夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

介護の概要、遅ればせながら70歳の私は、学び初めて、やがて・・。

2015-06-27 10:21:39 | ささやかな古稀からの思い
私は恥ずかしながら、厚生労働省が管轄する公的介護保険、介護の概要に関しても、
殆ど無知な高齢者な年金生活をしている70歳の身である。

過ぎし年の2004年〈平成16年〉の秋に定年退職となったが、
長きサラリーマン時代に給与から社会保険として『厚生年金』と『健康保険』と『失業保険』があったが、
確か定年の数年前に『介護保険』が新設されて、給与から差し引かれたりした。

この当時の私は、リストラ烈風の中、出向先で奮戦していたので、
高齢化社会を迎えて、やがて私も老年になった時、介護を受ける身になるかしら、
と漠然として思ったりしていた。
          

私の父は私が小学2年の時に、最寄の内科医師が来宅されて訪問治療を受けたりしていた。
肝臓が悪化して床に臥(ふ)したり、或いは体調の良い時は農作業をしていたが、
やがて42歳の若さで肝臓ガンで死去した。

母は私が54歳の時に病死したが、数年前から入退院を繰り返して、
婦人系のガンで喜寿(きじゅ)と称される77歳を迎えてまもなく亡くなった。

家内の父は私が定年退職する直前に病死されたが、やはり4年前から入退院を繰り返して、
腎臓ガンで77歳で死去した。

いずれも認知症にもならず、公的介護保険には無縁であった。

家内の母は独り住まいとなってしまったが、心身溌剌とふるまってきたが、
4年前の80歳前後に膝(ひざ)を悪化して、杖(つえ)を突いて歩く身となった。

そして市の福祉課を通して、『要支援2』と認定されて、
市の福祉課からのアドバイスにより、住まいの一部を補修したりしたが、
介護の助成金のお蔭で、たった一割負担で済んだりした。
          

こうした中、私が定年退職後、多々の理由で年金生活を始めたが、
市から『介護保険』の請求があり、漠然と支払ってきた。
そして介護には『要支援』と『要介護』のランクがあることを知ったりした。
          
やがて私は高齢者入門の65歳を過ぎてから、
心身ともに自立し健康的に生活できる期間の健康寿命は、
男性の平均としては71歳であり、平均寿命は男性の場合は80歳と知った時、
恥ずかしながらうろたえたりした・・。

そして70代となれば、多くの人は体力の衰えを実感して、
75歳まではこれまでどおりの自立した生活ができるが、
80歳が見えてくる頃には介護を必要とするようになり、やがて80代後半では
何らかの介護付き施設に入居する可能性が高くなる、と専門家の人から数多く発言されている。

この後、私は介護付き施設を何かと注視するようになったが、
公的介護保険にも殆ど無知である上、肝要の介護の概要も漠然としているのが本音である。
          
          
たまたま昨夜、【産経デジタル】の中のひとつ終活WEB【ソナエ】に於いて、
遅ればせながら、介護の概要を学んだりした・・。
http://sonae.sankei.co.jp/howto/list/howto_05.html
☆【産経デジタル】<==終活WEB【ソナエ】<==『介護』☆

そして介護保険、介護認定から利用まで、要介護と要支援(認定区分)、
要介護1~5で利用できるサービス、要支援1、2で利用できるサービスなどを教示された。
          

私は過ぎし昨年の9月の誕生日を迎え、古希と称される70歳となり、
家内は昨年の12月に65歳の高齢者入門となったりした。

そしてお互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして雑木の多い小庭に築後36年の古ぼけた一軒屋に住んでいる。

過ぎし私が66歳の時に糖尿病と診断され、青色吐息となる中、
食事の改善とひたすら歩いて、何とか克服してきたりした。

そして糖尿病の再発防止もさることながら、何よりも怖いのは認知症であり、
もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
ひたすら歩くことが多くなっている。

