私は東京郊外の調布市に住む年金生活の69の身であるが、
冬の時節は私たち夫婦は雪の舞い降る情景に魅せられて、この時節になると、雪恋し、心情となり、
昨年の12月中旬になると、旭川市の郊外にある天人峡温泉に3泊4日で訪れ、
スノーパウダーと称されている粉雪(こなゆき)舞い降る情景に心を満たされたりした。
そして本年の1月に、函館市の郊外にある湯の川温泉の観光ホテルに、
1月中旬に4泊5日で滞在して、函館市の市内、郊外を歩き廻り、遊学してきた。
この後、2月初旬に札幌市の郊外にある定山渓温泉の観光ホテルに13泊14日滞在し、
定山渓温泉地の周辺、札幌市内の郊外、そして市内の中心街を歩き廻ったりした。

この滞在中、東京は40数年ぶりの大雪が降った、とテレビのニュースで視聴したりした。
私の住む地域は世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅であるが、
平年は天上の気候の神々の采配に寄り、冬の時節にわずか5センチ前後は降る年もあるが、
どうして何10年ぶりの大雪なのょ、と気まぐれな気候の神々の采配に戸惑ったりした。
そして旅路の最終日、『新千歳空港』の出発ロビーで私たち夫婦は、
19時30分発の航空便を待機していたが、
東京の羽田空港が過日の大雪の影響で欠航にあったし、もとより新千歳空港も影響があり、
出発ロビーはキャンセル待ちの方たちが長蛇の列で混雑していた。
結果として私たちが機内に乗席できて、離陸できたのは1時間半遅れの21時であった。
やがて羽田空港に着陸し、私たちが預けていたスーツケースを受け取ったのは、
23時過ぎてあった。
そして私たちは自宅の最寄駅に着いたのは、深夜の12時過ぎであった。
私たちは最寄駅でタクシーを乗ろうと思っていたが、
平素はタクシーが客待ちで数多く並んでいるが、私たちのようにタクシー待ちの長蛇の列だったので、
やむなく積雪残る夜道を歩いて帰宅できたのは、深夜の12時半であった。
そして門扉から玄関先、そして庭の大半は残雪があり、せめて門扉から玄関まで雪かきをした。
何かと雪舞い降る情景にみせられて、私たちは北国の旅路をしてきたが、
家に帰ってきて早々、深夜に雪かきかょ、と私は家内に微苦笑しながら言ったりした。
翌日からは、家内は洗濯の合間に掃除をしたり、料理をしているが、
平素の買物専任者の私は、いつものようにスーパーなどに行ったり、
旅路で撮った数多くの写真を整理した後、このブログサイトに旅路のことを13通ばかり投稿して、
何かと愚図の私でも慌ただしく過ごしてきた。
こうした中で、小庭の雪も溶け、白梅が満開となったりした。

昨日の朝、澄み切った青空で、陽射しを受けたりすると暖かく、防寒コートを置いて、
薄手の冬のスポーツシャツの上にジャケット風のフリースの容姿で、
午前の11時過ぎに駅前のスーパーに買い物に向った。
そして散歩を兼ねて遊歩道を歩いていた時、白梅の精麗な満開となった花びら、
紅梅の朱紅色の七分咲きを足を止めて眺めていたら、
単細胞の私はひとつの歌を心の中で唄ったりした・・。
恥ずかしながら記載すれば、キャンディーズの『春一番』の歌である。
http://www.youtube.com/watch?v=NWBVfUiXIis
☆Youtube《『春一番』 作詞、作曲・穂口雄右、唄・キャンディーズ》☆
この歌は確か1976年(昭和51年)3月初めの頃から、街に流れていたと記憶している。
この当時の私は、音楽業界のあるレコード会社で、管理系の情報畑で奮戦している中、、
私のプライベートは前年に婚約を終え、3月の下旬に結婚式がまじかな時であり、
多忙ながら心も身も高揚していた時であった。
キャンディーズは他社のCBSソニーの専属であったが、
三人の麗しき乙女たちが健気に唄って、素人さが見え隠れするので、私は好感していたひとりであった。
このような心情を秘めていた私は、早春を迎え、春先の空気を感じられ、
春到来かしら、と感じる時、私は心の中で唄ってしまうのが、ここ30数年の習性となっている。
本日も昨日に続き、3月のような陽気に恵まれ、私は買物が終わった後、
こっそりとスキップしながら遊歩道を独り歩き廻っている・・。
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冬の時節は私たち夫婦は雪の舞い降る情景に魅せられて、この時節になると、雪恋し、心情となり、
昨年の12月中旬になると、旭川市の郊外にある天人峡温泉に3泊4日で訪れ、
スノーパウダーと称されている粉雪(こなゆき)舞い降る情景に心を満たされたりした。
そして本年の1月に、函館市の郊外にある湯の川温泉の観光ホテルに、
1月中旬に4泊5日で滞在して、函館市の市内、郊外を歩き廻り、遊学してきた。
この後、2月初旬に札幌市の郊外にある定山渓温泉の観光ホテルに13泊14日滞在し、
定山渓温泉地の周辺、札幌市内の郊外、そして市内の中心街を歩き廻ったりした。

