夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

伊豆大島にある樹木葬の墓地(埋葬地)、私たち夫婦の視察旅行 最終 選定した墓地(埋葬地)は・・。

2016-05-22 17:11:41 | 私の死生観、葬儀、埋葬など
私たち夫婦は、19日に宿泊する『大島温泉ホテル』にチェックインした後、
指定された部屋に入ると、折り紙で作られた幾重かの椿の花に、私たちは微笑んだりした。
            

この『大島温泉ホテル』は、今の時節は数多くのツツジが咲き、のどかでやすらぎを感じる情景であった。
  

まもなく私は大浴場、そして露天風呂から三原山のスロープを眺めると、
私たち部屋から見る景観と同じだ、と私は微笑んだりした。
http://www.oshima-onsen.co.jp/furo.html
☆【大島温泉ホテル】公式サイト==>『三原山温泉』☆

やがて私たちは、夕食を頂いた後、夕暮れの情景に私は瞬時に魅了され、
ホテルの正面玄関先にある庭から、撮ったりした・・。
  

翌日の朝5時過ぎ、私は部屋の窓辺にある椅子に座り、本日訪ねる樹木葬のできる墓地(埋葬地)を思い馳せ、
ぼんやりと眺めたりした・・。
            

私は1944年(昭和19年)の秋に農家の三男坊として生を受け、分家のような形で、実家の近くに住んでいるが、
実家のお墓の近くに墓地を買い求めるに、たまたま子供に恵まれなかったので、
一代限りとなるので、いつの日にか、私たち夫婦が亡くなった後、長兄の子供である甥っ子ふたりに何かと面倒をかける、
と思いながら、長らく躊躇(ためら)ってきた・・。
            

私が40歳を過ぎた頃の1985年〈昭和60年〉の2月、
亡き小説家・立原正秋の作品のひとつに描かれた信州の別所温泉に、私たち夫婦は一泊二日で訪ねた。

こうした中で、あるお寺を散策していた時、お寺の隣あわせに里山を切り開いたように、
緩やかな傾斜のある広大な墓地があり、お花が数多く飾られ、お線香の煙がたなびいていた・・。

その外れに松林のゆったりした丘があり、ここに数多くの墓石が転がっていた。

人が訪ずれた形跡もなく、墓石に松葉が音もなく舞い降り、
苔に覆われた墓石が横たわっていたり、松の葉で埋もれかけた墓石もあった。
こうした無縁の墓地に、木漏れ日が地上を彩(いろど)っていた。

私は、人が土に還える、とはこうした事だろう、と思い重ねたりした。

こうした思いから、通常のお墓でなく、無縁仏に近いことを考え始めた・・。
            

その後、10年過ぎた頃、岩手県のあるお寺で樹木葬を知り、
これだったら土に還える、と私は納得しながら、家内に言った。

『俺が先に死んだら・・花巻温泉で静養し、気が向いた時でいいから
・・・お墓には寄ってくれればよい』

お墓といっても、里山に墓石もなく、私たちの好きな樹木のひとつがあるだけである。


このように私たち夫婦は、お墓は樹木葬と決め、
7年前の頃に伊豆大島にも樹木園ができた、とか学んだりしてきた。

その後、千葉県の房総半島の奥地にある寺院で、樹木葬があると学んだが、
我が家から少なくとも3時間は要し、遠方だよなぁ、と私たちは思ったりしてきた。

或いは2年前の頃、我が家からバスと電車を利用して、一時間ぐらいの地域に、広大な墓地の一角に、
畳一畳より少し小さ目の墓地で、たった一本の樹木が植えられ墓地の販売区画で永代供養墓と知った。

いずれも永代使用権、永代供養料、永代管理料などを一括納入すれば、
片割れの残された方が、体力の衰えた身であっても、お墓参りが出来る、と思ったりしている。
            

こうして思いばかり重ねてきたが、私は男性の平均寿命は80歳と認識しているので、
私たち夫婦は元気な今、樹木葬のできる墓地を決断しょう、と思い一年が過ぎている。

こうした中で、私たち夫婦が樹木葬の墓地(埋葬地)として、現在は最有力地として、
この大島にある『千の風 みらい園』に、今回訪ねることとした。

http://www.miraien.jp/00miraien-index.html
☆【千の風 みらい園】公式サイト☆

窓辺から視える情景は変貌して、光明ある日になるかしら、と思い重ねたりした。
            

やがて朝食後、ゆったりとした時を過ごした後、家内が予約していた『千の風 みらい園』の本社スタッフと逢う為、
私たち夫婦は岡田港に路線バスで向かった。

そして岡田港に着くと、案内板をささげている本社スタッフの女性、そして当地の管理を専任されている40代の男性、
お互いに初対面の挨拶を交わした後、社の自動車で元町港の郊外にある樹木葬の墓地(埋葬地)に向かった。

やがて到着した後、管理棟の一室で、本社スタッフの女性から、私たちは樹木葬、埋葬に関することなどを説明を受けたり、
質疑応答を和(なご)やかにした後、埋葬地を歩いたりした・・。
            

里山の傾斜に、それぞれお気に入りの指定した場所・・永眠できる地・・
前方は海が見られ、天候に恵まれれば彼方には伊豆半島、富士山が聳え立つ景観であった・・。

この地球には75億人が生活されているが、私たち夫婦はたったふたりだけで、
いつの日にか、この地で永眠でき、やがて土に還ることは、私は望ましい・・
と思いを深めたりした。

