夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

終戦記念日、戦争を知らない私でも、国民のひとりの責務として、ここ48年黙祷をして・・。

2015-08-15 12:48:57 | ささやかな古稀からの思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の70歳の身であるが、
朝の6時半過ぎ洗面した後、庭のテラスに下り立ち、襟を正して黙祷した・・。

私は1944年〈昭和19年)9月に東京郊外で農家の三男坊として生を受け、
翌年の1945年〈昭和20年)8月15日に日本は連合国に降伏し、敗戦となった時、
一歳未満の乳児であったので、戦争を知らない世代のひとりである。

しかしながら少なくとも沖縄戦が事実上終結した6月23日の『沖縄慰霊の日』には沖縄本島に向い、
対戦中のアメリカが、人類史上初めて広島市の市街に原子爆弾を投下された8月6日の『原爆の日』には広島市に、、
その後まもない9日の長崎にも原子爆弾が投下された『原爆の日』には長崎市に向い、黙祷をしてきた。

そして本日の15日の敗戦なのに『終戦記念日』称しているこの日の朝、都心の皇居に向かい黙祷した・・。

こうした根底には、かの大戦に於いて、余りにも多くの方たちが亡くなわれて、
尊い犠牲の上で、今日の日本の平和の礎(いしずえ)である、と思いながら、
戦争を知らない私でも深い心の傷として、今日に至っている。

このような思いから、私は国民のひとりの責務として、ここ48年黙祷をして尊い命のご冥福を祈っている。

そして私はいつも感じることは、若き10、20代の諸兄諸姉に対して、
少なくとも日本の過去には、こうした現実があった、と認識して欲しい、固く願っているひとりである。
          

私は、皇居に向って黙祷をする真情は、 かの大戦の当時の国民風潮として、
『天皇陛下の御為と国の為に死ぬ事が日本人の美徳と教えられ、
戦死したら靖国神社に神として祀(まつ)られ、
崇(あが)められると信じて疑わない殆どの国民がいた・・』
と当時の時代の風潮の中で生き、亡くなわれた人々に哀悼の意を表しているに他ならない。

いずれにしても、戦争は多くの場合は外交の破綻から発生し、
最悪の場合は戦争となるが、勝戦国となる国民も敗戦国となる国民も余りにも過酷で悲惨である。


私はここ9年ばかり、この15日に於いては、
都心の千代田区の千鳥ケ淵戦没者墓苑の碑に刻まれた両陛下の詠まれた歌に、思いを重ねたりしている。

   国のため いのちささげし
      人々の ことを思えば 胸せまりくる         
                       昭和天皇

   戦なき 世を歩みきて
      思ひ出づ かの難き日を 生きし人々
                       平成天皇

私はこの歌を深く拝読するたびに、思わず胸が熱くし、
その時代を少し学んできた歳月に思いを馳せ、まぎれない鎮魂曲のように感じている。
          
この昭和天皇の歌の思いは、
靖国神社から程近い所にある千鳥ケ淵戦没者墓苑は、
訪れる人も少なく、この季節は蝉時雨が響き渡る情景の中、 詠まれた伝えられている。

平成天皇の歌は、戦後60年の年の歌会始の儀で詠まれた、と報じられていた。

そして昭和天皇の御製の碑と向き合う形で、
2005年(平成17年)9月に平成天皇の御製の碑が完成した、
と確か読売新聞で読んだりし、私はつたない身ながら学び、思いを深めている・・。
          

私は高校生の時に、近現代史にも関心して以来、数多く本を乱読してきた・・。
どうしてあのような無謀な世界第二次大戦を、日本は開始してしまったのだろうか、
と重く心によどんだりしてきた・・。

私はアメリカが計画してきたオレンジ計画に、日本の軍部の上層部は、深く対処できずに、
怜悧な総合戦略も思案できず、それぞれ思惑で迷走を重ねて、やがて戦争に突入してしまった、
このような思いで、ここ十年ばかり思ったりしてきた。

