夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
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定山渓温泉、冬の周辺の遊学記《最終》 最終章 旅の終わりは豊平峡温泉

2014-02-21 09:07:54 | 
       最終章 旅の終わりは豊平峡温泉
2月14日
私たち夫婦は、定山渓温泉地の片隅にある『定山渓グランドホテル端苑』に
2日の夜より15日の朝まで13泊宿泊滞在しているが、
いよいよ明日の15日の朝に、この観光ホテルに別れを告げる為に、
家内はこの日の14日の日中は荷物整理としていた。

今回、私たちは旅行用のスーツケースは二つ用意して、
ひとつの大きなアルミ製のスーツケースは、宅配便を利用して往復させ、
程ほどの大きさの強固なナイロン地のスーツケースは、登山靴などを収納させたのを私が牽(ひ)いて、
自宅より往還させる予定で出発してきた。

いずれにしても昨年の石垣島にこの時節に9泊10日で東京の5月のような暖かい滞在と違い、
雪のある地であるので防寒に関する衣服が多いので、ふたつのスーツケースとなってしまった。

こうした衣服の整理は、我が家は家内の専業であるので、
この日の私は館内で買い求めてきた本、雑誌を読んだりしていた。
部屋の窓際の椅子に座ったり、ときにはベットに横たわりながら、
或いはロビーの片隅で読んだりしていた。
          

こうした時、今回の旅路を思い重ねたりした。
2日の夜にチェックインした後、3日は近くの『豊平峡温泉』の湯処に予期した以上に満喫した。
4日は、私が念願してきた『銭函』駅に訪れたりしてきた。

5日には定山渓の温泉街を散策し、6日には『さっぽろ雪まつり』を鑑賞したりしてきた。
そして7日の夜には、滞在している観光ホテルから歩いて10分足らずの『定山渓神社』で
『雪灯路(ゆきとうろ)』を観たりした。

8日は『北海道 開拓の村』に遠征したり、
9日は休養日として本を寄りだり、昼過ぎに露天風呂に入ったりしていた。

10日は何かしら路線バスで10余分にある小金湯温泉地の『湯元 小金湯』に行ったり、
11日は『豊平峡温泉』のオプションのスノーシューに、
私たち夫婦は生まれて初めて体験した後、この湯処で貸し個室をお借りして、
湯船の大浴場、露天風呂に満足を実感されられたり、食事処でインドカリーとナンを賞味したりした。

12日は札幌市の中心街を散策したり、
13日には小金湯温泉地のもうひとつの湯処の『まつの湯』に行ったりした。

このようなことをロビーの渓谷を視える所で、思い馳せたりした。
          
過ぎぎ去ってしまえば実に早いが、私たちは出来る限り日に一箇所を遊学してきたので、
それなりに思いが深く残影している・・。

2月15日
朝食後、大きなスーツケースを宅配便に委託する為に、ロビーの片隅の専用受付所で依頼し、
やがてチェックアウトとした後、私たちは路線バスで『豊平峡温泉』に向った。
          
私たち夫婦は3日に初めて訪れ、予期した以上に満喫し、
11日にはこの館のオプションのスノーシューに参加した後、湯に入ったりした後、
食事処でインドカリーとナンを賞味して、瞬時に好感を増したりした。

受け付けて、いつものように貸し部屋をお借りして、旅の最後として4時間とし、
圧倒的に魅せられた大浴場、そして露天風呂に入浴した後、
食事処で特有な味覚のあるインドカリーとナンを頂だいたりした。

そして部屋に戻り、窓から前景を眺めたりした。
          
その後、家内が再び入浴に行っている間、畳み状のオンドルのような暖かい部屋で、
横たわりながら本を読んだりした。

やがて家内が戻ると、支配人らしいお方から、源泉で作った石鹸、頂いたわ、
と家内は言いながら、私に手渡した。
          

お客とサービスの度合いが難しい中、この間の管理スタッフ、オプションの指導員の方でも、
お友達と違う程ほどの親睦感、そして距離感に私たち夫婦は好感してきた上、
思いのある品を頂戴し、良き記念品を頂いたねぇ、と私は家内に言ったりした。

やがて私たちは、予約していた『かっぱライナー号』の大型バスの出発時が近づいてきた。
この『かっぱライナー号』は豊平峡温泉、定山渓温泉から札幌駅までの直行便である。

やがて私たちは直行便に乗車して、名残り惜しい『豊平峡温泉』に別れを告げた。
          
そして札幌駅前に到着後、私たちはJR千歳線に乗車して、『新千歳空港』で下車した。

やがて私たちは出発ロビーで、19時30分発の航空便を待機していたが、
東京の羽田空港が過日の大雪の影響で欠航にあったし、もとより新千歳空港も影響があり、
出発ロビーはキャンセル待ちの方たちが長蛇の列で混雑していた。

結果として私たちが機内に乗席できて、離陸できたのは1時間半遅れの21時であった。
やがて羽田空港に着陸し、私たちが預けていたスーツケースを受け取ったのは、
23時過ぎてあった。
そして私たちは東京郊外の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅の自宅の最寄駅に着いたのは、
深夜の12時過ぎであった。

余談であるが、私たちは最寄駅でタクシーを乗ろうと思っていたが、
平素はタクシーが客待ちで数多く並んでいるが、私たちのようにタクシー待ちの長蛇の列だったので、
やむなく積雪残る夜道を歩いて帰宅できたのは、深夜の12時半であった。

そして門扉から玄関先、そして庭の大半は残雪があり、せめて門扉から玄関まで雪かきをした。
私の住む地域は冬の時節は、天上の気候の神々のきまぐれな采配により、わずか5センチ前後は降る時もあり、
何かと雪舞い降る情景にみせられて、私たちは北国の旅路をしてきたが、
家に帰ってきて早々、深夜に雪かきかょ、と私は家内に微苦笑しながら言ったりした。
                                  《連載、終了》
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コメント (2)
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