私達夫婦は国内旅行が共通の趣味である。
私は定年退職後、直ちに年金生活に入り、5年生となっている。
退職後まもない時、家内の父が亡くなり、慌しい日々が過ぎた後、
家内の母が独り住まいとなったので、
私達は温泉滞在旅行などに誘い、年に数度は3人で旅行したりしている。
そして、家内の母は、
死ぬまで一度はXXに行って観たいわ、
と家内に云ったりして、北海道に7泊8日、沖縄に8泊9日などの観光めぐりの旅も、
私達3人は旅行を重ねている。
今回、たまたま長崎を観たい、ということになり、
私達夫婦は長崎市内のシティホテルに4泊して、長崎の市内観光をした後、
付近にある温泉を探した結果、雲仙の観光ホテルに4泊としたのである。
私は8泊9日の旅は、日中の時はどのように周遊しょうかしら、
と来(きた)る11日より旅立つので、ここ数週間を思案したのである。
もとより家内と家内の母が観たい婦人好みの観光先とは、
少なからず私は男性であり、相違があるので、
こうした3人の旅先の日中は、独りで私は歩き廻ってきたのである。
私はネットで長崎、雲仙を調べたりしていると、
家内と2人で、以前に西九州を観光ツアーで旅したことがあり、
このサイトにも綴ったきたことがあるので、
読み返していた・・。
【 西九州シーサイド紀行 【2007.4.17.~4.19.】 】
と題して、帰宅後に綴り、投稿していたのであるが、再掲載をする。
【・・
序章
家内と私は2泊3日の【春風そよぐ天草・伊万里・長崎・九十九島の旅】と称された
西九州の周遊観光団体ツアーに参加した。
福岡空港より、唐津・虹の松原、伊万里の大川内山、
平戸の街並みの散策、平戸のリゾートホテルに宿泊、
そして翌日は九十九島の観光遊覧船、長崎の大浦天主堂、
グラバー園などの南山手の一部を散策し、嬉野温泉に宿泊、
口之津港からはイルカ・ウォッチング、天草地方の観た後は、
熊本空港と西九州の海辺を周遊する旅行であった。
第1章 旅の始まりは、始発電車
家内は旅行の当日は、何時も早めに起きる。
今回の旅行は、羽田空港で朝の7時10分の集合時間であったので、
家内は朝の2時半に起床し、私は30分遅れの3時である。
地元のタクシーに4時半に自宅に来て貰う前、
家内は台所と洗濯、そして朝食を食べたりする。
何時もの旅行の当日の出来事なので、台所と洗濯はやめたら、
と私は家内に云ったりしているが、ここ20数年変わらないでいる。
そして、家内の性格は集合時間の一時間前に到着し、
ゆっくりとコーヒーを飲むのが理想としているので、
早めのスケジュールとなる。
予定時間にタクシーに乗り込み、最寄の成城学園前には4時40分に到着し、
始発の4時55分には少し早く、改札口も閉鎖されていた。
私共は団体観光ツアーに参加する時、
東京駅、羽田空港の集合時間が早い場合、
自宅からタクシーで羽田空港、新宿駅まで利用したことがある。
2年前には、JRの新宿の始発に乗るため、
早朝の新宿駅に待機していた時は、
住所不定の人達が改札口のシャッターの閉まっている周辺で横たわって折、
私なりに不安げになり、家内共々、
交番の横で私は煙草を喫ったりしていた。
羽田空港、東京駅、上野駅、新宿駅の構内の早朝5時前の情景は、
私の日常生活から余りにもかけ離れているので、
都心は休む時はなく、24時間動いているのを教えてくれる場所でもある。
私が現役時代の多忙な時は、深夜に2時過ぎに退社したり、
或いは徹夜になり、
本社の六本木の喫茶店で早朝モーニング・サービスのコーヒーとトーストを食べたりしたが、
あくまで会社周辺、帰宅のタクシーの経路の情景であったりした・・。
