私は齢ばかり重ねた年金生活の70歳の身であるが、
先程ぼんやりと、初めて『小父(おじ)さん』と呼ばれた頃、
或いは『叔父(おじ)さん』と呼ばれた頃の遠い昔を思い浮かべ、
あのようなことがあったなぁ、思い馳せたりした。
私が生れて初めて『小父(おじ)さん』と呼ばれたのは、
確か40代の初めの頃だったので、1985年(昭和60年)の頃と思われる・・。
この当時の私は、音楽業界のあるレコード会社の情報畑で、システム開発で奮戦していたが、
何とか軌道にのせた土曜日の休日出勤務した夜、
自宅からの最寄駅の『成城学園前』の最寄にあるタクシー乗り場から、
疲れ切っていたので、タクシーに乗った。
やがて自宅の近くの大通りで、私は下車した直後、
すぐに空車を探していた若き女性の3人がタクシーに乗り込んだ。
タクシーのドライバーは効率が良いね、と私は心の中で微笑んで歩き出した時、
『おじ(小父)さ~ん・・本・・忘れている!』
とタクシーの車内から、若き女性のひとりから大声で言われたりした・・。
私はこの女性にお礼の言葉を言いながら、単行本の本を受け取ったりした。
この後、私は自宅に向かいながら、俺もおじ(小父)さんになってしまったかょ、と微苦笑したりした。
そして『おじ(叔父)さま』と呼ばれたことも、私は思いだしたりした・・。
私が45歳前後の頃であったので、25年前の確か梅雨の季節だった。
私は雨が降ると、少し長め傘を持ち、大きく広げて差したりしている。
雨降りしきる中、少し風が吹いても、自身の身体はもとより、
手持ちの通勤バックなどが濡れるのが嫌いで、少し重いが長めの傘を愛用している。
私は六本木に所在している会社を退社した後、
自宅の最寄駅の『成城学園前』のタクシー乗り場に並び、
夜の11時過ぎ、雨の降る中、傘を差していた・・。
私の前に20人ぐらい並んでいて、1番後方だった。
しばらくすると、私の後方に人影を感じた。
私は左手にアタシュ・ケースを提げて、スーツのズホンが濡れないように、傘を深く差していた。
後方から、
『おじ(叔父)さま・・かしら?・・』
と声がした。
私は振り返ると、若い女性のツーピース姿を見た。
『XXちゃんか・・しばらく・・』
と私は言った。
遠い親戚の娘さんだった。
私はこの娘を私の立っている場所の前に譲り、
『ずいぶん・・遅いんだね・・』
と私は言った。
そして雨のしずくが水色のツーピースに掛からない程度に、傘かしげにした後、
少し間隔を開けた・・。
『おじさま・・知らなかった?・・私、今年から銀行にお勤め・・』
とこの娘は私に言った。
『大学に行ったのは聞いていたけど・・
そうかぁ・・社会人の一年生かぁ・・何かと大変でしょう・・』
と私は言った。
『思ったより楽しいけれど・・勤務時間が長くて・・今日もこんな時間になって・・』
と微苦笑しながら、私に言った。
『おじさんの所もね・・金融関係と違うけれど・・何かと忙しいょ・・』
と私は言った。
雨がしきりに降っていた・・。
まもなく並びの列の先頭となり、タクシーにこの娘が乗り込む寸前、
『おじ(叔父)さま・・お先に・・ありがとう・・』
と笑顔を浮かべながら私に言った。
私は走り去るタクシーの尾灯を見送った。
私は兄妹の子供の甥っ子の4人からは、この7年前の頃からは、
『XXおじ(叔父)さん・・』と私の名前を付けて、何かと親しく呼ばれていたが、
遠い親戚の娘さんから、叔父さま、と呼ばれたのは初めてのことであり、鮮明に心の片隅に残っている。
このような私のささやかな『おじさん』、『おじさま』の思いでを秘め、
高齢者の70歳となった私は、時は余りにも早く過ぎ去り走馬灯のような、遠い思いでとなっている。
私たち夫婦は無念ながら子供に恵まれなかったので、もとより孫がいない。
友のひとりから、65歳を過ぎた高齢者になったら、『おじいさん』とよばれることが多いょ、
と私は言われたりした。
そして孫からは、『おじいちゃん』と呼ばれているょ、と友から私は教えてもらい、
やがて私は微苦笑したした。
私は2004年(平成16年)の秋に定年退職とた後、多々の理由で年金生活を始めたが、
