夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

定山渓温泉、冬の周辺の遊学記《5》 第4章 定山渓温泉の街並みを散策すれば

2014-02-17 16:31:49 | 
       第4章 定山渓温泉の街並みを散策すれば

2月5日
朝の6時過ぎに、部屋の窓辺から見ると、小雪が舞い降りていた。
私は少し疲れを感じたので、今日は定山渓の温泉街を散策しょう、と家内と話し合ったりした。
          

10時過ぎに宿泊している『定山渓グランドホテル端苑』を出て、
最寄りのバス停の『定山渓車庫前』を通り過ぎて、
          
路線バスも通る大通りの歩道を5分ばかり歩くと『手湯』が観えたりした。
          
そして付近には『定山渓神社』が観えたりした。
          

この神社は、5日から11日まで2014個のスノーキャンドルが灯される『雪灯路(ゆきとうろ)』が開催されるので、
後日に訪れようと私は家内に言ったりした。

その後、近くの『定山渓観光案内所』に立ち寄ったりした後、大きな橋を渡りながら、
定山渓温泉の建物の一部が景観できた。
          

私たちが訪れている定山渓温泉地は、札幌市街地から南に26km、
車を利用すれば1時間前後にあり、札幌市の奥座敷と称されている。
そして支笏洞爺国立公園内に位置し、緑豊かな渓谷の湯どころとして年間240万人程の方が訪れ、
温泉は豊平川の川底から湧いており、その川沿いに温泉街が広がっている。

そして定山渓の歴史は、慶応2年(1866年)修験僧・美泉定山(みいずみ・じょうざん)が、
アイヌの人々の案内で泉源と出会い、
幾多の困難を乗り越え温泉の礎を築いた定山の功績から、この地が「定山渓」と命名された。

このようなことを学んできた私は、立ち止まって眺めたりしたのである。

やがて再び歩きだして、温泉街の中心地を私たち夫婦は歩いたりしていると、
観光ホテルのひとつに私が敬愛している書家・詩人の亡き相田みつを氏の特有な文体が視え、
          
どうしてなの、と思ったりしていると、
この館内に、氏の展示室があり、この館の了解を得て、拝見することとした。

2階のひとつの大きな展示室には、氏の遺(のこ)された数多くの書跡が掲げられていた。
          

こうした中に、この展示室の心象のようなノート『感想文』が多くふった。
          

私も遅ればせながら20余年前の頃から、氏の書籍などから多々教示されているので、
この展示室で鑑賞後、それぞれのお方が人生の歩みを通して、それなりに氏への思いを重ねて、
ノートに記載する心情は、私なりに了解することが痛いほどに理解できた・・。

この後、1階にあるロビー風の休憩室に於いて、コーヒーを飲んだりしたが、
この休憩室の状景に瞬時に魅了されたりした。
          

やがて、この観光ホテルを辞する時、『ぬくもりの宿 ふる川』と私は視て、実感を深めたりした。
          

そして街の中心から歩きだし、コンビニに立ち寄ると、レジの近くに微笑ましいポスターがあり、
私は記念に撮ったりした。
             
この『豆大福』を賞味した家内は、お気に入りとなり、6個ばか買い求めたりしていた。

その後、『月見橋』と命名された大きな橋にさしかかと、温泉街の渓谷の状景が観えた。
          
そして橋を渡りきると小公園が『定山源泉公園』と解り、微苦笑したりした。

小雪舞う中を3時間ばかりの散策となったが、やがて帰館に向かった。
                                《つづく》
          
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定山渓温泉、冬の周辺の遊学記《4》 第3章 念願の『銭函』駅に訪れて

2014-02-17 12:37:46 | 
       第3章 念願の『銭函』駅に訪れて

2月4日
私は小学4年生の頃から、独りで映画館に通って映画を鑑賞した映画少年であり、
ここ30数年は居間にある映画作品のビデオ、DVDをときおり観たりし、
20世紀良き時代の名画をこよなく愛するひとりである。