こうしたことを思い浮べ、
成城学園前の駅前で煙草を喫いながら、待機していると、
始発電車に備え、駅の改札口のシャッターは上がって行った・・。
成城学園前の始発電車は、4時55分静かに動き始めた。
尚、私達の旅行の多くは、
自宅の近くのバス停留所の始発6時過ぎが望ましく、
こうしたプランを立案しているが、
ときおり団体観光ツアーで集合時間の早い時は、
今回のような起床時間となったりしている。
第2章 初めての西九州の情景は
羽田空港発は8時であったので、搭乗前の待合室にいたが、
私は喫煙場と売店に往復する。
旅行の時は数冊の本を携えるのが習性であり、
今回は周遊観光なので自宅から持参することなく出かけてきたが、
宿泊地の夜、寝しな時に本がないと寂しくもあり、
中西輝政・著の『日本人としてこれだけは知っておきたいこと』(PHP新書)を買い求めた。
喫煙場はビジネスマンの出張、移動の方達、私達のような旅行客など様々な言動としぐさが見られ、
私の好きなひとときである。
私は飛行機は苦手であるが、時間の圧縮には欠かせないので、
止む得なく乗るといった状態が続いている。
搭乗前、離陸、着陸が何かしら間延びと感じ、
水平飛行となっても狭い座席で余り動きが取れない上、
外の景観も雲上になると外の景観も乏しく、嫌いなのである。
こうした時は、ペットボトルの煎茶を飲みながら、雑誌か文庫本を読んだりしている。
福岡空港は2度目である。
以前、山陰地方の秋吉台、萩、津和野なとぜの周遊観光で利用したことがあったが、
殆ど空港の構内は記憶にない。
待機してくれた観光バスに乗り込むと、博多の街並みを車窓から観ても、
大都市の中心部は余り変わりことがなく、感慨が湧いてこない。
唐津に近い虹の松原を散策したが、黒松が防風林として植林されて折、
日本の各地に似たような情景が多く、
ただ玄界灘の波打ち際の海岸線を歩くと、何かしら落ち着き、
旅先と実感できたりした。
呼子はイカの名物と知られているが、唐津のホテルで、
イカのフルコースを昼食として頂いたが、素材を生かして美味である。
ロービーの売店で唐津焼のぐい呑みを少し見たが、
私なりに見た品は、数万円程度のなので、殆ど値札が合致した。
ひとつだけ購入しょうかと迷った品であったが、
取りやめて、帰路の時、後悔をしたりした・・。
この後、伊万里の秘窯の里と称される大川内山を散策し、
かっての鍋島藩が育成した伊万里焼をある程度見たが、
白磁に染付けと上絵が嫌いな私は魅了されることなく、
青磁も興味が湧かず、青空の下で咲くツツジの花の色合いを眺めたりした。
街並みの外れに登り窯が再現され、素朴なたたずまい、
丘陵に渡来させられてきた陶工の高麗人の墓に心を寄せたりしていた。
豊臣秀吉の時代、朝鮮征服を意図し、
結果として現地の陶工の人々をこの地に連れてきて、
鍋島という焼き物を古伊万里という形で完成させ、
後の人々に多大な影響を残したのは、
紛(まぎ)れもない事実といえる。
この後、平戸に移動し、街並みを散策した。
丘陵の坂道を昇ると、寺院が見え、丘の上に教会が観える。
聖フランシスコ・ザビエル記念教会であったが、
礼拝堂の館内は静寂で午後の陽射しがステンドグラスの窓を照らしていた。
そして街並みにオランダとの交易の名残りが数多くあり、
異国との交流が情緒がかもし出されている・・。
宿泊先の『ホテル蘭風』は千里浜に建つリゾート・ホテルであった。
家内と10数年前に宿泊した沖縄のサンマリーナ・ホテルとベランダから情景に比較しあい、
彼方の観える岬と入り江の景観が良かったが、