オレンジ計画はアメリカ海軍が戦間期(1920年代から1930年代)において、
起こり得る大日本帝国(日本)との戦争へ対処するために立案された、

アメリカは交戦可能性のある全ての国を網羅してそれぞれ色分けされ計画されたもので、
日本はオレンジ色に識別したが、日本だけを特別敵視していたわけではない。

そして計画は1919年に非公式に立案され、1924年初頭に陸海軍合同会議で採用されていた。

アメリカはスペインとの戦争によりフィリピン、グアムを獲得した。
そしてアメリカが西太平洋をそのまま西進して行き着く方向には、
日本が日清戦争により朝鮮半島含め大陸へと進出し始めていた。

わずか半世紀前にマシュー・ペリー率いる自国の東インド艦隊が訪問して開国させた日本が、
富国強兵策を取って中国へ進出してきたことは、
スペインとの戦争を終えたアメリカにとって潜在的な警戒すべき問題となっていた。
この頃からアメリカは対日本戦争計画の研究作業を開始する。

日露戦争が終結すると中国問題が日米間で重要問題化しだし、両国間の緊張が高まりだす。

アメリカは日本を仮想敵国とした戦争計画の策定に本腰を入れ始め、
一連のカラーコード戦争計画の一つであるオレンジ計画が誕生する。

オレンジ計画では初期の頃より『日本が先制攻撃により攻勢に出て、消耗戦を経てアメリカが反攻に移り、
海上封鎖されて日本は経済破綻して敗北する』
という日米戦争のシナリオを描いてシミレーションされ、実際の太平洋戦争もこれに近い経緯を辿っていく。

日露戦争の最中、第一次世界大戦といった日本と協調関係にあった時期でも、
対日本戦争計画、オレンジ計画は研究され続けていた。
          


昨日、私が購読している読売新聞の朝刊に於いて、『戦後70年』の連載記事を読んだりした。
『[戦後70年 あの夏]どう負けた 皆知らない 作家 半藤一利さん 85歳』
と題された記事を襟を正して読んだりした。

もとより作家の半藤一利(はんどう・かずとし)さんは、昭和史研究家として突出されたお方である。
一部を無断ながら、転記さらて頂く。

《・・敗戦の原因は、日本人固有の精神構造にあると思います。
情報を直視せず、自分に都合のいい結論のままどんどん行った。
ミッドウェー海戦では、敵機動部隊は出てこないと決めつけ、
ガダルカナル島の戦いでも、敵はすぐに引くと根拠もなく信じた。
兵站へいたんが限界を超えても出て行った。

陸海軍合わせ240万人の戦死者のうち、7割が餓死か栄養失調か、それに伴う病死でした。
そんな無残な死に方をする戦争なんてありえません。
国全体が集団催眠にかかり、勢いで突き進んだ結果でした。・・》
          

この後、半藤一利さんにインタビューされた編集委員・服部真さんが、
半藤一利さんの思いの記事が掲載されていた。

《・・「一等国」意識の暴走 背景に国民の熱狂

明治から昭和にかけての歴史は、日露戦争(1904~05年)でいったん切った方がわかりやすいと、
半藤さんは言う。

日露戦争までは、欧米列強に植民地にされるのを回避するため、近代化を急いだ時期だ。
巨額の軍事費をまかなうため、国民は重い負担に耐えた。
ロシアに対して、世界中が日本が負けると思っていた戦争を始めたのも、自衛のためだった。

日露戦争から昭和の初めまでは、日本が大国として振る舞った時期だ。
戦争に勝ち、「一等国」の仲間入りをしたと国民は確信するが、そこから日本が変わっていく。
自分たちは一等国民だという意識で動き始めたようだ。

例えば、第1次世界大戦の戦後処理を決める1919年のパリ講和会議では、
分け前を声高に主張してひんしゅくを買う。

国際社会で孤立を深めた日本は、英米に敵対感情を抱くようになり、33年には国際連盟を脱退する。

当時の指導者たちは、情勢を直視せず、国際法を顧みずに暴走した。
そして、米国を相手に、勝ち目のない戦争へと突き進んだ。

その背景に国民の熱狂があったことが、半藤さんの話から伝わってくる。 (服部)・・》

私はこうしたあの時代に、現世の私は心を痛め、ただ黙祷し、項垂(うなだ)れたりした。


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又吉直樹さんの『火花』、芥川賞受賞作品をめぐる騒動に、微苦笑させられ・・。

