宗竹の中の遊歩道を散策して頂き、
お土産売り場で保存のきく筍、筍と山菜、そして竹細工の多種をお買い上げて頂く・・
『あんたぁ・・採算あうのかいなぁ・・』
と老人は私の言葉を遮(さえぎ)った。
『採算はギリギリですが・・
孟宗竹の四季の移ろいの美しさを観て・・その方なりに感銘をして頂ければ・・』
と私は老人に言った。
『そりやぁ・・そうだが・・
あんたに以前言った値段で・・売るよ・・
だけどもね・・あんたは・・夢を見るのがお好きな人だね・・』
と老人は苦笑しながら、私に言った。
私は目覚めた・・。
サラリーマンを定年退職し、年金生活の3年生の私には、
このように気力も資金もない。
私は庭に下り立ち、雨の舞い下りる庭の樹木を眺め、
煙草を喫いながら、どうしてあのような夢を・・
と思い返している。
私は東京の郊外で農家の子として生を受け、
父、祖父が亡くなる小学幼年期まで田畑、雑木林、竹林の中で育った。
竹林は、孟宗竹の専用とした2反程あり、5月頃には筍を青果市場に出荷し、
竹は秋の頃に竹細工の方達が買い求めに来宅していた、
記憶が鮮明に残っていたる。
ここ50年ばかり筍を作られている場所を見たり、
テレビで視聴したりすると、
あれは本物の筍じゃない、と思っているのである。
私の幼年期に観た竹林は、前年の秋に根が浅くなった所を最低三尺掘り下げて植え直し、
春先には地割れと土壌が固くなるので、私達の子供は近寄れなかったのである。
4月の下旬から5月の初め、
地割れの箇所をたよりに祖父と父が専用のスコップで掘ったりしていた。
すべて地中で育ち、根元は最低15センチ以上あり、
少しでも地上に芽が出たものは身が固くなるので、
商品価値が激減するのである。
私は地上から5センチほど芽がだした筍は皮が黒ずむので、
子供心でも、カラス、と呼んでいた・・。
このような想いがあったのか、ときには考えられない夢を見ることがある。
年を重ねた私は、今でも夢は甘く、ときには苦いものである。