私たち夫婦は、19日に宿泊する『大島温泉ホテル』にチェックインした後、
指定された部屋に入ると、折り紙で作られた幾重かの椿の花に、私たちは微笑んだりした。
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この『大島温泉ホテル』は、今の時節は数多くのツツジが咲き、のどかでやすらぎを感じる情景であった。
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まもなく私は大浴場、そして露天風呂から三原山のスロープを眺めると、
私たち部屋から見る景観と同じだ、と私は微笑んだりした。
http://www.oshima-onsen.co.jp/furo.html
☆【大島温泉ホテル】公式サイト==>『三原山温泉』☆
やがて私たちは、夕食を頂いた後、夕暮れの情景に私は瞬時に魅了され、
ホテルの正面玄関先にある庭から、撮ったりした・・。
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翌日の朝5時過ぎ、私は部屋の窓辺にある椅子に座り、本日訪ねる樹木葬のできる墓地(埋葬地)を思い馳せ、
ぼんやりと眺めたりした・・。
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私は1944年(昭和19年)の秋に農家の三男坊として生を受け、分家のような形で、実家の近くに住んでいるが、
実家のお墓の近くに墓地を買い求めるに、たまたま子供に恵まれなかったので、
一代限りとなるので、いつの日にか、私たち夫婦が亡くなった後、長兄の子供である甥っ子ふたりに何かと面倒をかける、
と思いながら、長らく躊躇(ためら)ってきた・・。
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私が40歳を過ぎた頃の1985年〈昭和60年〉の2月、
亡き小説家・立原正秋の作品のひとつに描かれた信州の別所温泉に、私たち夫婦は一泊二日で訪ねた。
こうした中で、あるお寺を散策していた時、お寺の隣あわせに里山を切り開いたように、
緩やかな傾斜のある広大な墓地があり、お花が数多く飾られ、お線香の煙がたなびいていた・・。
その外れに松林のゆったりした丘があり、ここに数多くの墓石が転がっていた。
人が訪ずれた形跡もなく、墓石に松葉が音もなく舞い降り、
苔に覆われた墓石が横たわっていたり、松の葉で埋もれかけた墓石もあった。
こうした無縁の墓地に、木漏れ日が地上を彩(いろど)っていた。
私は、人が土に還える、とはこうした事だろう、と思い重ねたりした。
こうした思いから、通常のお墓でなく、無縁仏に近いことを考え始めた・・。
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その後、10年過ぎた頃、岩手県のあるお寺で樹木葬を知り、
これだったら土に還える、と私は納得しながら、家内に言った。
『俺が先に死んだら・・花巻温泉で静養し、気が向いた時でいいから
・・・お墓には寄ってくれればよい』
お墓といっても、里山に墓石もなく、私たちの好きな樹木のひとつがあるだけである。
このように私たち夫婦は、お墓は樹木葬と決め、
7年前の頃に伊豆大島にも樹木園ができた、とか学んだりしてきた。
その後、千葉県の房総半島の奥地にある寺院で、樹木葬があると学んだが、
我が家から少なくとも3時間は要し、遠方だよなぁ、と私たちは思ったりしてきた。
或いは2年前の頃、我が家からバスと電車を利用して、一時間ぐらいの地域に、広大な墓地の一角に、
畳一畳より少し小さ目の墓地で、たった一本の樹木が植えられ墓地の販売区画で永代供養墓と知った。
いずれも永代使用権、永代供養料、永代管理料などを一括納入すれば、
片割れの残された方が、体力の衰えた身であっても、お墓参りが出来る、と思ったりしている。
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こうして思いばかり重ねてきたが、私は男性の平均寿命は80歳と認識しているので、
私たち夫婦は元気な今、樹木葬のできる墓地を決断しょう、と思い一年が過ぎている。
こうした中で、私たち夫婦が樹木葬の墓地(埋葬地)として、現在は最有力地として、
この大島にある『千の風 みらい園』に、今回訪ねることとした。
http://www.miraien.jp/00miraien-index.html
☆【千の風 みらい園】公式サイト☆
窓辺から視える情景は変貌して、光明ある日になるかしら、と思い重ねたりした。
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やがて朝食後、ゆったりとした時を過ごした後、家内が予約していた『千の風 みらい園』の本社スタッフと逢う為、
私たち夫婦は岡田港に路線バスで向かった。
そして岡田港に着くと、案内板をささげている本社スタッフの女性、そして当地の管理を専任されている40代の男性、
お互いに初対面の挨拶を交わした後、社の自動車で元町港の郊外にある樹木葬の墓地(埋葬地)に向かった。
やがて到着した後、管理棟の一室で、本社スタッフの女性から、私たちは樹木葬、埋葬に関することなどを説明を受けたり、
質疑応答を和(なご)やかにした後、埋葬地を歩いたりした・・。
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里山の傾斜に、それぞれお気に入りの指定した場所・・永眠できる地・・
前方は海が見られ、天候に恵まれれば彼方には伊豆半島、富士山が聳え立つ景観であった・・。
この地球には75億人が生活されているが、私たち夫婦はたったふたりだけで、
いつの日にか、この地で永眠でき、やがて土に還ることは、私は望ましい・・
と思いを深めたりした。
この後、私たち夫婦が埋葬できる指定地を仮予約した後、
管理棟の一室で、本社スタッフの女性から、私たちは補足説明を受けたりした。
やがて『千の風 みらい園』を辞して、本社スタッフの女性が元町港まで送迎して下さった。
そして私たち夫婦は、昼食として近くの寿司屋に入った後、元町の街並みを散策した。
やがて街通りに、扁額のような形で表現された文に、私は瞬時に深く魅了された・・。
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まもなく歩くと、簡素な寺院が視え、私はこっそりと撮ったりした。
そして浄土宗『潮音寺(ちょうおんじ)』と読め、私の生家(実家)は曹洞宗であるが、
仏門の真意には大勢に影響がないょ、と解釈して、入ったりした。
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やがて御堂には、扁額のような文をぼんやりと仰ぎ見て、つたない人生航路を歩んできた私は、溜息を重ねたりした。
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知足
足りを知る者は
こころ豊かなり
和顔施
笑顔には
笑顔がかえってくる
特に私はうなだれたのは、平素は美は断念あり、と表面は公言しているが、
心の片隅には、未だに物欲、金銭欲が捨てきれず、齢ばかり重ねて修業が足りないなぁ、と思ったりした。
やがて私たち夫婦は路線バスに乗車し、岡田港から高速ジェット船に身をゆだねて、都心にある竹芝桟橋に向かった。
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指定された部屋に入ると、折り紙で作られた幾重かの椿の花に、私たちは微笑んだりした。
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この『大島温泉ホテル』は、今の時節は数多くのツツジが咲き、のどかでやすらぎを感じる情景であった。
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まもなく私は大浴場、そして露天風呂から三原山のスロープを眺めると、
私たち部屋から見る景観と同じだ、と私は微笑んだりした。
http://www.oshima-onsen.co.jp/furo.html
☆【大島温泉ホテル】公式サイト==>『三原山温泉』☆
やがて私たちは、夕食を頂いた後、夕暮れの情景に私は瞬時に魅了され、
ホテルの正面玄関先にある庭から、撮ったりした・・。
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翌日の朝5時過ぎ、私は部屋の窓辺にある椅子に座り、本日訪ねる樹木葬のできる墓地(埋葬地)を思い馳せ、
ぼんやりと眺めたりした・・。
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私は1944年(昭和19年)の秋に農家の三男坊として生を受け、分家のような形で、実家の近くに住んでいるが、
実家のお墓の近くに墓地を買い求めるに、たまたま子供に恵まれなかったので、
一代限りとなるので、いつの日にか、私たち夫婦が亡くなった後、長兄の子供である甥っ子ふたりに何かと面倒をかける、
と思いながら、長らく躊躇(ためら)ってきた・・。
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私が40歳を過ぎた頃の1985年〈昭和60年〉の2月、
亡き小説家・立原正秋の作品のひとつに描かれた信州の別所温泉に、私たち夫婦は一泊二日で訪ねた。
こうした中で、あるお寺を散策していた時、お寺の隣あわせに里山を切り開いたように、
緩やかな傾斜のある広大な墓地があり、お花が数多く飾られ、お線香の煙がたなびいていた・・。
その外れに松林のゆったりした丘があり、ここに数多くの墓石が転がっていた。
人が訪ずれた形跡もなく、墓石に松葉が音もなく舞い降り、
苔に覆われた墓石が横たわっていたり、松の葉で埋もれかけた墓石もあった。
こうした無縁の墓地に、木漏れ日が地上を彩(いろど)っていた。