2015-08-15 09:50:01 | 真摯に『文学』を思考する時
私は遅ればせながら高校に入学してまもなく、突然に読書に目覚めて、
この時から小説、随筆、ノンフェクション、月刊雑誌などを乱読してきた。

読書に魅せられるのは、創作者より、文字から伝えられる伝達力、創造力が
それぞれ読む時の感受性、知性、想像力により多少の差異があるが、
綴られた文章はもとより、この行間から感じられる圧倒的な魔力から、
高校生の時からとりつかれたのであった・・。

そして何かと読書に魅了されて早や55年が過ぎている。

こうした中で、月刊総合雑誌のひとつの『文藝春秋』に関しては、
東京オリンピックが開催された1964年(昭和39年)の頃から特集に魅せられた時は買い求めて、
やがて1970年(昭和45年)4月より、毎月購読して今日に至っている。

そして文藝春秋が実質上主催となっている公益財団法人 日本文学振興会が制定する『芥川賞』が、
年に二回の選考が実施された結果、
受賞作品が、『文藝春秋』の誌上に、選考委員の選評と共に掲載されている。

私は掲載された『芥川賞』受賞作品をリアルタイムで精読したのは、
確か1965年に始まりと記憶していたので、津村節子さんの『玩具』が最初で、
最後は三田誠広さんの『僕って何 』(1977年)であった。

これ以降は、選考委員の選評だけは読み、受賞作品は殆ど読んだことはなく、過ごしてきた。
          

過ぎし7月16日に第153回芥川龍之介賞の選考委員会が開催され、
やがて又吉直樹さんの『火花』と羽田圭介さんの『スクラップ・アンド・ビルド』が受賞作に決まった事に関し、
テレビのニュースで知った。

そして又吉直樹さんについて、テレビや新聞などで盛んに取り上げられて、
人気お笑い芸人、と私は初めて知ったりした。

やがて私は、作家・丸山健二さん(1966年、芥川賞受賞作『夏の流れ』)が、
1994年に上梓された『まだ見ぬ書き手へ』(朝日新聞社)を思い浮かべた・・。

小説を志す人たちの中にはおらず、文学なんぞ青くさくて話にもならないと思い、
他の世界できちんと現実に立ち向かいながら、着実な仕事振りをしている方・・
こうした方に小説を公表して、文学の活性化を念願している・・
確かこのような内容と私は記憶していた。
          

この後、7日の朝、いつものように読売新聞を読んでいたら、
出版広告として、『文藝春秋』(9月号)と『中央公論』(9月号)が、
本日発売と表示されていた。

通常は10日発売の月刊総合雑誌であるが、
数多くの民間会社が夏季休暇は12日から始まると知ったりしてきたので、
少し早めたかしら、と思ったりした。

やがて『文藝春秋』は、恒例の芥川賞に於いて受賞作が掲載されてきたが、
今回は話題の又吉直樹さんの『火花』も掲載されているので、
出版業界は不況の中、又吉直樹さんの『火花』が単行本が爆発的に売れている中、
相乗効果で、今回の9月号は少し早めたかしら、と私は微苦笑したりした。


そして当日の7日の午前中のひととき、駅ビルの本屋に立ち寄り、
『文藝春秋』(9月号)を見たりしたが、近くに厚い『文藝春秋』があり、
何かしら特別付録として、昭和2年9月『芥川龍之介追悼号』が付いていたので、買い求めたりした。。
             
             
やがて二日遅れで、久々に芥川賞受賞作品の又吉直樹さんの『火花』だけを読んだりした・・。

そして又吉直樹さんの『火花』は、純文学を意識してか少し固い文体もあるが、
独自性もあり、描写が新鮮で好感した。
ただ苦言を呈すれば、終末に描かれた《胸豊》はない方が圧倒的に良質の作品に完成した、
と私は感じたりした。


昨夜、ネットで月刊『創』編集長の篠田博之さんが、
『皆、遠慮して言わないけど、『火花』が209万部ってどうなの?』と題された寄稿文を読み、
やがて微苦笑させられた。

無断であるが記事の前半部分を転載させて頂く。
          

《・・又吉直樹さんの『火花』の発行部数が209万部に達したという。
電車の広告ではいまだに「120万部突破」と書かれている。
広告を差し替えるのが追いつかないほどの勢いで増刷がかかっているのだ。
7月半ばの芥川賞受賞発表までは60万部強だったから、半月で100万部以上の増刷がかかったわけだ。