こうした作品の中のひとつに、降旗康男 ・監督の『駅 STATION』(1981年)がある。
この作品はオリンピックの射撃選手であり、警察官でもある一人の男が、
それぞれの事件を通して彼の心を通り過ぎていく女性たちをくまなく描き、
人生の哀歓を圧倒的な筆力で主演・高倉 健に捧げたと伝説される脚本の倉本 聰の作品でもある。

私が鑑賞してきた邦画の少なくとも5000作品の中で、最も好きな作品で、
監督の降旗康男、主演・高倉 健、そして脚本・倉本 聰のトリオの英知が発露された作品となり、
降旗康男、高倉 健、倉本 聰の各作品を鑑賞してきた中で、最も優れた作品と絶賛するひとりである。

この作品のファースト・シーンは、国鉄時代の1968年の北海道の『銭函』駅が駅舎が表われ、
そしてホームの情景となる中、
警察官の英次は雪の降り続くホームで、妻の直子と、四歳になる息子義高に別れを告げた。
やむなく離婚を承諾した直子は、動き出した汽車の中で、英次に笑って敬礼するが、その目には涙が溢れていた。

このファースト・シーンひとつでも、人生の哀歓、愛惜を描き、
感動を超えて感銘させられる名シーンである。

このような心情を秘めた私は、いつの日にか『銭函』駅に訪れてたい、と念願してきた・・。

確か15年前の頃、勤めていた会社の勤続30年の特別休暇5日間を利用して、
私はオーホック海の流氷、家内は札幌の雪まつりを目的に2月初旬に旅をした。

そして厳粛な流氷の状景に感銘させられた2日間後、『網走』駅より日中に於いて特急列車で『札幌』駅に着き、
そして今宵の宿の『小樽』駅に向かっている車内で、不覚にも旅路の疲れで私は眠ってしまい、
『銭函』駅を通り過ぎたのを見過ごししてしまった・・。

目覚めた時、家内からは、
『銭函』駅のプラットホームに、銭函の大きな箱が飾ってあったわ、
と私は教えられて、私は苦い想いのひとつとなっていた。

こうした思いのある私は、今回の定山渓温泉の観光ホテルに滞在する中、
『銭函』駅に訪れることも必須の課題のような心情となっていた。

そしてこの日の4日、私たち夫婦は宿泊している近くの『定山渓車庫前』のバス停より、
          
路線バスに乗り、地下鉄の南北線の『真駒内』駅に向かい、
その後『真駒内』駅から『札幌』駅に着いた後、JR函館本線で小樽方面に乗車した後、
30数年念願してきた『銭函』駅に下車した・・。
          
やがてホームを歩き、銭函を確認できたが、以前は吊るって飾ってあった、
と家内に言われたりし、鎮座している銭函を複雑な思いで眺めたりした。
          
そして構内を出て、念願の駅舎の前景を取ったりしていると、小雪が舞い降りてきた・・。
          
やがて街中を私たちは歩き、海辺の観える処を探したりし後、海上に小雪が降る情景を長らく見つめたりした。
          

この後、駅に近い食事処を探し求めていた時、一軒の海鮮料理店に入った。
          
カンウター席、この横に畳上の座卓が並ぶ中、海上が眺められる窓際の座卓席に私たちは座り、
私は生の『鰊(にしん)』を焼いて頂き、ビールを2本ばかり呑み、
家内は『鰊』の刺身、太刀(白子)の天ぷら、イカ、生ダコ、マグロの握りを頂きながら、
ノン・アルコールのビールを呑んだりした。

この間、私たちは窓際から素朴な木造のベランダを視たりし、
雪の降る冬以外は、あのようなベランダに座り海を眺めるのは最上の情景のひとつだよねぇ、
と私は家内に言ったりした。

やがて私たちは満喫したひとときを過ごし、帰路に向った。
そして『銭函』駅のホームで、『札幌』駅に向う列車を待ったりした。
          
この後の私たちは、何かと単細胞の私に相応しく、帰路も同じように帰館した。
                                  《つづく》
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定山渓温泉、冬の周辺の遊学記《3》 第2章 豊平峡温泉は圧倒的に魅了された湯処