買物、散策をしたりする往復路で、何かとご近所の奥様の数人と立ち話をすることが多い。
何かしら私は母の遺伝を素直に受け継いだ為か、男の癖におしゃべりとなっている。
そして私は、大きな声で明るくユーモアをまじえながら話したりすると、
あなたはお若いわ・・、と社交辞令のお世辞を頂くこともある。
こうした時の私は、世の中の多く人たちから、
人生の3大支出は教育資金、住宅資金、老後資金と言われたりしているが、
たまたま我が家は子供の「教育資金」は不要となったので、
人生の苦楽が欠落している為か、と思ったりしている。
私は年金生活を11年生となっているが、買物とか散策する時は、
高齢者こそ清潔感のある服が大切ょ、と家内から言われたりしている。
そして私はストレッチパンズの長ズボン、スポーツシャツ、ウォーキング・シューズとなり、
紳士用の小物入れのショルダー式バックを斜め掛けをして、颯爽と歩くことが多い。
一週間前の頃、自宅の近くの公園を散策し、花木の写真を撮っていたら、
何かしら見知らぬ男の子の幼児が、私の近くに寄ってきて、私にまといついてきた・・。
そして私は近くのベンチで、若き奥様がベビー・カーを前に、腰かけていた。
『XXちゃん・・こっちにいらいしゃい』
と若き奥様が幼児に言ったりした。
やがて私にまといついていた幼児は、若き奥様に近づいて行った。
まもなく若き奥様がベビー・カーに幼児の乗せたが、
この幼児は私に盛んに手を振ったりした。
そして私も微笑みながら手を振ると、
『ご迷惑・・お掛けしまして・・XXちゃん・・おじさんにお別れしましょうねぇ』
と若き奥様は私に会釈した後、幼児に言ったりした。
そして2歳未満と思われる幼児は、おじちゃ~ん、さような~ら、と私に手を振ったりした。
このようなささやかな出来事を私は思い馳せたりし、
私は未(いま)だに、『おじいさん』と呼ばれたことはなく、今日に至っている。
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先程ぼんやりと、初めて『小父(おじ)さん』と呼ばれた頃、
或いは『叔父(おじ)さん』と呼ばれた頃の遠い昔を思い浮かべ、
あのようなことがあったなぁ、思い馳せたりした。
私が生れて初めて『小父(おじ)さん』と呼ばれたのは、
確か40代の初めの頃だったので、1985年(昭和60年)の頃と思われる・・。
この当時の私は、音楽業界のあるレコード会社の情報畑で、システム開発で奮戦していたが、
何とか軌道にのせた土曜日の休日出勤務した夜、
自宅からの最寄駅の『成城学園前』の最寄にあるタクシー乗り場から、
疲れ切っていたので、タクシーに乗った。
やがて自宅の近くの大通りで、私は下車した直後、
すぐに空車を探していた若き女性の3人がタクシーに乗り込んだ。
タクシーのドライバーは効率が良いね、と私は心の中で微笑んで歩き出した時、
『おじ(小父)さ~ん・・本・・忘れている!』
とタクシーの車内から、若き女性のひとりから大声で言われたりした・・。
私はこの女性にお礼の言葉を言いながら、単行本の本を受け取ったりした。
この後、私は自宅に向かいながら、俺もおじ(小父)さんになってしまったかょ、と微苦笑したりした。
そして『おじ(叔父)さま』と呼ばれたことも、私は思いだしたりした・・。
私が45歳前後の頃であったので、25年前の確か梅雨の季節だった。
私は雨が降ると、少し長め傘を持ち、大きく広げて差したりしている。
雨降りしきる中、少し風が吹いても、自身の身体はもとより、
手持ちの通勤バックなどが濡れるのが嫌いで、少し重いが長めの傘を愛用している。
私は六本木に所在している会社を退社した後、
自宅の最寄駅の『成城学園前』のタクシー乗り場に並び、
夜の11時過ぎ、雨の降る中、傘を差していた・・。
私の前に20人ぐらい並んでいて、1番後方だった。
しばらくすると、私の後方に人影を感じた。
私は左手にアタシュ・ケースを提げて、スーツのズホンが濡れないように、傘を深く差していた。
後方から、
『おじ(叔父)さま・・かしら?・・』
