夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

シニア世代の殆どの多くは、ご自身が好きなように安楽に過ごされ、と改めて確信して・・。

2016-05-02 16:29:34 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の71歳の身であるが、
昨日の朝、配達された読売新聞を読んだりしている中、やがて新刊本が評論されている【本よみうり堂】を読んだりした。

やがて阪本節郎・著作の『シニアマーケティングはなぜうまくいかないのか』(日本経済新聞出版社)について、
経済学者・東京大教授の柳川範之さんが評論されていたのを私は読んだりした・・。

そして読んだりした後、微笑んだりした。無断であるが転記させて頂く。

《・・高齢化時代の将来設計

「シニアと呼ばれても、50代の9割は、自分のことだと思わず、60代の9割も、そう呼ばれたいとは思わない」。
本書を何気なく開いたときに、目に飛び込んできたのが、この文章。

確かに、50代読者の多くは、「え、俺ってシニアなの? それはないよ」と思われるに違いない。
60代の方々でも、「人生まだまだ、これからだ」と、思っている人々のほうがきっと多いだろう。

少子高齢化の時代は、長生きできるようになった時代でもある。
単に長く生きられるだけでなく、気力も体力も向上している。
一説には、20歳位若返っていて、今の60歳は、昔の40歳と同じだとか。
そんな時代には、昔とは違った新しいライフスタイルが求められるはずだ。

本書は、タイトルだけみると、典型的なマーケティングの本にみえる。
いや、実際に、優れたマーケティングの本だ。
でも、単に、どんな人にどんなものを売ったら良いか、という視点でだけ読むのはもったいない。

むしろ、これからの50代、60代が、どう考え、どんな風に未来を設計していったら良いか、
そんな生き方像、生活像を示している本として読むと、面白い示唆がたくさん得られそうだ。

自分だけが、従来の世代と違うと感じることが多いのも、この世代の特徴らしい。
こんな風に考えるのは、自分だけではなかったんだ、という実感や、気づきも本書から得られるかもしれない。

何歳になっても若々しく前向きな意識を持ち続けたいと思っている。
人生下り坂ではなく、自然体で若々しくセンスの良い大人になって、人生最高のときを、これから実現させたい。
本書が浮かび上がらせているのは、そんな風に考えている50代、60代だ。

少子高齢化時代を本格的に迎えて、50代、60代の人たちが、
生活のポイントをどこにおくべきか等についても、興味深い考察がなされている。・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。
          

私は今でも、ときおり少年のように無我夢中となる言動をすることがあるが、
サラリーマン時代は苦楽の激しい中小業の民間会社で35年近く鍛えられた為か、
根は現実楽観主義のひとりである。

私は民間会社の中小業に35年近く勤め、2004年〈平成16年〉の秋に定年退職後、
その直後から多々の理由で年金生活をしている。

この中のひとつとして私の半生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれながら、つたない言動も多く、
ときおり敗残者のように感じることも多く、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと思ったりした。
               
そして年金生活を始める時、秘かに私は残された人生の日々に、
『清く貧しく美しく』と信条を掲げた。

この発想の根源は、定年後の年金生活を始めた当初、ご近所の奥様と立ち話などをした時、
60歳のお若いのに、悠々自適な生活で羨(うらや)ましいわ、と言われたりしたが、
もとより私は一流大学を卒業した後、官公庁、大企業などで邁進(まいしん)され栄達したエリートのお方たちと違い、
高収入、高額な退職金には無縁で、程遠い生活実態であった。

その上、私は屈折した日々の多い半生を歩み、何とか定年を迎えることができたので、
半生記は何かと自慢史が多いと伝えられている中、私は限りなく遠い存在である。

そして私は確固たる実力もないくせに、根拠のない自信があり、
感覚と感性は人一倍あると思いながら、独創性に優れていると勝手に思い込み、
ときには独断と偏見の多い言動もしたりしてきた。

或いは、その分野で専門知識があり優れた人の前では、謙虚となりながらも卑屈になったりした・・。
このように可愛げのない男のひとりである。
                    

私は定年退職後に年金生活を始めたが、
1944年〈昭和19年)9月生まれであるので、満62歳にならないと年金は満額を頂けないので、
この間の2年間は満額の6割弱の片翼飛行のような、年金生活を過ごすことになった。

程々の貯金を崩しながら、つつましく退職後の生活を過ごす予定で、
私は秘かに退職時に、未知の年金生活に向い、自身を励ます意味合いも含めて人生信条を掲げた。

そして年金生活は何かと身過ぎ世過ぎの日々の生活実態と思われ、
『清く貧しく美しく』とした。

この根源は、敬愛している松山善三(まつやま・ぜんぞう)氏の脚本・監督された『名もなく貧しく美しく』(1961年=昭和36年)、
そして宝塚歌劇団の『清く正しく美しく』から、言葉を重ね合わせ、
何かしら慎(つつ)ましい年金生活に相応しいと確信した。

こうした『清く貧しく美しく』の人生信条を掲げた中で、
日常生活を過ごす目標として、『野に咲く花のように』とした。
                    

『野に咲く花のように』の発想の語源は、
古人の利休が、花は野にあるように、という銘言は私なりに知っていたが、
私は40歳の初めに、夏季休暇で家内と共に旅先で、実感させられ、まもなく私なりに命名した。

海辺のリゾートホテルに滞在していた私たち夫婦は、
昼下りのひととき、庭園にある茶室で茶事があるので、支配人から家内が誘われ、
私も末席としてお供した。

家内は茶事を中学生の頃から習っていたので、
私は結婚してから色々と和事に関しては、家内から影響を受けたりしていた。
茶花、花入、茶碗、掛け軸などを知り、四季の移ろいも改めて知りはじめた・・。

結婚して、3年後に家を建てた時、多額な借入となったが、私は何かと単細胞の性格で、
何かに夢中になると、あなたしか視(み)えないような熱中となることが多く、
その上に若さの勢いとして、家屋の中で茶室まで設けた。

私は茶事に関しては無知であったが、
家内が免許状の昇進と共に、礼金も重なったりし、こうしたことは暗黙のような約束事を知った時は、
不思議な世界と思ったりしていた。
         
そして無知な私でも、リゾートホテルの庭園にある茶室は、
掛け軸、花入、茶花も簡素で、素朴な茶碗で抹茶を頂いたりしたが、感銘を受けたりした。

やがて茶室から庭園に出た私たち夫婦は、その後に私は家内と散策した時、
『野に咲く花のような茶事であったね・・』
と私は家内に言ったりしたので、家内は微笑んでいた・・。

私はこの1985年〈昭和60年〉の夏の時節以来、
人生のささえる確かな言葉として『野に咲く花のように』と掲げて、
年賀状などで明記し、たびたび公言したりしてきた。
                              

こうして私は年金生活を始めて1年を過ぎた頃、
たまたま作家・城山三郎の著作の『無所属の時間に生きる』を読んでいた時、
『この日、この空、この私』の一節を瞬時に圧倒的に魅了され、この時から教訓としている。

《・・人生の持ち時間に大差はない。問題はいかに深く生きるか、である。
深く生きた記憶をどれほど持ったかで、その人の人生は豊かなものにも、貧しいものになるし、
深く生きるためには、ただ受け身なだけでなく、あえて挑むとか、打って出ることも、肝要となろう。・・》
そして私は亡き城山三郎氏の遺(のこ)された言葉を秘かに指針として、日々過ごしている。

          
そして恐れ多くも日本の歴代天皇が継承してきた三種の神器と称せられる鏡・剣・玉があるが、
平民で無力な私は、『清く貧しく美しく』、『野に咲く花のように』、そして『人生を深く生きる』言葉を
私の年金生活の三種の神器かしら、と思いながら過ごしてきている。

このようなことを根底に私は過ごしてきているので、
野に咲く花は、素朴で気負いもなく、何かとやすらぎを覚えたりしてきた。

このように私は三つの言葉をささえに、年金生活を過ごし、11年半が過ぎている。
                    

こうした中で、数多く60代の諸兄諸姉は、これまでの人生の苦楽を重ねた後、
何かと安堵しながら、身も心も溌剌と過ごせる人生の黄金時代と称せられるゴールデン・イヤーズ、
と知人、友人からの便りを受けたりしてきた・・。

私も長き人生に於いては、60代の期間が何より安楽な時代、と思い重ねたりして享受してきた・・。

そして70代となれば、体力の衰えを実感して、75歳まではこれまでどおりの自立した生活ができるが、
80歳が見えてくる頃には介護を必要とするようになり、
やがて80代後半では何らかの介護付き施設に入居する可能性が高くなる、と専門家の人から数多く発言されている。

私が現役サラリーマンだった58歳の時に、同僚の死去に接したり、
そして年金生活を始めて数年過ぎる中、先輩、同僚だった人たちの死去を知り、
余りにも若き60代なのに、と戸惑いながら、ご冥福を祈ったりしながらお通夜に参列したりした。

私たち夫婦は、幸運にも大病に遭遇せず、今日に至っている。
          

年金生活の我が家の基本は、厚生年金、わずかな企業年金を頂き、通常の生活費するのが原則としている。
しかし共通の趣味のひとつである国内旅行、或いは冠婚葬祭などの思いがけない出費などに関し、
程々の貯金を取り崩して生活している。

そして、毎年年始が過ぎた頃に、新年度の月別の概算表を作る際、
家内の要望などを織り込んで作成し、予算としている。
従って、年金生活の身であるから、今年も赤字が120万円前後かしら、とお互いに確認し合っている。

こうして私たち夫婦は経済的に贅沢な生活は出来ないが、
働らなくても何とか生活ができるので助かるわ、
と家内がときおり、 呟(つぶや)くように私に言ったりするので、私は苦笑したりしているのが、
我が家の実態である。
          

このように年金生活を過ごしているが、私は敬愛しているチャップリンの遺(のこ)された言葉のひとつに、
《 人生には三つのものがあればいい。希望と勇気とサムマネー。 》
という名言があり、人生の確かな格言ですねぇ、と程ほどの貯金しかない私でも、信愛しているひとりである。

そして『生きがい』を最優先とし、次に『健康』、そして程ほどの『お金』と思いながら、
年金生活11年半が過ぎている。

もとより家内は、過ぎし年の40年前の結婚式で、白無垢の新妻を見て以来、
どのような人生の荒波に遭遇しても、世界で私だけが専守できる責務と固く誓ってきたので、別格である。

☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪
にほんブログ村 シニア日記ブログへにほんブログ村
人気ブログランキングへ


コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする