夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

ときには、 X JAPANの名曲を視聴して・・♪

2009-02-28 17:56:04 | 音 楽
私は年金生活の5年生の64歳の身であり、ときおり音楽を聴いたりしている。
しかし、音楽の素養もなく、オペラとジャズは何かと苦手であるが、
これ以外の分野は、惚れこんだアーティストに関しては、
徹底的に聴くひとりである。

日中、スーパーの2店ばかり廻って買物をし、少しは散策した後、
昼下りの時、居間でぼんやりとしていた・・。

そして何となく、X JAPANの音楽が聴きたくなり、
音楽棚からX JAPANのCD、ビデオ・テープ、DVDの20枚前後のアルバムの中からと思ったが、
私が聴いたり、視聴していない作品があったかしら、と思いながら、
ネットで、『YouTube』サイトで検索したのである。

そして、彼らがNHKの紅白歌合戦に出場した際、
『紅』を選曲の時があり、私は視聴していなかったので、
3回ばかり繰り返して視聴したりした。

この曲をきっかけに私は、2時間ばかり、
『YouTube』サイトでX JAPANの名曲を視聴したのである。

私は【X JAPAN】に関して、数多く投稿しているが、
この中から、三つばかり再掲載するので、
私が彼らを一時期熱愛し、夢中になり、どれだけ心酔したか、
ご理解を頂けるかしら、と苦笑している。



①【 『The Last Song』 を心の中で唄えば・・♪ 】
と題して、2008年5月12日に投稿。

【・・
私は曇り空の中、少し遠回りして買物に出かけた。

人影も少ない遊歩道を歩いたりした。

私は立ち止まり、煙草に火を点(つ)けた時、
突然に私の心にひとつの歌が流れた・・。


♪傷つくだけ 傷ついて 解ったはずの答えを
 どうしてまだ 問いかける

【『The Last Song』   作詞・YOSHIKI】


私はどうしてこの歌が思いだされたのか、
自身で驚いたりしていた。

この歌は、ロック・グループのX JAPANの最後の頃の名曲であるが、
どうしてなの・・、と私は思い返したりしていた。

私はこの半月に於いて、このブログ・サイトの
【年金青年のたわむれ記~かりそめ草紙~】に
今まで4つのサイトに書き散らかした3000通前後の
投稿文を整理、統合をしたりしている。

定年退職後まもない時から綴っているが、
私の幼年期から年金生活の今日までの半生記のような内容でもある。


私は昭和19年に東京郊外で農家の子として生を受け、
小学2年の時、父に病死され、
大学を中退し、映画・文学青年の真似事をしたりした。

25歳の時に企業に何とか中途入社し、
35年音楽関係の会社に勤め、定年退職した。

私は中学時代の頃からは、表面は明るく振舞っていたが、
心の中で血みどれに自己格闘し、
ときおり確固たる根拠なく自信をもたげて独断・偏見の言動もあり、
ときには卑屈になったりして、屈折した半生でもあった。

このような心の軌跡があるので、
サラリーマンの家で生を受け、それなりの文化に育(はぐく)まれて、
大学を卒業し、大企業で勤めたエリートの人々とは、
最も遠い存在と思ったりしているのである。

このような心情を思い返してか、


♪終らない雨 抱きしめた 夜が朝を向かえる
 心はまだ濡れたまま
 傷つくだけ 傷ついて 解かったはずの答えを
 どうしてまだ 問いかけている

【『The Last Song』   作詞・YOSHIKI】


このような心の中で唄っているのである。

・・】



②【 皿洗いの時、『X JAPAN』が最適・・!? 】
と題し、2008年4月27日に投稿。

【・・
家内が留守なので、昼食後のひととき、
私は台所に立った。

台所のひとつの戸を開け、そして前掛けをして、腕まくりをした後、
皿洗いなどをしたのであった・・。

CDラジカセを持ち込んで、一枚のCDをセットした・・。

少し山積みとなった皿、丼ぶり、小鉢などを水を盛大に出しながら
スポンジでこすり洗ったのである。

心の中は、さぁ~いくぞ・・という心境である。


♪紅に染まったこの俺を慰める奴はもういない

【 『紅』 作詞・YOSHIKI 】


この後、台所の洗剤で皿などをこすった後は、
水洗いを盛大にしたのであるが、


♪もう二度と届かないこの思い
 閉ざされた愛に向かい
 叫びつづける

【 『紅』 作詞・YOSHIKI 】


この歌は私は小声であるが、
ボーカルのTOSHIに負けじと唄い続けた・・。

この名曲は、ロックバンドのX JAPANであり、
この歌は1時期、高校野球の応援歌で、
演奏されたりしていた・・。

私は水洗いをしながら、この歌を『一曲繰り返し』セットし、
唄い続けたのであるが、
不思議ながら合致するのである。

余りバラードであると、聴き込んでしまうので、
程々のハード・ロックが合うと、
小綺麗になった台所で、独り微苦笑したのである。

この後、台所の戸を開けていたので、
室内禁煙に目をつぶり、煙草を喫いはじめていたら、
玄関のチャイムが、
『コッキラ・・コ~ン!・・』鳴り出し、
私は玄関が見える窓から、そぉ~と見たら、
30前後の美麗なご婦人と幼児が立っていた。