あいにくと曇り空であったので、夕陽が望めなかった。
私はこうした所で、1週間ばかり滞在し、
この周辺を散策するのも良いかしら、
と思ったりした。
夕食を終えた後、家内が入浴している間、
明日の天気予報でも見よう、とテレビのスイッチを入れた。
歌謡番組を放映していたので、洗面所で髭(ひげ)を剃った後、
テレビの前に戻ると、
長崎市の伊藤・市長が銃撃に襲われ、病院で手術を受けている、
と報じていた。
私は暗澹たる思いで、その後の臨時ニュースを1時間ばかり視聴していた・・。
そして、深夜、お亡くなりになったと知った。
翌日、私達の観光先は長崎の伊藤選挙事務所の前を過ぎた時、
肌寒く小雨の降りしきる中、献花された5ぐらいの花束の見た・・。
第3章 魅了された島々
平戸の小奇麗な街並みを後にしたが、
低気圧が日本一帯に影響し、九州も10度前後となり、
小雨の降りしきる肌寒い朝を迎えている。
佐世保の外れにある鹿子前港から九十九島の遊覧船に乗船し、
数多くの島の周辺を巡(めぐ)った。
常緑樹と新緑となった落葉樹、
そしてヒメミツバ・ツツジの花の色合いが小雨の中で染められ、
海面と島の色彩の光景は美の結晶と感じられ、私は魅了させられた・・。
北部に点在する島は、岩肌が厳しく、男性的な景観が多く見られ、
南に点在する島としては、優美で女性的な島々が多い、
と観光案内に明示されている。
私にはこうした情景が好きであるので、日本の各地を観てきたが、
松島をはじめとする数多くの島の点在する景観のこれまでの体感として、
私なりの美としては九十九島に魅了され、
心の残影はいつまでも余韻が感じられた事は確かであった・・。
この後、長崎の南山手に於いて、大浦天主堂、
グラバー園を拝観したが、小雨降る坂道も情感があったが、
九十九島の余情があったので、いつの年になるか解からないけれど、
改めて別の日に、と感じたりしていた。
第4章 ときには、イルカ・ウォッチング
長崎市街は坂道が多く驚いたりしたが、
そして宿泊先の嬉野温泉地に向かっている途中で、
小雨が上がり、曇り、そして夕方には晴れ間となった。
宿泊先の『和多屋別荘』であり、
冷え切った身体に日本三大の美肌の湯と称せられた湯は、
私のような歳を重ねた男性の身でも心地よい。
翌朝は雲ひとつなく、快晴となった。
島原半島の南端にある口之津港から、20人前後の乗船可能な小船で、
対岸にある天草地方の二江港まで一地域にイルカが観られるツアーに参加した。
家内と私は最前列に座り、多少の揺れがあっても各地の小型の遊覧船で鍛えられているので、
身をまかせていた・・。
海の潮の香り、風を受け、快晴の陽射しを身体に受けて、
快適な海上を小船は走ってた。
20分過ぎる頃、イルカの大群が見られ、小船の数メートル近くで遊泳をしたりしている。
特に家内は動物、魚群は好きなタイプであるので、
歓声をあげたりしている。
私はデジカメで10数枚撮ったが、私のつたない技量としては、
確かなことは実景の迫力には、到底かなわない、
と思ったりした。
30分前後、徐行をしながら、イルカの遊泳に満足した後、
二江港を目指して、小船は疾走した・・。
私は下船の直後、2時間20分の遊覧に満足し、
船を操縦した50代の男性に、
『想像したより・・遥かに良かったですよ・・』
と私は絶賛した。
そしてイルカのウォッチングには余り期待していなかった私さえ、
『知らない方も多いと思われますので・・
この地方の観光の目玉として更に宣伝されれば・・
お客さん・・満足しますよ・・』
と私は言葉を重ねた。
家内はそばで聴いていて、笑っていた・・。
