夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

伊豆半島・堂ヶ島のたわむれ遊学記 ③街中、付近を散策すれば・・。

2016-05-12 16:00:44 | 
5月9日、午前中は曇り、と報じられていたので、朝の8時半過ぎから堂ヶ島の中心街の近くにある遊歩道を
一時間ばかり散策した。

この後、『海の道』を歩く予定にしていたので、短めとなったりした。

そして堂ヶ島最大の魅力と称せられる天窓洞は、白い凝灰岩からできており、その地下は蜂の巣のように海蝕トンネルができている。
この洞窟への入口は、東口と南口、西口があり遊覧船は、この南口から入り中央にある天井が丸く抜け落ちた天窓まで進み、
暗い洞窟の中に天井から、光の帯が海面まで差し込み神秘的な光景が見られる、伝えられている。

私たち夫婦は、1995(平成7)年6月初旬に、家内の両親を誘い、土肥温泉に宿泊した時、
この堂ヶ島に立ち寄り、遊覧船に乗船して、イワツバメが舞う中、神秘的な天窓洞を見たりした。

今回、私たちが散策したは、天窓洞を上からも見ることができる堂ヶ島遊歩道のコースである上、
周辺の島々が展望できる快適な路であった。


翌日、小雨が予報されていたが、曇り一時快晴となり、10時半過ぎから、街中、付近を散策した。

そして私は家内と別れて、天窓洞にある『昭和天皇歌碑』を訪ねた。
何かしら昭和29年に昭和天皇がお越しになられた際、と御詠みなされた歌碑であった。
  

  たらちねの
  母が好みしつわぶきは
  この海の辺に
  やがて花咲き匂ふ

この後、与謝野鉄幹・晶子の歌碑があると知り、私は立ち寄ったりした。
昭和10年の早春に、ご夫妻は堂ヶ島に訪れ、天然記念物に指定されている天窓洞を見て詠まれた、
と伝えられる歌である。
          

”島の洞 御堂に似たり舟にして 友の法師よ 参れ心経“ 鉄幹

”堂ヶ島 天窓洞の 天窓を 光てくだる 春の雨かな“ 晶子

私は和歌も詠めないつたない身であるが、晶子さんが詠まれた一句に、
やはり歌人としては才女だ、と微笑んだりした。


やがて私は、お土産屋さんで家内と合流した後、『加山雄三ミュージアム』が視えたが、
私は街起こしに協力している加山雄三さんの主旨は理解できるが、
私は加山雄三さんの言動には苦手であったので、通りすぎたりした。

そして私たちは街外れを散策した後、昼食代わりに食堂に入ったりした。
家内は生しらすと生桜エビを盛った丼(どんぶり)を食べたりしたが、
私はイカの『舟上沖干し』を注文した。

大きめのイカが、二日干しより幾分固かったが、これが私としては最適であり、
ビールを2本ばかり飲みながら、至って満足な風味となったりした・・。

しかしながら家内は、期待した味より欠落した為、コーヒーを注文して飲んだりしていた。

やがて食堂を辞して、私は『セブンイレブン』に立ち寄り、
本日発売の総合月刊雑誌の『文藝春秋』(6月号)を買い求めたりした。

この後、歩いて宿泊先の『堂ヶ島温泉ホテル』に帰還する途中に、小さなお堂が視えたので、
私たちは立ち寄った。
          

宿泊先に戻った後、このお堂は『堂ヶ島薬師堂』で、鎌倉時代に製作された寄木造りによる木像薬師如来坐像、
木像阿弥陀如来坐像、木像釈迦如来坐像が安置され静岡県の重要文化財に指定されている、
と知り、私は無知なことが多すぎる、と微苦笑したりした。


*当面はコメント欄を閉鎖させて頂きます。

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伊豆半島・堂ヶ島のたわむれ遊学記 ②トンボロ現象を求めて

2016-05-12 10:25:22 | 
今回、私たち夫婦が伊豆半島の西海岸にある『堂ヶ島』で、3泊4日の旅路をした。

ここ一年近く、家内は家内の母の小事、介護をしてきたが、
やがて昨年の初秋の頃から、家内の妹も加わり、交互で家内の母の小事、介護をしている。

そして一か月前の頃、家内は介護の疲れた表情が見られ、海を見たいわねぇ・・と私に言ったりした。

こうした時、通販旅行会社として名高いクラブツーリズムから送付されてくる月刊誌から、
伊豆半島の西側にある『堂ヶ島』で、温泉のある観光ホテル『堂ヶ島温泉ホテル』で3泊4日滞在プランがあり、
海辺を眺め、周辺を散策したり、何かとゆっくりと過ごせそうなので、私たち夫婦は瞬時に同意した。

