私は東京の調布市に住む年金生活の71歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
昨日の朝、洗面した後、いつものように、居間のビデオ・ケースの上に立てかけている
曹洞宗を学ばれた書家・詩人の相田みつを氏の『日めくり ひとりしずか』に毎朝向っている。
そして氏の綴られた本日の格言を、心の中で、呟(つぶや)いている。
私は曹洞宗を学ばれた書家・詩人の相田みつを氏の『日めくり ひとりしずか』に毎朝向って、
何かと気弱な癖に、ときには傲慢と独断、そして偏見の多い私を戒(いまし)めている。
世の中で著名な相田みつを氏を遅ればせながら学んだのは、
過ぎし1999年〈平成11年〉の5月中旬、私たち夫婦は家内の両親を誘い、
伊香保温泉に2泊3日で滞在した時、 ある民芸土産店で私はひとつの品に目がとまった・・。
『ひとりしずか』、と大きく題され、みつを、と署名されていた。
そして私は手に取り、ページを捲(めく)ると、
著名なこのお方の名は知っていたのであるが、遅ればせながら初めて接した書物の言葉、そして書体であった・・。
この言葉を読み終わった後、瞬時に圧倒的に魅了された・・。
私は幾つになっても拙(つたな)い我が身を振り返り、私の父は、無念ながら私が小学2年の時に病死された体験もあり、
私はこの『トイレ用日めくり』を買い求めた後、その日に応じたページに、
さりげなく深い人生の教訓の言葉を特有な平坦の書体で書かれていた。
そしてこの日以来、私はこの御方を秘かに慈父のように人生の師と掲げたりした。
私は民間会社の中小業に35年近く勤めて2004年(平成16年)の秋に定年退職をした身であるが、
長年サラリーマン生活を過ごす中、障害レースのように幾たびかリストラに遭遇して、
何とか乗り越え定年退職を迎えことが出来るまで、何かと卑屈と劣等感を秘めながら、悪戦苦闘が多かったりした。
そして何かと気弱な癖に、ときには自己顕示欲が強く、やがて反省しながら自己嫌悪となったりし、
つたないサラリーマンの人生航路を過ごしたりした・・。
やがて定年後、せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと思い、年金生活を始めた・・。
私が年金生活の当初から、平素の買物を自主的に専任者となり、
独りで殆ど毎日のように家内から依頼された品を求めて、買物老ボーイとなっている。
こうした中、最寄のスーパーに買物に行ったり、
或いは駅前までの片道徒歩20分ぐらいのスーパー、専門店に行ったりしているが、
根がケチなせいか利便性のよい路線バスに乗るのことなく、歩いて往還している。
その後、独りで自宅から数キロ以内の遊歩道、小公園などをひたすら歩き廻ったりして、
季節の移ろいを享受している。
午後からの大半は、随筆、ノンフィクション、小説、近現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。
この間、私は年金生活を過ごしている中で、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
そして私は愛読しているブログの数多くの御方の投稿文を読ませて頂いたり、
コメントを頂戴したり、返信をしたりしている。
或いは数多くの御方の投稿文を読ませて頂く中で、ときおりコメントをしたりしている。
こうして私はブログに関しては、ほぼ毎日3時間前後は要して、過ごしている。
こうして年金生活を過ごしたりし、ときおり小庭の手入れをしたり、
家内と共通趣味のひとつである国内旅行を遊学している。
このように年金生活を過ごして、早や11年半が過ぎているが、
定年するまでの悪戦苦闘が多かった半生を思い馳せれば、定年後の年金生活は安楽な歳月を享受している。
この間、私は相田みつを氏が遺(のこ)された『じぶんの花を』、『いのちいっぱい』、
『雨の日には雨の中を 風の日には風の中を』などの作品を拝読し、信愛を深めたりしてきた・・。
過ぎし年の2014年(平成26年)2月中旬に、私たち夫婦は札幌市の郊外にある定山渓温泉の観光ホテルに、
13泊14日で滞在し、札幌市内、周辺を散策して、遊学してきた。
こうしたある日、小雪舞い降る中、積雪ある定山渓の温泉街を散策をした。
10時過ぎに宿泊している『定山渓グランドホテル端苑』を出て、一時間ぐらい歩いたりした後、温泉町の中心街を歩いていた時、
観光旅館の『ぬくもりの宿 ふる川』で、私が敬愛している亡き相田みつを氏の特有な文体が視え、
どうしてなの、と思ったりしていると、
この館内に、氏の展示室があり、この館の了解を得て、拝見することとした。
2階のひとつの大きな展示室には、氏の遺(のこ)された数多くの書跡が掲げられていた。