この後、私たち夫婦が埋葬できる指定地を仮予約した後、
管理棟の一室で、本社スタッフの女性から、私たちは補足説明を受けたりした。

やがて『千の風 みらい園』を辞して、本社スタッフの女性が元町港まで送迎して下さった。

そして私たち夫婦は、昼食として近くの寿司屋に入った後、元町の街並みを散策した。

やがて街通りに、扁額のような形で表現された文に、私は瞬時に深く魅了された・・。
            

まもなく歩くと、簡素な寺院が視え、私はこっそりと撮ったりした。
そして浄土宗『潮音寺(ちょうおんじ)』と読め、私の生家(実家)は曹洞宗であるが、
仏門の真意には大勢に影響がないょ、と解釈して、入ったりした。
            

やがて御堂には、扁額のような文をぼんやりと仰ぎ見て、つたない人生航路を歩んできた私は、溜息を重ねたりした。
            

   知足
     足りを知る者は
          こころ豊かなり

   和顔施
     笑顔には
          笑顔がかえってくる

特に私はうなだれたのは、平素は美は断念あり、と表面は公言しているが、
心の片隅には、未だに物欲、金銭欲が捨てきれず、齢ばかり重ねて修業が足りないなぁ、と思ったりした。

やがて私たち夫婦は路線バスに乗車し、岡田港から高速ジェット船に身をゆだねて、都心にある竹芝桟橋に向かった。

☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪
にほんブログ村 シニア日記ブログへにほんブログ村
人気ブログランキングへ

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

伊豆大島にある樹木葬の墓地(埋葬地)、私たち夫婦の視察旅行 ②三原山の山頂遊歩道は・・。

2016-05-22 08:41:17 | 私の死生観、葬儀、埋葬など
バス停の終点の三原山頂口の近くにある『三原山内遊歩道』の案内板は、
確か6コースが表示されていた。

そして先ほど、『大島温泉ホテル』の麗(うるわ)しき若き女性フロントの御方から、
山頂付近は風が強く吹いていると思われますので、お気を付け下さい、と私は言われたことを思いだしたりした。

こうした中で、最も山頂まで歩きやすいコースは、『山頂遊歩道』と思われ、
体力の衰えた私は、家内に向かって、ボクにぴったりだょ、と微笑ながら言ったりした。

何かしら山頂口から内輪山に向かって舗装された遊歩道が整備され、誰でも安心して歩けるハイキングコースで、
登りは約45分、下山は30分、と私は解釈した。

そして私は、三原山は古くから数多くの島民から、噴火を御神火、火山を御神火様と敬ってきたことに敬意し、
少し歩きましょうか、と私は大きな声で家内に言ったりした。
            

まもなく歩きだして、風もなく晴れ間が見える中、道端から視える情景は、
1986年(昭和61年)に大噴火し、大小の数多くの溶岩石が降れ出した時から、
わずか30年過ぎた今、こうして緑一面に回復した状景に、自然の変貌には驚いたりした・・。
            

そしてご婦人であったなら、低い(ロー)ヒールでも歩きやすい平坦な路を歩きながら、
道端に咲いているツツジの花を私は誉めたりした。
  

やがて溶岩流先端先と明記されたプレートを見た頃から、所々に大きな溶岩が視え、
まもなく急激に風が強く吹く中、上り坂となったりした。
  

そして幾重かのつづら折りの道となり、まるで道が途切れような状景も見られ、
私たち夫婦は、懸命に上り坂を登った・・。
            

やがて15分過ぎた頃、あの大噴火の時に、この場所だけ奇跡的に溶岩流が避けて通り、
厄除け神社と知られている『三原神社』を見ながら、歩いたりした。
            

まもなく噴火口跡が見え、山頂近くに到達し、私は安堵したりした。
  

お互いに何とか登れて良かったねぇ、と私は家内に言ったりした。


まもなく『火口展望台』まで10分、と家内は標識を見て、行きましょう、と家内は私を誘った。

ほぼ平坦な路を歩きだして、そして『火口展望台』に到達すると、
岡田港から路線バスで同乗した欧米人の男女4人グループと偶然に再会し、
写真を撮り合っていた・・。

私も噴火口跡の状景を記念ねぇ、と撮ったりしていた。
            

まもなく家内に、グループの合同記念写真でシャッターを押して欲しい、しぐさを見せた、
と私に家内が言ったりした。

私は微笑ながら、英語の単語を思いだすように三言を言ったりして、
カメラを差し出した長身の男性から受け取ると、
シャッターを押すと、連続撮影がセットされていたので、3枚ぐらい撮れてしまい、私は少し驚いた。

そして私は長身の男性にカメラを返却しながら、リプレイ、と単語を並べながら言った。

まもなく長身の男性は、再生を確認した後、微笑みながら私に御礼の言葉を言われたりした。

やがて私たち夫婦は下山を始めてまもなく大きな溶岩石の間を通り過ぎた。
            

この後、ゆったりと歩きながら、野イチゴを見たりしながら歩いたりした。
  

やがてバス停の終点の三原山頂口の近くに戻ると、近くにある食堂に入り、
窓辺に近い席で、私はビールを飲み、家内はコーヒーを飲み、お互い健闘を称え、談笑をしたりした。

そして窓辺から無念ながら伊豆半島、富士山は霞み、元町港だけは視え、私たち夫婦は微苦笑した。
            

この後、路線バスに乗車して、やがて本日宿泊する『大島温泉ホテル』前で下車し、
まもなくチェックインとした。
                                      《つづく》

☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪
にほんブログ村 シニア日記ブログへにほんブログ村
人気ブログランキングへ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする