夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

つたない私の人生で、『谷間に三つの鐘が鳴る』ことは、わずか一度だけ!?

2015-06-03 13:44:25 | ささやかな古稀からの思い
私は音楽の楽譜も読めなく、楽器も弾けない拙(つたな)い身であるが、
幼年時からラジオから音楽を聴いたりしてきた為か、70歳の今でも読書、そして映画に続いて、
何かと音楽を聴いたりしている。

昨夜、たまたま私が高校一年の1960年(昭和35年)春の頃、
街中に流れていた『谷間に三つの鐘が鳴る(The Three Bells)』を聴いたりした。

あの当時、欧米の山里の町で教会が、それぞれ住民の誕生、そして結婚、やがて死去の告別に際して、
鐘を高らかに鳴らし、多く住民が共有した意味合いの歌だった、と私は解釈したりしていた。

そして人は誰しも、数多く方から祝賀されるのは、生まれてきた誕生日、
やがて新たな家庭を築く両家の新郎新婦の祝賀会の結婚・披露宴であり、
或いは死去された時は、多く方から哀悼させられて告別に参列する・・
このように私は人生の3大出来事、と私は思ったりしている。

このように思案してきた私は、つたない人生航路を歩んできた私は、
果たして・・と思い馳せたりした・・。
          

私は今住んでいる近くの東京の調布市の片隅に住に生家があり、
1944年〈昭和19年〉の秋に農家の三男坊として生を受けた。

そして私は長兄、次兄に続いて生まれた三男であり、
農家の跡取りは長兄であるが、この当時も幼児に病死することもあるが、
万一の場合は次兄がいたので万全となり、今度は女の子と祖父、父などは期待していたらしい。

やがて私の後に生まれた妹の2人を溺愛していた状況を私なりに感じ取り、
私は何かしら期待されていないように幼年心で感じながら、
いじけた可愛げのない屈折した幼年期を過ごした。

しかしながら両親、祖父、父の妹の叔母、そして長兄、次兄のもとで育(はぐく)まれたが、
もとより誕生した時は私は自覚がなかったのである。
          

やがて私たち夫婦の結婚式、そして披露宴に於いて、
数多くの方より祝賀されて、これまでの人生で初めて『主役』になれたりした。

そして今後の天上の神々の采配により、私がこの世と別れを告げた時の後、
葬儀の内容は家族葬を要望しているが、こうした時も命の果てた私には解らないのである。


こうした関係により、つたない私の人生で数多くの方たちの中、恥ずかしながら『主役』になれたのは、
新郎新婦の両家の結束を固める結婚式であり、
その後の数多くの知人、友人、親戚たちから祝賀される結婚披露宴だった、と私は思ったりした。
          

                          
私は小、中学時代は劣等生であり、高校時代には生まれて始めて授業の楽しさを覚えたりする中、
何とか優等生のグループになったりした。
そしてクラブは写真部に所属して、風景部門で最優秀を頂いたこともあるが、
これはクラブの部員の中で選定された、文化祭のセレモニーのひとこまに過ぎなかったりした。

やがて35年近くのサラリーマン時代には、わすか一度だけ社長から、社に多大に貢献したと、
表彰式を設けられて感謝状と共に金一封を頂いたこともあるが、
こうしたことも勤務して、たまたま期待された業務に命ぜられ、重責の中で奮闘し、
もとより今後の更なる奮戦を期待を込められたセレモニーである。
          

世の中の数多いサラリーマンは定年退職に於いては、
職場で多く方に囲まれて花束を贈呈され、拍手喝采中、職場を去ることが多く、
この退職する数週間前の頃から歓送会が幾たびか開催されている、と私は学んだりしていた。

私は音楽業界のあるレコード会社に勤めている中で、
1998年〈平成10年〉に音楽業界の売上の主軸となるCDがピークとなり、
この前後は、各レコード会社が社内業務の見直し、組織の大幅な改定、グループ会社内の統廃合、
そして資本による合併などが行われたりした。