私たち夫婦は5月19日より伊豆七島のひとつ大島に、
樹木葬の墓地(埋葬地)を視察する旅路を一泊二日で行った。
やがて樹木葬の墓地(埋葬地)を私たちは仮予約した後、元町港の街並みを散策した。
こうした中で、街通りに、扁額のような形で表現された文に、私は瞬時に深く魅了された・・。
まもなく歩くと、簡素な寺院が視え、浄土宗『潮音寺』ちょうおんじと読め、この『潮音寺』が、
掲げて下さった、と私は理解した。
私は中小業の民間会社に奮戦している50代の時、同僚が病死されたり、
そして知人は定年前の59歳で病死し、残されたご家族の心痛な思いが、痛いほど理解させられたりしてきた。
やがて私は2004年(平成16年)の秋に定年退職した後、
年金生活を始め、やがて62歳の時、現役時代の一時時期に交遊した友も、無念ながら病死したりした。
まもなく、知人のひとりの奥様が病死されて、
この知人は『おひとりさま』となり、私たちの多くは哀悼をしながらも、動顛してしまった。
こうした根底には、私たち世代の周囲の男性の多くは、60代で妻が夫より先に亡くなることは、
考えたこともなく、こうしたことがあるんだぁ、とこの人生の怜悧な遭遇に深く学んだりした。
やがて私は高齢者入門の65歳を過ぎてから、心身ともに自立し健康的に生活できる期間の健康寿命は、
男性の平均としては71歳であり、平均寿命は男性の場合は80歳と知った時、
恥ずかしながらうろたえたりした・・。
そして70代となれば、多くの人は体力の衰えを実感して、75歳まではこれまでどおりの自立した生活ができるが、
80歳が見えてくる頃には介護を必要とするようになり、
やがて80代後半では何らかの介護付き施設に入居する可能性が高くなる、と専門家の人から数多く発言されている。
ここ数年は会社時代の少し先輩、或いは後輩の68歳が、いずれも大病で入退院を繰り返した後、この世を去ったり、
ご近所の私と同世代の知人が、突然に脳梗塞で死去されて、数か月の先は誰しも解らない、冷厳なこの世の実態に、
私は震撼させられたりしてきた・・。
私たち夫婦は、幸運にも大病に遭遇せず、今日を迎えているが、
健康寿命、やがて逝去も余りにも格差がある、と私は思い馳せたりしたりして、
ここ3年幾たびか私たち夫婦は、一日を大切に過ごそう、とお互いに言い交したりしている。
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私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
昨日の朝、洗面した後、いつものように、居間のビデオ・ケースの上に立てかけている
曹洞宗を学ばれた書家・詩人の相田みつを氏の『日めくり ひとりしずか』に毎朝向っている。
そして氏の綴られた本日の格言を、心の中で、呟(つぶや)いている。
私は曹洞宗を学ばれた書家・詩人の相田みつを氏の『日めくり ひとりしずか』に毎朝向って、
何かと気弱な癖に、ときには傲慢と独断、そして偏見の多い私を戒(いまし)めている。
世の中で著名な相田みつを氏を遅ればせながら学んだのは、
過ぎし1999年〈平成11年〉の5月中旬、私たち夫婦は家内の両親を誘い、
伊香保温泉に2泊3日で滞在した時、 ある民芸土産店で私はひとつの品に目がとまった・・。
『ひとりしずか』、と大きく題され、みつを、と署名されていた。
そして私は手に取り、ページを捲(めく)ると、
著名なこのお方の名は知っていたのであるが、遅ればせながら初めて接した書物の言葉、そして書体であった・・。
この言葉を読み終わった後、瞬時に圧倒的に魅了された・・。
私は幾つになっても拙(つたな)い我が身を振り返り、私の父は、無念ながら私が小学2年の時に病死された体験もあり、
私はこの『トイレ用日めくり』を買い求めた後、その日に応じたページに、
さりげなく深い人生の教訓の言葉を特有な平坦の書体で書かれていた。
そしてこの日以来、私はこの御方を秘かに慈父のように人生の師と掲げたりした。
私は民間会社の中小業に35年近く勤めて2004年(平成16年)の秋に定年退職をした身であるが、
長年サラリーマン生活を過ごす中、障害レースのように幾たびかリストラに遭遇して、
何とか乗り越え定年退職を迎えことが出来るまで、何かと卑屈と劣等感を秘めながら、悪戦苦闘が多かったりした。
そして何かと気弱な癖に、ときには自己顕示欲が強く、やがて反省しながら自己嫌悪となったりし、
つたないサラリーマンの人生航路を過ごしたりした・・。
やがて定年後、せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと思い、年金生活を始めた・・。
私が年金生活の当初から、平素の買物を自主的に専任者となり、
独りで殆ど毎日のように家内から依頼された品を求めて、買物老ボーイとなっている。