私は自治会の役員のお方が、
共同募金の収集でお見えになったのだ、
と解かったが、前掛けと腕まくりの60代の小父さんとしては、
少しあわてたのである。

そして、私は『はぁ~い』
と大声で云いながら、
前掛けを取り、応対したのであった・・。

私は15分ほど早かったら、
見せられる格好でなく、X JAPANと共に、
小声で唄っていたのであるから、
今であってよかったよ、と呟(つぶや)いたのである。

・・】



③【 ときには、X JAPANを聴いて・・♪  】
と題し、2006年5月3日に投稿、

【・・
家内が今朝から実家に帰っている。

家内の母は、一昨年の秋に主人を亡くされ、独り住まいなので、
家内は月に一回、4泊前後で大掃除、季節変わりの衣料整理などを行っている。

私は3時過ぎから、X JAPANの『The Last Live』CDの3枚組を聴いている。

家内は程々の音量で音楽を聴いているが、
私は時折、音量を大きく聴くので、
家内の留守を幸いにして、久々にX JAPANを大音量で聴いている。

私がX JAPANに魅了させられたのは、解散前の頃であったが、
偶然『Rusty Nail』を聴いた時、鳥肌がたった・・。

私は、52歳頃であった。

それからの日は、明けても暮れても、音楽はX JAPANとなり、
CDアルバムを買い求め10枚を直ぐに超えた。

このラスト・ライブのコンサートは
1997年12月31日に東京ドームで行われたが、
私の母が危篤となり、無念ながら行けなくなった。

その後、NHKで『X JAPANの軌跡 感動のドームライブ』と題されたのが放映されてた。
1998年1月30日であり、ビデオに収録した。

それからの日々は、このビデオを毎晩観て、熱狂の時は6ヶ月ぐらい続いていた・・。

そして友人達には、X JAPANは心身のビタミンです、と公言していた。

今回、聴いたCDの3枚組は、2001年5月に発売され、
DVDの2枚組は、2002年3月に発売された。

従って、ラストライブに関しては、この3種類を聴いたり、観たりしている。

尚、ライブは観る物であり、スタジオ盤は音楽を聴く物、
と私は原則として自覚している。

・・】

このように、たった3つばかりを再掲載をしたが、
これ以外に熱い思いで数多く投稿しているが、残念ながら際限がないので、
省略する。




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遅ればせながら、『歳寒三友(さいかんさんゆう)』の言葉を学び・・♪

2009-02-28 08:20:59 | 読書、小説・随筆
私は年金生活の5年生の64歳の身であるが、
過日、私達夫婦は家内の母と3人で、長崎・雲仙に8泊9日で訪れる時、
羽田空港より、長崎空港に向けて機上の人となった。

私は飛行機の機内は、
新幹線などの電車のように車窓から風景が見えないので、何かと苦手である。
ただ、飛行機はたった2時間以内に羽田空港から長崎の地を踏めるのであるから、
やむえず時間の圧縮として利用しているのである。

私は機内の場合は、煎茶のペットボドルを持ち込んで、
この煎茶を飲んだりしながら、持参した本を読むことが多いのである。

今回、何気なし『翼の王国』と称されたANAグループの機内誌を手に取り,
何かよい随筆はないかしら、と思いパラパラの捲(めく)っていたのである。

この中で、偶然に魅せられた文があり、要約すると下記のように綴られていた。

【・・
古来、日本には花が美しいと見る文学的な思想はなく、
『栄木(さかき)』といった常緑の木に神聖を感じていた。

先進国であった唐より梅が伝わってきたが、
『鳥梅(うばい)』という薬として、日本に伝わってきた。

『万葉集』の頃から、目立って梅の歌が現われる。

梅は松、竹と共に『歳寒三友(さいかんさんゆう)』のひとつに
挙げられている。

・・】

この記事は、『萬手控(よろずてびかえ) 植物文化考』と題された連載で、
私が手にした二月号は『友好の梅』と名付けられ、
望月 昭氏が綴られた一節である。

私は全文を読み、魅了された一節だけを要約して、ノートに転記したのであるが、
この時節、梅と松、そして竹は、『歳寒三友(さいかんさんゆう)』と言葉に、
齢ばかり重ねた私は、遅ればせながら学び、
何よりも魅せられたのである。

そして、この時節、『三寒四温』という天気季語と同様に、
『歳寒三友(さいかんさんゆう)』は私にとっては心の共に相応しい、
と微笑んだりしたのである。



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