この後、昼食は天草船長おまかせ御膳と称した地魚を主体とした料理で、
私はお膳の料理を見た直後、
『お姉さん・・ビール・・下さい・・』
と声を上げた。
この後、天草地方にある大江天主堂、殉教公園に寄ったが、
私は少し失望し、落胆したせいか疲れを覚え、
熊本空港にバスは到着した。
今回、初めて西九州の一部を短時間で周遊したが、
九十九島の点在する島々の情景、
イルカを観に海上の2時間の光景、
のちの思いになることは確かなこと、と私は呟(つぶや)いたりしている。
最終章 旅の終りは、熊本空港
初めての熊本空港であり、短い旅行であったが少し疲れを覚え、
7時発の航空便まで出発ロビーの待合室で、
6時過ぎに夕食がわりに売店で買い求めた弁当を食べたりしていた。
この後、喫煙室に入ると、ビジネスマンの十数人がいた。
出張と思われるスーツ、ビジネス・バックを見ると、
旅人のひとりの私は、何かしら申し訳ないような居心地となり、
浮かれた旅気分から現実の時に揺り戻されたりする。
定年退職後の3年生の身である私は、旅行先にこうした方々にお会いすると、
あのような時代もあったんだ、と私は振り返ったりする心持となる。
羽田空港に9時前に着陸し、京浜急行で品川、そして満員の山手腺、小田急線を利用した後、
成城学園前に戻ると、何かしらほっとしたりする。
そしてタクシーで自宅に戻る傾向がここ数年の旅行が多いが、
航空便は夕方に利用することが多かったので、
通勤の方の多い中、何かしら心身の疲れが増したりした。
・・】
このように綴っているが、やはり旅先で感じたり、思索したことは、
残念ながら写真などでは表示できないので、
たとえ拙(つたな)い綴りであっても、文章を綴り残しておくことも、
のちの想いとなり、貴重なその人なりの心の宝物かしら、
と私は微笑んだりしている。
私は定年退職後、直ちに年金生活に入り、5年生となっている。
退職後まもない時、家内の父が亡くなり、慌しい日々が過ぎた後、
家内の母が独り住まいとなったので、
私達は温泉滞在旅行などに誘い、年に数度は3人で旅行したりしている。
そして、家内の母は、
死ぬまで一度はXXに行って観たいわ、
と家内に云ったりして、北海道に7泊8日、沖縄に8泊9日などの観光めぐりの旅も、
私達3人は旅行を重ねている。
今回、たまたま長崎を観たい、ということになり、
私達夫婦は長崎市内のシティホテルに4泊して、長崎の市内観光をした後、
付近にある温泉を探した結果、雲仙の観光ホテルに4泊としたのである。
私は8泊9日の旅は、日中の時はどのように周遊しょうかしら、
と来(きた)る11日より旅立つので、ここ数週間を思案したのである。
もとより家内と家内の母が観たい婦人好みの観光先とは、
少なからず私は男性であり、相違があるので、
こうした3人の旅先の日中は、独りで私は歩き廻ってきたのである。
私はネットで長崎、雲仙を調べたりしていると、
家内と2人で、以前に西九州を観光ツアーで旅したことがあり、
このサイトにも綴ったきたことがあるので、
読み返していた・・。
【 西九州シーサイド紀行 【2007.4.17.~4.19.】 】
と題して、帰宅後に綴り、投稿していたのであるが、再掲載をする。
【・・
序章
家内と私は2泊3日の【春風そよぐ天草・伊万里・長崎・九十九島の旅】と称された
西九州の周遊観光団体ツアーに参加した。
福岡空港より、唐津・虹の松原、伊万里の大川内山、
平戸の街並みの散策、平戸のリゾートホテルに宿泊、
そして翌日は九十九島の観光遊覧船、長崎の大浦天主堂、
グラバー園などの南山手の一部を散策し、嬉野温泉に宿泊、