こうした中、最寄のスーパーに買物に行ったり、
或いは駅前までの片道徒歩20分ぐらいのスーパー、専門店に行ったりしているが、
根がケチなせいか利便性のよい路線バスに乗るのことなく、歩いて往還している。
その後、独りで自宅から数キロ以内の遊歩道、小公園などをひたすら歩き廻ったりして、
季節の移ろいを享受している。
午後からの大半は、随筆、ノンフィクション、小説、近現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。
この間、私は年金生活を過ごしている中で、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
そして私は愛読しているブログの数多くの御方の投稿文を読ませて頂いたり、
コメントを頂戴したり、返信をしたりしている。
或いは数多くの御方の投稿文を読ませて頂く中で、ときおりコメントをしたりしている。
こうして私はブログに関しては、ほぼ毎日3時間前後は要して、過ごしている。
こうして年金生活を過ごしたりし、ときおり小庭の手入れをしたり、
家内と共通趣味のひとつである国内旅行を遊学している。
このように年金生活を過ごして、早や11年半が過ぎているが、
定年するまでの悪戦苦闘が多かった半生を思い馳せれば、定年後の年金生活は安楽な歳月を享受している。
この間、私は相田みつを氏が遺(のこ)された『じぶんの花を』、『いのちいっぱい』、
『雨の日には雨の中を 風の日には風の中を』などの作品を拝読し、信愛を深めたりしてきた・・。
過ぎし年の2014年(平成26年)2月中旬に、私たち夫婦は札幌市の郊外にある定山渓温泉の観光ホテルに、
13泊14日で滞在し、札幌市内、周辺を散策して、遊学してきた。
こうしたある日、小雪舞い降る中、積雪ある定山渓の温泉街を散策をした。
10時過ぎに宿泊している『定山渓グランドホテル端苑』を出て、一時間ぐらい歩いたりした後、温泉町の中心街を歩いていた時、
観光旅館の『ぬくもりの宿 ふる川』で、私が敬愛している亡き相田みつを氏の特有な文体が視え、
どうしてなの、と思ったりしていると、
この館内に、氏の展示室があり、この館の了解を得て、拝見することとした。
2階のひとつの大きな展示室には、氏の遺(のこ)された数多くの書跡が掲げられていた。
私たち夫婦は5月19日より伊豆七島のひとつ大島に、
樹木葬の墓地(埋葬地)を視察する旅路を一泊二日で行った。
やがて樹木葬の墓地(埋葬地)を私たちは仮予約した後、元町港の街並みを散策した。
こうした中で、街通りに、扁額のような形で表現された文に、私は瞬時に深く魅了された・・。
まもなく歩くと、簡素な寺院が視え、浄土宗『潮音寺』ちょうおんじと読め、この『潮音寺』が、
掲げて下さった、と私は理解した。
私は中小業の民間会社に奮戦している50代の時、同僚が病死されたり、
そして知人は定年前の59歳で病死し、残されたご家族の心痛な思いが、痛いほど理解させられたりしてきた。
やがて私は2004年(平成16年)の秋に定年退職した後、
年金生活を始め、やがて62歳の時、現役時代の一時時期に交遊した友も、無念ながら病死したりした。
まもなく、知人のひとりの奥様が病死されて、
この知人は『おひとりさま』となり、私たちの多くは哀悼をしながらも、動顛してしまった。
こうした根底には、私たち世代の周囲の男性の多くは、60代で妻が夫より先に亡くなることは、
考えたこともなく、こうしたことがあるんだぁ、とこの人生の怜悧な遭遇に深く学んだりした。
やがて私は高齢者入門の65歳を過ぎてから、心身ともに自立し健康的に生活できる期間の健康寿命は、
男性の平均としては71歳であり、平均寿命は男性の場合は80歳と知った時、
恥ずかしながらうろたえたりした・・。
そして70代となれば、多くの人は体力の衰えを実感して、75歳まではこれまでどおりの自立した生活ができるが、
80歳が見えてくる頃には介護を必要とするようになり、
やがて80代後半では何らかの介護付き施設に入居する可能性が高くなる、と専門家の人から数多く発言されている。
ここ数年は会社時代の少し先輩、或いは後輩の68歳が、いずれも大病で入退院を繰り返した後、この世を去ったり、
ご近所の私と同世代の知人が、突然に脳梗塞で死去されて、数か月の先は誰しも解らない、冷厳なこの世の実態に、
私は震撼させられたりしてきた・・。
私たち夫婦は、幸運にも大病に遭遇せず、今日を迎えているが、
健康寿命、やがて逝去も余りにも格差がある、と私は思い馳せたりしたりして、
ここ3年幾たびか私たち夫婦は、一日を大切に過ごそう、とお互いに言い交したりしている。
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