夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

里彦だった私、首都圏の東京都、埼玉県、千葉県、神奈川県の寸評に、微苦笑して・・。

2015-06-15 16:08:43 | ささやかな古稀からの思い
昨夜、私はネットでニュースを見たりしている中で、
《相手の出身地別「咄嗟に使える鉄板ネタ」 -関東》と見出しを偶然に見てしまい、
齢ばかり重ねた私でも、好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条しているので、
クリックしてしまった。

そして、《・・「沈黙という名の地獄」はいつも突然やってくる!深い知識は必要ない。
出身県にまつわるキーワードをポンと一言投げかけるだけでいい。
あなたが話さずとも相手が喜んで口を開き、場を盛り上げてくれるはずだ。・・》と表示された。

何かしら都道府県別の寸評のような記事であり、
ビジネス総合情報誌として名高い『プレジデント』の2014年9月15日号に掲載され、
やがて配信して下さった記事のひとつと私は解ったりした。

そして今回は関東地方の都道府県別が掲載されていたが、
私は首都圏の東京都、埼玉県、千葉県、神奈川県を読んだりした。
          
          ☆今回、掲載した写真すべては、本日の日中のひととき、家内のボディガード兼お供で撮った、
           私の住む周辺の状景である☆

この記事は、ナンバーワン戦略研究所所長 矢野新一=監修 向山 勇=編集・構成・文になっているが、
無断ながら、大半を転載させて頂く。

《関東
東京が親分で周りが子分の関係。唯一横浜は東京に与しない

●千葉県――東京ディズニーランドも自慢の一つ
○鉄板ネタ:ゴルフ好きな人には「ゴルフ場が近くてうらやましい」とほめる。成田山新勝寺の話題も。
×地雷ネタ・タブー:埼玉県と張り合っているので、埼玉をほめないこと。
名所・旧跡:成田山新勝寺、銚子鉄道

●東京都――世界都市を自負するプライドをくすぐる
○鉄板ネタ:人の多いことや電車の間隔が短いことを「やっぱり東京は違いますね」とおだてるのが一番。
×地雷ネタ・タブー:「東京は住むところじゃありませんね」というのは嫌われる。
名所・旧跡:名皇居、浅草、東京スカイツリー

●神奈川県――神奈川出身とは答えない横浜人。東京の話を嫌う
○鉄板ネタ:横浜ならサンマーメンや中華街の話題を。川崎は北部(麻生区など)の高級住宅街の話題も。
×地雷ネタ・タブー:横浜を神奈川県で括るのは禁物。東京をほめるのもNG。
名所・旧跡:鎌倉、箱根、小田原城

●埼玉県――名所やグルメはなし?趣味や子どもをほめる
○鉄板ネタ:東京コンプレックスを持っている人が多いので趣味や子どもなど、何でもいいからほめること。
×地雷ネタ・タブー:「浦和と大宮は張り合っているので、互いをほめないほうが無難。
名所・旧跡:小江戸「川越の街並み」、長瀞・・》

このように表示されていたので、精読した後は微苦笑したりした。
          

私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に住み、生家も近く、
結婚前後の5年を除き、この地域に65年ばかり住んでいる。

私の生家は長兄が実家として継いで、確か18代目となっているが、
祖父、父が健在だった1953年(昭和28年)の頃までは、農家であった。

私は農家の三男坊として生を受けたのは、1944年(昭和19年)の秋であり、
私が地元の小学校に入学した1951年〈昭和26年〉の春の当時は、
祖父と父が中心となり、小作人だった人たちの手を借りながら、程々に広い田畑を耕したりしていた。
そして宅地の周辺に竹林、雑木林を維持管理していた。

やがて父、そして祖父が病死されて、一家の大黒柱を失ない、同時に農業のノウハウも消滅してしまい、
まもなく衰退し、生家は転業が余儀なくされてしまった。

このように 私は分家のような形で実家の近くに住んでいるが、
しかしながら山里に育った児の山彦てなく、或いは海辺に育った児の海彦でもなく、
平坦な田畑の多い中で幼年期を過ごした里彦である。
          

そして東京都といっても、下町の浅草の台東区、葛飾区、江戸川区には殆ど無知であり、
山手族と称される山手線の周辺の都心中心街も程ほどに知っている程度てある。

やはり23区に隣接した武蔵野市、三鷹市、狛江市、調布市など武蔵野地域、
そして親戚の多い世田谷区の成城、祖師谷には、幼年期から親しんできた地域となっている。
          

今回、特に私は苦笑させられたのは、
東京都の《地雷ネタ・タブー:「東京は住むところじゃありませんね」というのは嫌われる。》
この寸評であった。

たとえば東京の代表的な状景として、NHKの総合テレビなどで、
隅田川から東京スカイツリーが観える周囲を上空から映し出されると、
川辺にはビル街が、その周辺には密集した住宅街が広がる光景がある。

緑豊かな地域に住まわれる地方の一部の方の意見として、《東京は住むところじゃありませんね》に、
私は同意してしまうこともある。

しかしながら私は中学までは地元の学校で学び、やがて高校は都心ある地域に通学した。
こうした時、同級生は葛飾区、台東区、中野区、杉並区など出身が多く、
私は都会のカルチャーショックを受けたりした。
          

この中の同級生のひとりが、下町の密集した住宅街に住んでいて、
幼年期から違和感なく過ごしてきたょ、と私は言われたりした。

確かに人は誰しも幼児の頃から過ごしてきた地域は、親の保護の基で育ち、
環境も受け入れて成長している。

このような意味合いから、たとえ住めば都(みやこ)と言われているが、
やはり幼年期は里彦だった私は、世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅の地域が、
愛惜もあり、最適だょ、と東京の田舎者の私は微苦笑したりした。
          

これ以外、多々異論があるが、長くなるので省略する。

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