これに伴ない、正社員のリストラが行われ、
人事配置転換による他部門の異動、出向、早期退職優遇制度により退職が行われ、リストラ烈風となった。
こうした中で、私の勤めいていた会社も、人事配置転換による他部門の異動、出向、早期退職優遇制度が実施された。
                    
やがて私も1999年(平成11年)の新春、出向となり、
出向先は各レコード会社がCD、DVDなど音楽商品を委託している物流会社であった。
         
やがて出向先の物流会社も大幅なリストラが実施されたり、
私が30年近く勤めてきた出向元のレコード会社でも、幾たびかリストラ烈風となる中、
私の先輩、同僚、後輩の一部が定年前の退社の連絡、或いは葉書で挨拶状を頂いたりし、
私は出向先で2004年〈平成16年〉の秋に、何とか定年退職を迎えることができた。
          

この間、確かに私が30年近く勤めてきた出向元のレコード会社でも、リストラ烈風の前には、
私も先輩方たちの歓送会に幾たびか出席したりしてきた・・。

そして私の同僚のふたりが、私が定年退職の時、歓送会の幹事をすると私に約束してくれたが、
リストラ烈風の中、私が出向3年生の時に肝要な同僚のふたりが、リストラをされて退社し、
はかなくも30年近く勤めてきた出向元のレコード会社の中での私の歓送会は、まぼろしとなってしまった。

しかしながら私が出向時の直前に営業本部に所属していたので、盛大な歓送会を開催して下さり、
私は今でも感謝している。

こうした中、誰しもがリストラ烈風の中、のどかな定年退職時の歓送会などは、
開催されることは少なくなった。

私の場合は物流会社の中のひとつの商品センターに出向であり、
職場はセンター長をはじめとする私を含めて正社員の5名の中、
若手の20代を中核とした男性の契約社員、アルバイトの10名前後、
そして30代と40代の多い女性のパートの120名前後の職場であった。

この最後の勤務8月の月末日、商品センターが出荷作業が一段落した後、
朝礼形式の全員並ぶ中、私は退職の挨拶をした後、女性のパート方達から花束、贈呈品、
そしてこの後に、色紙に多くの方からの短かなメッセージ、ある方からは丁重なお手紙の礼状を頂いたりした。

そして物流会社の本社に挨拶に出向いた後、
夜のひととき、商品センターの有志10数名から歓送会を開催して下さり、
後日の9月中旬に物流会社の本社、商品センターの有志で20数名で歓送会をして下さった。

或いは私が30年近く勤めてきた出向元のレコード会社の有志20数名は、
リストラ烈風の中でも定例的な懇親会を幾たびか開催してきたが、
10月下旬の時、私は定年退職を迎えることができたことに御礼の言葉を述べたりした。

このようにリストラ烈風の中、のどかでおめでたい退職時の情況は、私の場合は出向身分もあり、
大きく変貌してしまったりした。
                               

こうしたことは、『谷間に三つの鐘が鳴る』のような『主役』の範疇は、もとより対象外のイベントであり、
卑屈で何かと劣等感が多い人生を歩んできた私は、
『主役』になれた結婚披露宴の若かった私、新妻のだった家内、知人、友人たち・・
それぞれのしぐさ、言動を思い馳せて微苦笑をしたりした。


余談であるが、この『谷間に三つの鐘が鳴る』の歌の原曲は 
私がシャンソンに夢中になっていた1973年(昭和48年)の当時、
エディット・ピアフが戦後間もない時に『三つの鐘』を歌っていた、と私は初めて学んだりした。

谷間を舞台に人の一生を歌い、生まれて、愛して、死ぬ、このサイクルを鐘の音に重ね合わせて歌い、
三つの鐘とは、この三つの節目にそれぞれ鳴り響いた鐘、と知ったりした。


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