この3泊4日滞在プランには、下田プリンスホテル、東急下田ホテルもあったが、
私たち夫婦は下田には幾たびも訪れてきたので、対象外とした。
何よりも『堂ヶ島』を選定したことは、トンボロ現象が見られることであった・・。

何かしら三四郎島は、沖あい200Mほどの処にある伝兵衛島・中ノ島・沖ノ瀬島・高島からなる4つの島で、
見る角度により3つに見えたり、4つに見えたりすることからこう呼ばれている。

こうした中で、普段は海なのに、干潮時になると一番手前の伝兵衛島まで瀬が現れて、
足をぬらさずに歩いてわたることができる現象を「トンボロ」と称されている。

ただし、干潮時でも30センチ以上潮が引く時でなければ、歩いて渡ることは難しく、
たまたま5月8日の午前12時半には、潮位がマイナス4センチ、
翌日9日の午後1時には、潮位がマイナス1センチが予報され、ここ一か月以内で最少の潮位と知り、
これだったら私たちでも、歩いて『海の道』を歩いて行ける、と悦びながら旅路を選定した。
          


5月8日、私たち夫婦は東京駅より特急『踊り子』に昼12時に乗車し、下田駅で下車した後、
路線バスを利用して『堂ヶ島』バス停で下車した後は、
宿泊滞在する『堂ヶ島温泉ホテル』の送迎車が待機して下さり、チェツクインしたは、午後4時であった。

そして宅配便で到着させた旅行ケースを受領後、指定された4階にある部屋で身支度を改めた後、
明日の昼過ぎに『海の道』を歩く予定にしていた私たち夫婦は、庭園から海辺を歩き廻ったりした・・。
  

そして私たちが気付かされたことは、海岸、海辺は砂浜でなく、玉石とじゃりが集積され、
歩きづらいと処であった。

『海の道』を歩くことは、海水が引いた後で、大小の玉石が殆ど海水に浸かって、苔もあるので滑りやすく、
油断をするとケガになるので、注意しながら歩く処と思ったりした。

その上、天候は本日は晴れ間から曇り空となり、明日からは朝の9時過ぎから小雨が予測され、
その後の日々も小雨時々曇り、と報じられていた・・。

『XXちゃんさあ・・小雨の中、傘を差して『海の道』を歩くことは・・難儀だよなぁ・・』
と私は悪い予感を家内に苦笑しながら言ったりした。


翌日、午前中は曇り、と報じられていたので、堂ヶ島の中心街の近くにある遊歩道を散策した。
          

やがて一時間過ぎた頃から雨雲に変貌してきたので、宿泊している『堂ヶ島温泉ホテル』に10分ばかり歩いて戻り途中で、
小雨が降りだした。

そして『堂ヶ島温泉ホテル』の庭園近くにある松林で、傘を差しながら『海の道』が潮が引くときを待ちわびたりした。
まもなく本降りとなり、私たちは松林にある木のベンチに、傘を差して腰を下ろしたりした。
          

やがて10時半過ぎ、『海の道』が殆ど潮が引いたので、私たち夫婦は歩き出した。
本降りの中、傘を差して歩き始めたが、やはり足元は大小の玉石が海水に浸かっていた為、苔もあるので滑りやすく、
ゆっくりと歩いたりした・・。

途中で、私はデジカメでシャッターを押しても、傘を差しているので定まらい中、撮ったりした。


そして後方を見ると、私たちを見て、渡ろうかと数人の人が思案していたり、
その後も10数人増えたが、やはり歩くことを断念して、退散している状景が見られた。
  

やがて私たち夫婦は、沖あい200Mほどの処ある伝兵衛島にたどり着き、私は記念に撮ったりした。
          

そして私たちは帰還して、松林に戻った時、雨は激しさを増した・・。
          

私たちは幸運にもタイミング良く渡れたよねぇ、と私は家内に微苦笑しながら言ったりした。


*当面はコメント欄を閉鎖させて頂きます。

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