そして独りで自宅から数キロ以内の遊歩道、小公園などをひたすら歩き廻ったりして、
季節の移ろいを享受している。
 
こうしたこと以外は私たち夫婦は、幸運にも大病に遭遇せず、今日に至っている。

しかしながら、いつの日にか身体が衰え、家内の母と同様な『要支援』を受ける立場となる・・。
          

家内の母は私より14歳ばかり齢上の高齢者であり、
私が民間会社のサラリーマンの定年退職した2004年〈平成16年〉の秋の直前に主人に病死され、
一戸建ての独り住まいの生活をされて、早や11年目となっている・・。

この間、家内の母は自身の身の周りは出来ても、
大掃除、季節ごとの室内のカーテン、布団、暖冷房器具、衣服、庭の手入れなどは、おぼつかなくなり、
長女の家内は季節の変わるたびに、7泊8日前後で年に4回ぐらい母宅に泊りがけで行っている。

過ぎし5年前の頃に通院している医師の勧(すす)めもあり、
そして家内は聞き、市の福祉関係した結果、やがて『要支援2』と認定されて、今日に至っているが、
私は家内から経過の概要は聞いたりしてきた。

しかしながら詳細の手続きの過程は、無知であった。
          

こうした事情もあり今回、私が特に学んだのは、『介護認定から利用まで』であった。

①介護保険を使って介護サービスを受けるには、日常生活で介護・支援が必要と認定される必要がある。

②住んでいる市区町村の窓口で要介護(要支援)認定の申請を行う。

③申請後は市区町村の職員などが家庭などを訪問。認定に向けた聞き取り調査(認定調査)を行なわれる。

④市区町村からの依頼により、かかりつけの医師が心身の状況について意見書(主治医意見書)を作成される。

⑤これらの認定調査結果や主治医意見書に基づき、コンピューターによる一次判定が行われる。

⑥さらに介護認定審査会が一次判定の結果や主治医意見書に基づいて二次判定を実施される。

⑦この結果を受けて、市区町村が要介護度を決定します。

⑧原則として申請から30日以内に結果が通知される。

⑨要介護状態の区分は大きく、「非該当(自立)」「要支援」(社会的支援が必要)、
 「要介護」(介護が必要)の3区分がある。
 非該当(自立)は、介護保険の給付対象となりません。
 症状によって、要支援は1、2、要介護は1~5に区分される。

⑩要介護度に応じて受けられるサービスが決まっているため、自分の要介護度が判定された後、
どのような介護サービスをいつ、どれだけ利用するかについて介護サービス計画書(ケアプラン)を作成し、
それに基づいたサービスの利用が始まります。

⑪「要支援1、2」のケアプランは、地域包括支援センターに相談します。
 「要介護1以上」のケアプランは、介護支援専門員(ケアマネジャー)のいる
居宅介護支援事業者(ケアプラン作成事業者)へ作成を依頼します。

⑫要介護認定には有効期間があり、新規の場合は原則6カ月、
 更新の場合は原則1年(または、市町村が定める期間)となる。
 更新の手続きは有効期間が終わる60日前から可能です。
 もし認定後に状況が悪化した時は、変更の申請ができる。

このようなことを多々教示されたりした。
          
          
やがて私は、『要介護3』の状態を見たりし、
《身の回りの世話や排泄が自分ひとりでできない。
移動等の動作や立位保持が自分でできないことがある。
いくつかの問題行動や理解の低下が見られることがある。》
このような悲嘆な状態を知り、勘弁してょ、というのが私の本音である。

いつの日にか、誰しもが齢を重ねれば老後の末期を迎えるが、
私は程々な身体が弱まり、『要支援』は受け入れられるが、果たして『要介護』の世界は・・
漠然としながらも、欧米社会に多い自身の意思で介護を依頼できる範囲まで、
と願ったりしている。

そして私も自身の確かな意思があるうちに、この世とさよならをしたい、と念願したりしている。

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