この滞在中、東京は40数年ぶりの大雪が降った、とテレビのニュースで視聴したりした。
私の住む地域は世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅であるが、
平年は天上の気候の神々の采配に寄り、冬の時節にわずか5センチ前後は降る年もあるが、
どうして何10年ぶりの大雪なのょ、と気まぐれな気候の神々の采配に戸惑ったりした。
そして旅路の最終日、『新千歳空港』の出発ロビーで私たち夫婦は、
19時30分発の航空便を待機していたが、
東京の羽田空港が過日の大雪の影響で欠航にあったし、もとより新千歳空港も影響があり、
出発ロビーはキャンセル待ちの方たちが長蛇の列で混雑していた。
結果として私たちが機内に乗席できて、離陸できたのは1時間半遅れの21時であった。
やがて羽田空港に着陸し、私たちが預けていたスーツケースを受け取ったのは、
23時過ぎてあった。
そして私たちは自宅の最寄駅に着いたのは、深夜の12時過ぎであった。
私たちは最寄駅でタクシーを乗ろうと思っていたが、
平素はタクシーが客待ちで数多く並んでいるが、私たちのようにタクシー待ちの長蛇の列だったので、
やむなく積雪残る夜道を歩いて帰宅できたのは、深夜の12時半であった。
そして門扉から玄関先、そして庭の大半は残雪があり、せめて門扉から玄関まで雪かきをした。
何かと雪舞い降る情景にみせられて、私たちは北国の旅路をしてきたが、
家に帰ってきて早々、深夜に雪かきかょ、と私は家内に微苦笑しながら言ったりした。

翌日からは、家内は洗濯の合間に掃除をしたり、料理をしているが、
平素の買物専任者の私は、いつものようにスーパーなどに行ったり、
旅路で撮った数多くの写真を整理した後、このブログサイトに旅路のことを13通ばかり投稿して、
何かと愚図の私でも慌ただしく過ごしてきた。
こうした中で、小庭の雪も溶け、白梅が満開となったりした。

昨日の朝、澄み切った青空で、陽射しを受けたりすると暖かく、防寒コートを置いて、
薄手の冬のスポーツシャツの上にジャケット風のフリースの容姿で、
午前の11時過ぎに駅前のスーパーに買い物に向った。
そして散歩を兼ねて遊歩道を歩いていた時、白梅の精麗な満開となった花びら、
紅梅の朱紅色の七分咲きを足を止めて眺めていたら、
単細胞の私はひとつの歌を心の中で唄ったりした・・。
恥ずかしながら記載すれば、キャンディーズの『春一番』の歌である。
http://www.youtube.com/watch?v=NWBVfUiXIis
☆Youtube《『春一番』 作詞、作曲・穂口雄右、唄・キャンディーズ》☆
この歌は確か1976年(昭和51年)3月初めの頃から、街に流れていたと記憶している。
この当時の私は、音楽業界のあるレコード会社で、管理系の情報畑で奮戦している中、、
私のプライベートは前年に婚約を終え、3月の下旬に結婚式がまじかな時であり、
多忙ながら心も身も高揚していた時であった。
キャンディーズは他社のCBSソニーの専属であったが、
三人の麗しき乙女たちが健気に唄って、素人さが見え隠れするので、私は好感していたひとりであった。
このような心情を秘めていた私は、早春を迎え、春先の空気を感じられ、
春到来かしら、と感じる時、私は心の中で唄ってしまうのが、ここ30数年の習性となっている。
本日も昨日に続き、3月のような陽気に恵まれ、私は買物が終わった後、
こっそりとスキップしながら遊歩道を独り歩き廻っている・・。
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