いま出版界は深刻な不況で、特に文学とノンフィクションのジャンルは本が売れないから、
業界がこぞって『火花』ヒットさせようとしたのはよくわかる。

特に芥川賞はこのところ、受賞が話題になることが多いから、今回も関係者はいろいろ考えたのだろう。
その結果、予想をはるかに上回るベストセラーが誕生したわけだ。
業界の多くの人がほっとしたし、これが起爆剤になって少しでも出版界が活性化すれば、と思ったことだろう。
          

でも、どうなんだろう。
そのブームはいまや独り歩きしてしまっているし、こういう現象って本当に出版界にとって良いことなのだろうか。
出版界ではこの10年程、「メガヒット現象」と言って、特定の本に売れ行きが集中し、
それ以外は本や雑誌がさっぱり売れないという状況が加速している。
今回の現象はそれを象徴する事柄だ。

お笑いの世界でもブームが訪れては翌年にはそれが消えていくという現象が続いているが、
『火花』のブームも「お笑い芸人が初めて芥川賞受賞」という話題性が、
普段本を読まない人にも関心を抱かせる要因になっているのは明らかだ。

購買動機が「話題を消費する」ことだから、『火花』の売れ行きが爆発的であっても、
それが他の文芸書に波及していくとは思えない。

『SPA!」8月11・18日号の「文壇アウトローズの世相放談『これでいいのだ!』」で文芸評論家の坪内祐三さんが
こう語っている。

「今回の芥川賞に関しては、周りのはしゃぎっぷりは見苦しいね。
『週刊文春』のグラビアでさ、選考委員の島田雅彦や山田詠美たちが又吉さんを囲んで嬉しそうに写ってたでしょ。
あれはサイアク。芸能と文学は五分と五分のはずなのに、あれを見ると文学が芸能に負けちゃってるんだよ」

「芸人が獲ったってだけで、こんなにみんなはしゃぐなんて、
今回の芥川賞で、いよいよ文学が滅びたなって感じがするんだよ。
少なくともオレの考えてる文学は滅びた感じがする。又吉さんの作品が文学なだけに、それが際立つよね。
文学的な作品が芥川賞を獲って、それで文学が滅びたってところがいいよね」

断っておくが、又吉さんの『火花』が作品としてだめだと言っているのではない。
それを文学として評価したうえで、今回の騒動については「文学が滅びた」と言っているのだ。
          

この何年か、出版界では「良い本が良い本だという理由だけで売れる時代は終わった」と言われている。
映像化によってブームを作り出すとか、何かの賞を受賞して話題になるとか、
そういうプロモーションを行っていかないと、良い本でもヒットは望めないという状況なのだ。

文藝春秋にプロモーション局が設置されたのは2012年だ。
そのプロモーション主導で作り上げたミリオンセラーが阿川佐和子さんの『聞く力』だった。
いや別に阿川さんの本が、中身がないのにプロモーションで売ったと言っているのではない。
でもあの本がミリオンセラーになっていったのを見ると、マーケティングとプロモーションの勝利だという印象は否めない。

最近は、本は「一部の売れる本とそれ以外の本」に大別されると言われる。
文藝春秋も新潮社も、ごく一部のメガヒットとなった本の売り上げで書籍部門全体を引っ張るという構造が定着しつつある。
特定のメガヒットとなった本を除くと、書籍部門が対前年比マイナスだったりするのも珍しくない。

文藝春秋がプロモーション局を作ったり、新潮社が「映像化推進プロデューサー」という妙な肩書のスタッフを置いて、
文芸作品の映像化を意識的に働きかけたりしているのはそのためだ。
何らかの仕掛けによってベストセラーを作り出すというのを、意識的にやっていく、それが当たり前の時代になった。
同じ作家の作品でも、映像化などで話題になったものとそうでないものとでは部数に極端な違いが出たりする。

今回の『火花』の芥川賞受賞や、それを機に一気に何十万部も増刷をかけ、
「100万部突破」というニュースによって話題を加速していくという手法は、『聞く力』で成功したやり方だ。
文藝春秋も幾つかの経験を経て、プロモーションがうまくなっているといえる。