口之津港からはイルカ・ウォッチング、天草地方の観た後は、
熊本空港と西九州の海辺を周遊する旅行であった。
第1章 旅の始まりは、始発電車
家内は旅行の当日は、何時も早めに起きる。
今回の旅行は、羽田空港で朝の7時10分の集合時間であったので、
家内は朝の2時半に起床し、私は30分遅れの3時である。
地元のタクシーに4時半に自宅に来て貰う前、
家内は台所と洗濯、そして朝食を食べたりする。
何時もの旅行の当日の出来事なので、台所と洗濯はやめたら、
と私は家内に云ったりしているが、ここ20数年変わらないでいる。
そして、家内の性格は集合時間の一時間前に到着し、
ゆっくりとコーヒーを飲むのが理想としているので、
早めのスケジュールとなる。
予定時間にタクシーに乗り込み、最寄の成城学園前には4時40分に到着し、
始発の4時55分には少し早く、改札口も閉鎖されていた。
私共は団体観光ツアーに参加する時、
東京駅、羽田空港の集合時間が早い場合、
自宅からタクシーで羽田空港、新宿駅まで利用したことがある。
2年前には、JRの新宿の始発に乗るため、
早朝の新宿駅に待機していた時は、
住所不定の人達が改札口のシャッターの閉まっている周辺で横たわって折、
私なりに不安げになり、家内共々、
交番の横で私は煙草を喫ったりしていた。
羽田空港、東京駅、上野駅、新宿駅の構内の早朝5時前の情景は、
私の日常生活から余りにもかけ離れているので、
都心は休む時はなく、24時間動いているのを教えてくれる場所でもある。
私が現役時代の多忙な時は、深夜に2時過ぎに退社したり、
或いは徹夜になり、
本社の六本木の喫茶店で早朝モーニング・サービスのコーヒーとトーストを食べたりしたが、
あくまで会社周辺、帰宅のタクシーの経路の情景であったりした・・。
こうしたことを思い浮べ、
成城学園前の駅前で煙草を喫いながら、待機していると、
始発電車に備え、駅の改札口のシャッターは上がって行った・・。
成城学園前の始発電車は、4時55分静かに動き始めた。
尚、私達の旅行の多くは、
自宅の近くのバス停留所の始発6時過ぎが望ましく、
こうしたプランを立案しているが、
ときおり団体観光ツアーで集合時間の早い時は、
今回のような起床時間となったりしている。
第2章 初めての西九州の情景は
羽田空港発は8時であったので、搭乗前の待合室にいたが、
私は喫煙場と売店に往復する。
旅行の時は数冊の本を携えるのが習性であり、
今回は周遊観光なので自宅から持参することなく出かけてきたが、
宿泊地の夜、寝しな時に本がないと寂しくもあり、
中西輝政・著の『日本人としてこれだけは知っておきたいこと』(PHP新書)を買い求めた。
喫煙場はビジネスマンの出張、移動の方達、私達のような旅行客など様々な言動としぐさが見られ、
私の好きなひとときである。
私は飛行機は苦手であるが、時間の圧縮には欠かせないので、
止む得なく乗るといった状態が続いている。
搭乗前、離陸、着陸が何かしら間延びと感じ、
水平飛行となっても狭い座席で余り動きが取れない上、
外の景観も雲上になると外の景観も乏しく、嫌いなのである。
こうした時は、ペットボトルの煎茶を飲みながら、雑誌か文庫本を読んだりしている。
福岡空港は2度目である。
以前、山陰地方の秋吉台、萩、津和野なとぜの周遊観光で利用したことがあったが、
殆ど空港の構内は記憶にない。
待機してくれた観光バスに乗り込むと、博多の街並みを車窓から観ても、
大都市の中心部は余り変わりことがなく、感慨が湧いてこない。
唐津に近い虹の松原を散策したが、黒松が防風林として植林されて折、