私は、人が土に還える、とはこうした事だろう、と思い重ねたりした。
こうした思いから、通常のお墓でなく、無縁仏に近いことを考え始めた・・。
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その後、10年過ぎた頃、岩手県のあるお寺で樹木葬を知り、
これだったら土に還える、と私は納得しながら、家内に言った。
『俺が先に死んだら・・花巻温泉で静養し、気が向いた時でいいから
・・・お墓には寄ってくれればよい』
お墓といっても、里山に墓石もなく、私たちの好きな樹木のひとつがあるだけである。
このように私たち夫婦は、お墓は樹木葬と決め、
7年前の頃に伊豆大島にも樹木園ができた、とか学んだりしてきた。
その後、千葉県の房総半島の奥地にある寺院で、樹木葬があると学んだが、
我が家から少なくとも3時間は要し、遠方だよなぁ、と私たちは思ったりしてきた。
或いは2年前の頃、我が家からバスと電車を利用して、一時間ぐらいの地域に、広大な墓地の一角に、
畳一畳より少し小さ目の墓地で、たった一本の樹木が植えられ墓地の販売区画で永代供養墓と知った。
いずれも永代使用権、永代供養料、永代管理料などを一括納入すれば、
片割れの残された方が、体力の衰えた身であっても、お墓参りが出来る、と思ったりしている。
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こうして思いばかり重ねてきたが、私は男性の平均寿命は80歳と認識しているので、
私たち夫婦は元気な今、樹木葬のできる墓地を決断しょう、と思い一年が過ぎている。
こうした中で、私たち夫婦が樹木葬の墓地(埋葬地)として、現在は最有力地として、
この大島にある『千の風 みらい園』に、今回訪ねることとした。
http://www.miraien.jp/00miraien-index.html
☆【千の風 みらい園】公式サイト☆
窓辺から視える情景は変貌して、光明ある日になるかしら、と思い重ねたりした。
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やがて朝食後、ゆったりとした時を過ごした後、家内が予約していた『千の風 みらい園』の本社スタッフと逢う為、
私たち夫婦は岡田港に路線バスで向かった。
そして岡田港に着くと、案内板をささげている本社スタッフの女性、そして当地の管理を専任されている40代の男性、
お互いに初対面の挨拶を交わした後、社の自動車で元町港の郊外にある樹木葬の墓地(埋葬地)に向かった。
やがて到着した後、管理棟の一室で、本社スタッフの女性から、私たちは樹木葬、埋葬に関することなどを説明を受けたり、
質疑応答を和(なご)やかにした後、埋葬地を歩いたりした・・。
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里山の傾斜に、それぞれお気に入りの指定した場所・・永眠できる地・・
前方は海が見られ、天候に恵まれれば彼方には伊豆半島、富士山が聳え立つ景観であった・・。
この地球には75億人が生活されているが、私たち夫婦はたったふたりだけで、
いつの日にか、この地で永眠でき、やがて土に還ることは、私は望ましい・・
と思いを深めたりした。
この後、私たち夫婦が埋葬できる指定地を仮予約した後、
管理棟の一室で、本社スタッフの女性から、私たちは補足説明を受けたりした。
やがて『千の風 みらい園』を辞して、本社スタッフの女性が元町港まで送迎して下さった。
そして私たち夫婦は、昼食として近くの寿司屋に入った後、元町の街並みを散策した。
やがて街通りに、扁額のような形で表現された文に、私は瞬時に深く魅了された・・。
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まもなく歩くと、簡素な寺院が視え、私はこっそりと撮ったりした。
そして浄土宗『潮音寺(ちょうおんじ)』と読め、私の生家(実家)は曹洞宗であるが、
仏門の真意には大勢に影響がないょ、と解釈して、入ったりした。
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やがて御堂には、扁額のような文をぼんやりと仰ぎ見て、つたない人生航路を歩んできた私は、溜息を重ねたりした。
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知足
足りを知る者は
こころ豊かなり
和顔施
笑顔には
笑顔がかえってくる
特に私はうなだれたのは、平素は美は断念あり、と表面は公言しているが、
心の片隅には、未だに物欲、金銭欲が捨てきれず、齢ばかり重ねて修業が足りないなぁ、と思ったりした。
やがて私たち夫婦は路線バスに乗車し、岡田港から高速ジェット船に身をゆだねて、都心にある竹芝桟橋に向かった。
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