2014-02-17 07:54:15 | 
       第2章 豊平峡温泉は圧倒的に魅了された湯処

2月3日
今回の旅路の前の自宅で下調べの時、ネットで家内は『豊平峡(ほうへいきょう)温泉』を見つけて、
私はこのネットに掲載されている内容を視たりしていると、瞬時に魅せられて、
行きましょう、と私は家内に言ったりした・・。

私たちが宿泊滞在している定山渓温泉地の片隅から、奥地の高台にあるようで、
宿泊している観光ホテルの一分先ぐらいにあるバス停『定山渓車庫前』からは、
路線バスに乗車して10数分たらずの処に『豊平峡温泉』がある。
          

私たち夫婦は少し雪深いバス停の『豊平峡温泉』を下り立つと、
どんよりとした曇り空で、ときおり小雪舞う中、木造の一軒家が忽然と観え、私たちは向った。
          

そして1階は靴入れ箱に履いている登山靴を入れたし、
受付で入湯料、フェイスとバスタオルの貸出し料金を支払った後、
2階には大広間の休憩室、ロッカーなどが見られ、
3階は貴重品のロッカー、そして浴室には脱衣場、大浴場、隣接の奥には露天風呂があるようであった。

私は大浴場に入浴して、身も心も湯あたりが圧倒的に良く、
《”鮮度がいのち”
当泉は北海道内でも希少といわれる源泉100%のかけ流し温泉です。
薄めず(無添加)・沸かさず(無加温)・循環させずの「本物の温泉」を心ゆくまで
ご堪能ください・・》
と記載されていた公知文に思い重ねて、
これまで私が50幾余年の旅で体験してきた限り、圧倒的に突出した湯処であった・・。

やがて解放感のある露天風呂に心も身も波長に合う湯にあずけて、周辺の景観を視たりし、
旅に来た・・と今回の旅路で初めて自覚させられたりした。

そして近くにいた見知らぬ60代風の男性と何気なしに会話が始まり、
やがてこの男性は神戸市にお住まいの人で、北海道の旅を幾たびか重ね、温泉大好きな人と知り、
私たちは10数分、これまでの色々な旅路の温泉のあれこれを談笑を重ねたりした。

この後、風呂上りの私は露天風呂、大浴場の近くの情景を撮ったした。
          

やがて大広間の休憩室で私は家内と合流した後、
しばらくこの『豊平峡温泉』の館で、ゆっくりと過ごしませんか、
と家内の提案に基づき、私たちは貸個室を借りた。

この少し前に館内めぐりしていた私は、3時間で2000円の個室を知り、
家内に伝えたので、この結果として私たちは利用させて頂いた。

貸個室は3部屋あるらしく、この一室をお借りしたのであるが、
8畳から10畳ぐらいの広さで、防寒コート、セーター、フリースのジャケットなどを衣紋掛けできる場所もあり、
簡素な和室風で、くつろげる部屋であった。

その上、横たわると床底には湯管が配置されているらしくオンドルのように暖かいょ、
と私は家内に言ったりした。
そして私は缶ビールを呑んだりして、ときおり窓辺から観える状景を視たりした。
          

そして目を転じれば、遥か彼方の山裾も見え、好感できる情景であった。
          

私たちは、この湯処の『豊平峡温泉』に魅了され、旅の最終日の15日の土曜日に、
滞在している観光ホテルに朝チェックアウトの後、この館で4時間ぐらい過ごして、
この後に新千歳空港に向おう、と話し合ったりした。

しかし世の中は不思議なことが多々あるが、いつの日にスノーシューを学びたく、根底に秘めていた私は、
たまたま旅の最中の11日の火曜に於いて、この『豊平峡温泉』にオプションとしてスノーシューがあり、
ここの管理スタッフの方の指導に基で、私たち夫婦は生まれて初めてのスノーシュー初心者コースで、
高揚しながら雪上を歩いたりし、
今回の旅路で3日ほど『豊平峡温泉』に心酔するように通ったりしたのである。

                        《つづく》

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