日本の各地に似たような情景が多く、
ただ玄界灘の波打ち際の海岸線を歩くと、何かしら落ち着き、
旅先と実感できたりした。
呼子はイカの名物と知られているが、唐津のホテルで、
イカのフルコースを昼食として頂いたが、素材を生かして美味である。
ロービーの売店で唐津焼のぐい呑みを少し見たが、
私なりに見た品は、数万円程度のなので、殆ど値札が合致した。
ひとつだけ購入しょうかと迷った品であったが、
取りやめて、帰路の時、後悔をしたりした・・。
この後、伊万里の秘窯の里と称される大川内山を散策し、
かっての鍋島藩が育成した伊万里焼をある程度見たが、
白磁に染付けと上絵が嫌いな私は魅了されることなく、
青磁も興味が湧かず、青空の下で咲くツツジの花の色合いを眺めたりした。
街並みの外れに登り窯が再現され、素朴なたたずまい、
丘陵に渡来させられてきた陶工の高麗人の墓に心を寄せたりしていた。
豊臣秀吉の時代、朝鮮征服を意図し、
結果として現地の陶工の人々をこの地に連れてきて、
鍋島という焼き物を古伊万里という形で完成させ、
後の人々に多大な影響を残したのは、
紛(まぎ)れもない事実といえる。
この後、平戸に移動し、街並みを散策した。
丘陵の坂道を昇ると、寺院が見え、丘の上に教会が観える。
聖フランシスコ・ザビエル記念教会であったが、
礼拝堂の館内は静寂で午後の陽射しがステンドグラスの窓を照らしていた。
そして街並みにオランダとの交易の名残りが数多くあり、
異国との交流が情緒がかもし出されている・・。
宿泊先の『ホテル蘭風』は千里浜に建つリゾート・ホテルであった。
家内と10数年前に宿泊した沖縄のサンマリーナ・ホテルとベランダから情景に比較しあい、
彼方の観える岬と入り江の景観が良かったが、
あいにくと曇り空であったので、夕陽が望めなかった。
私はこうした所で、1週間ばかり滞在し、
この周辺を散策するのも良いかしら、
と思ったりした。
夕食を終えた後、家内が入浴している間、
明日の天気予報でも見よう、とテレビのスイッチを入れた。
歌謡番組を放映していたので、洗面所で髭(ひげ)を剃った後、
テレビの前に戻ると、
長崎市の伊藤・市長が銃撃に襲われ、病院で手術を受けている、
と報じていた。
私は暗澹たる思いで、その後の臨時ニュースを1時間ばかり視聴していた・・。
そして、深夜、お亡くなりになったと知った。
翌日、私達の観光先は長崎の伊藤選挙事務所の前を過ぎた時、
肌寒く小雨の降りしきる中、献花された5ぐらいの花束の見た・・。
第3章 魅了された島々
平戸の小奇麗な街並みを後にしたが、
低気圧が日本一帯に影響し、九州も10度前後となり、
小雨の降りしきる肌寒い朝を迎えている。
佐世保の外れにある鹿子前港から九十九島の遊覧船に乗船し、
数多くの島の周辺を巡(めぐ)った。
常緑樹と新緑となった落葉樹、
そしてヒメミツバ・ツツジの花の色合いが小雨の中で染められ、
海面と島の色彩の光景は美の結晶と感じられ、私は魅了させられた・・。
北部に点在する島は、岩肌が厳しく、男性的な景観が多く見られ、
南に点在する島としては、優美で女性的な島々が多い、
と観光案内に明示されている。
私にはこうした情景が好きであるので、日本の各地を観てきたが、
松島をはじめとする数多くの島の点在する景観のこれまでの体感として、
私なりの美としては九十九島に魅了され、
心の残影はいつまでも余韻が感じられた事は確かであった・・。
この後、長崎の南山手に於いて、大浦天主堂、
グラバー園を拝観したが、小雨降る坂道も情感があったが、
九十九島の余情があったので、いつの年になるか解からないけれど、