と声がした。
私は振り返ると、若い女性のツーピース姿を見た。
『XXちゃんか・・しばらく・・』
と私は言った。
遠い親戚の娘さんだった。
私はこの娘を私の立っている場所の前に譲り、
『ずいぶん・・遅いんだね・・』
と私は言った。
そして雨のしずくが水色のツーピースに掛からない程度に、傘かしげにした後、
少し間隔を開けた・・。
『おじさま・・知らなかった?・・私、今年から銀行にお勤め・・』
とこの娘は私に言った。
『大学に行ったのは聞いていたけど・・
そうかぁ・・社会人の一年生かぁ・・何かと大変でしょう・・』
と私は言った。
『思ったより楽しいけれど・・勤務時間が長くて・・今日もこんな時間になって・・』
と微苦笑しながら、私に言った。
『おじさんの所もね・・金融関係と違うけれど・・何かと忙しいょ・・』
と私は言った。
雨がしきりに降っていた・・。
まもなく並びの列の先頭となり、タクシーにこの娘が乗り込む寸前、
『おじ(叔父)さま・・お先に・・ありがとう・・』
と笑顔を浮かべながら私に言った。
私は走り去るタクシーの尾灯を見送った。
私は兄妹の子供の甥っ子の4人からは、この7年前の頃からは、
『XXおじ(叔父)さん・・』と私の名前を付けて、何かと親しく呼ばれていたが、
遠い親戚の娘さんから、叔父さま、と呼ばれたのは初めてのことであり、鮮明に心の片隅に残っている。
このような私のささやかな『おじさん』、『おじさま』の思いでを秘め、
高齢者の70歳となった私は、時は余りにも早く過ぎ去り走馬灯のような、遠い思いでとなっている。
私たち夫婦は無念ながら子供に恵まれなかったので、もとより孫がいない。
友のひとりから、65歳を過ぎた高齢者になったら、『おじいさん』とよばれることが多いょ、
と私は言われたりした。
そして孫からは、『おじいちゃん』と呼ばれているょ、と友から私は教えてもらい、
やがて私は微苦笑したした。
私は2004年(平成16年)の秋に定年退職とた後、多々の理由で年金生活を始めたが、
買物、散策をしたりする往復路で、何かとご近所の奥様の数人と立ち話をすることが多い。
何かしら私は母の遺伝を素直に受け継いだ為か、男の癖におしゃべりとなっている。
そして私は、大きな声で明るくユーモアをまじえながら話したりすると、
あなたはお若いわ・・、と社交辞令のお世辞を頂くこともある。
こうした時の私は、世の中の多く人たちから、
人生の3大支出は教育資金、住宅資金、老後資金と言われたりしているが、
たまたま我が家は子供の「教育資金」は不要となったので、
人生の苦楽が欠落している為か、と思ったりしている。
私は年金生活を11年生となっているが、買物とか散策する時は、
高齢者こそ清潔感のある服が大切ょ、と家内から言われたりしている。
そして私はストレッチパンズの長ズボン、スポーツシャツ、ウォーキング・シューズとなり、
紳士用の小物入れのショルダー式バックを斜め掛けをして、颯爽と歩くことが多い。
一週間前の頃、自宅の近くの公園を散策し、花木の写真を撮っていたら、
何かしら見知らぬ男の子の幼児が、私の近くに寄ってきて、私にまといついてきた・・。
そして私は近くのベンチで、若き奥様がベビー・カーを前に、腰かけていた。
『XXちゃん・・こっちにいらいしゃい』
と若き奥様が幼児に言ったりした。
やがて私にまといついていた幼児は、若き奥様に近づいて行った。
まもなく若き奥様がベビー・カーに幼児の乗せたが、
この幼児は私に盛んに手を振ったりした。
そして私も微笑みながら手を振ると、
『ご迷惑・・お掛けしまして・・XXちゃん・・おじさんにお別れしましょうねぇ』
と若き奥様は私に会釈した後、幼児に言ったりした。
そして2歳未満と思われる幼児は、おじちゃ~ん、さような~ら、と私に手を振ったりした。
このようなささやかな出来事を私は思い馳せたりし、
私は未(いま)だに、『おじいさん』と呼ばれたことはなく、今日に至っている。
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