その手の手法としては、ドラマ化・映画化はもちろんだが、何かの賞をとらせて話題を作る、
あるいは年末のいろいろなランキングに作品をすべりこませ、それを宣伝に使っていくなど、
大手出版社ではそれが当たり前になりつつある。
          

戦後、日本の出版界は一貫して右肩上がりの成長を続け、
経済的な不況に陥っても本だけは読むというのが日本人の特性と言われてきた。
出版界にとっては、牧歌的で幸せな時代だった。

しかし、その出版界は1990年代半ばをピークにいまや落ち込む一方だ。
本が売れないと言われるなかで、ヒットを出すには何らかの「仕掛け」が必要になった。

その意味では『火花』は幾つかの仕掛けが完璧に功を奏した事例だろう。でも、
それが100万部を超え、200万部を超え、という異常なブームになってしまうと、喜んでばかりはいられない気もする。
作品の消費のされ方が、お笑い界のブームや、健康本が一過性でブームになってしまう経過とよく似ているのだ。
これって出版界にとって健全なことなのか。

救いなのは、こういうブームのなかで、当事者の又吉さんが決して浮かれていないように見えること、
あるいはこの現象を冷静に受け止める空気もまだ残っていることだ。 ・・(略)・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。
          

私のつたない読書歴としては、純文学の世界に関して、
瀬戸内寂聴さんが晴美と明記していた1955年(昭和35年)の頃、
『純文学の(単行)本は3000部程度で、これ以上は何かしら加味されたもの・・』
後年に私は、このような意味合いの言葉を学んだりした。

まもなく石原慎太郎さんが『太陽の季節』で芥川賞を受賞された1955年(昭和35年)、
起爆剤ように社会現象として波及し、時の人となり、
出版業界はやがて日本の高度成長と共に活性化し、隆盛の時代となった。

これ以前、前年に芥川賞を『 白い人』授賞された遠藤周作さんは、
授賞も平穏で、授賞したから出版社から特別な注文はなかった、と私は後年読んだりした。


昨今、出版業界と創作者の作家の状況の中、電子書籍の時代の著作権が不明確のまま到来、
何よりも出版社と著作者に無断のまま、本を裁断してコピーし、販売する業種も出現し、
出版社などは大揺れの状況下となっている。

或いはアマゾンなどのネット書店に席巻されて、街にあった中小書店が激少し、
出版業界全般として縮小している。


そして数か月前、私が衝撃を受けたは、1996年に『家族シネマ 』授賞された柳美里さんが、
インタビューした記事の中で、
《・・多くの作家が経済的に困っている状態ということですか、と問いに、
柳美里さんは、「書くことだけで食べている作家は30人ぐらいではないか」という話を聞いたのですが、
かなりリアルな数字だと思います。
ただ「貧乏は恥ずかしい」と考えている方が多く、公にしないだけだと思います。・・》

こうしたことに私は動顛させられた。
                    

そして私が勤めていた音楽業界のレコード会社の各社でも、
1998年(平成10年)に売上のピークで、これ以降今日まで下降している。

主因としては、経済の低迷化の中で、ネットの違法な音楽配信の蔓延化、そして社会全般の多趣味化であり、
やがて正規な音楽配信元でも、無料、或いは有料の音楽利用料金が普及してきたが、
著作権を有するアーティストに対しての対価は、余りにも廉(やす)過ぎる、と私は感じたりしている。

このような環境下では、肝要の音楽アーティストの多くは、
収入の激少化となり、生活もままならず、創作意欲がなくなってしまうのではないか、
或いは転職を余儀なくされてしまうのではないか、と憂いたりしてきた。

こうした中で、音楽業界、出版業界も堅実に利益を出して発展する為には、
世界の他分野の主力な巨大企業でも、徹底したマーケティングが実施されているので、
文化的な出版業界、音楽業界、一部の突出したことが現象がでている実態は、
私はやむえないことと思っている。

そして一部の突出したことが現象は、ネットの社会でも露呈しているが、現状である。

今回の又吉直樹さんの『火花』が若き人が買い求められたと知り、
これを機会に若き人の多くが小説を読み、本を買い求めて下されれば、と私は念願している。


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