改めて別の日に、と感じたりしていた。
第4章 ときには、イルカ・ウォッチング
長崎市街は坂道が多く驚いたりしたが、
そして宿泊先の嬉野温泉地に向かっている途中で、
小雨が上がり、曇り、そして夕方には晴れ間となった。
宿泊先の『和多屋別荘』であり、
冷え切った身体に日本三大の美肌の湯と称せられた湯は、
私のような歳を重ねた男性の身でも心地よい。
翌朝は雲ひとつなく、快晴となった。
島原半島の南端にある口之津港から、20人前後の乗船可能な小船で、
対岸にある天草地方の二江港まで一地域にイルカが観られるツアーに参加した。
家内と私は最前列に座り、多少の揺れがあっても各地の小型の遊覧船で鍛えられているので、
身をまかせていた・・。
海の潮の香り、風を受け、快晴の陽射しを身体に受けて、
快適な海上を小船は走ってた。
20分過ぎる頃、イルカの大群が見られ、小船の数メートル近くで遊泳をしたりしている。
特に家内は動物、魚群は好きなタイプであるので、
歓声をあげたりしている。
私はデジカメで10数枚撮ったが、私のつたない技量としては、
確かなことは実景の迫力には、到底かなわない、
と思ったりした。
30分前後、徐行をしながら、イルカの遊泳に満足した後、
二江港を目指して、小船は疾走した・・。
私は下船の直後、2時間20分の遊覧に満足し、
船を操縦した50代の男性に、
『想像したより・・遥かに良かったですよ・・』
と私は絶賛した。
そしてイルカのウォッチングには余り期待していなかった私さえ、
『知らない方も多いと思われますので・・
この地方の観光の目玉として更に宣伝されれば・・
お客さん・・満足しますよ・・』
と私は言葉を重ねた。
家内はそばで聴いていて、笑っていた・・。
この後、昼食は天草船長おまかせ御膳と称した地魚を主体とした料理で、
私はお膳の料理を見た直後、
『お姉さん・・ビール・・下さい・・』
と声を上げた。
この後、天草地方にある大江天主堂、殉教公園に寄ったが、
私は少し失望し、落胆したせいか疲れを覚え、
熊本空港にバスは到着した。
今回、初めて西九州の一部を短時間で周遊したが、
九十九島の点在する島々の情景、
イルカを観に海上の2時間の光景、
のちの思いになることは確かなこと、と私は呟(つぶや)いたりしている。
最終章 旅の終りは、熊本空港
初めての熊本空港であり、短い旅行であったが少し疲れを覚え、
7時発の航空便まで出発ロビーの待合室で、
6時過ぎに夕食がわりに売店で買い求めた弁当を食べたりしていた。
この後、喫煙室に入ると、ビジネスマンの十数人がいた。
出張と思われるスーツ、ビジネス・バックを見ると、
旅人のひとりの私は、何かしら申し訳ないような居心地となり、
浮かれた旅気分から現実の時に揺り戻されたりする。
定年退職後の3年生の身である私は、旅行先にこうした方々にお会いすると、
あのような時代もあったんだ、と私は振り返ったりする心持となる。
羽田空港に9時前に着陸し、京浜急行で品川、そして満員の山手腺、小田急線を利用した後、
成城学園前に戻ると、何かしらほっとしたりする。
そしてタクシーで自宅に戻る傾向がここ数年の旅行が多いが、
航空便は夕方に利用することが多かったので、
通勤の方の多い中、何かしら心身の疲れが増したりした。
・・】
このように綴っているが、やはり旅先で感じたり、思索したことは、
残念ながら写真などでは表示できないので、
たとえ拙(つたな)い綴りであっても、文章を綴り残しておくことも、
のちの想いとなり、貴重なその人なりの心の宝物かしら、
と私は微笑んだりしている。