夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

新年の挨拶、恥ずかしながら年金生活の中で、私たち夫婦は恒例行事のように・・。

2020-01-02 07:27:07 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の調布市に住む年金生活の血液型B型の75歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。

私たち夫婦の両親は、家内の母だけとなっている。

私が民間会社を定年退職する2004年(平成16年)の秋の直前に、家内の父が死去し、
家内の母は我が家より遠方に独り住まいとなったので、年末年始には我が家に来て貰って、
この時節の年末年始を共に3人で過ごすのが、14年間続いたりした。

やがて昨年になると、介護・要となってしまった家内の母は、我が家に来るのも難儀となり、
私たち夫婦は15年ぶりに、ふたりだけの年末年始となったりした。

こうした中、年金生活を始めた時より、元旦の朝、私たち夫婦は恒例のように、
朝の挨拶をしてきた・・。

          

今年の元旦の朝、布団の中でまどろんでいた私は、新たな年を迎えて、
今年は恥ずかしながら9月の誕生日を迎えると76歳かょ、と思ったりした。

横の布団には、家内が軽い寝息をしていた。

やがて家内は目覚めたらしく、私は家内に新年の挨拶をしなければと思い、
私はわが身の掛布団と毛布を払い、敷布団2枚と電気毛布を敷いたシーツの上で、正座した。

そして私は横の布団の中にいる家内に向かって、

          

『昨年は事あるごとに・・何かとノロマの私に・・幾たびもお心遣いを賜り、感謝したします。
おかげさまで・・私も楽しい一年を過ごすことができました。
本年も・・よろしくお願い致します・・』
と私は家内に真摯に言ったりした。

家内は横の布団の中で、少しうなずいた後、
『何時ごろ、お雑煮を頂きましょうか?』
と家内は私に笑いながら言ったりした。

『7時半ごろ、頂きましょうか・・』
と私は家内に言ったりした。

そして私は敷布団の上の正座から、横たわり掛布団と毛布をわが身に掛けながら、
家内に対しての新年の挨拶を終わり、安堵したりした。

このように準じた新年の挨拶・・私は定年退職後に多々の理由で年金生活をき始めた以来、
毎年してきたので、確か16年だょなぁ・・、と微苦笑したりした。

          

この後、まもなく一年前のこの日は、途絶えてしまったことに気づき、苦笑をしたりした。

昨年の元旦の早朝、私は心臓に激しい痛みを感じて、やむなく救急車で病院に搬送されて、
緊急の応急手当を受けた後、やがて日帰りで帰宅した。

そして私は安静した状態で正月3が日を過ごすこととなり、
私たちは初めて静かなお正月を過ごすこととなるわねぇ・・と家内から言われたりした。

今回、やむなく生まれて初めて正月三が日は、安静の中、戸惑いながら過ごした・・。                       

お節料理の好みの単品を揃えてきたが、思いがけない病状に、何かとプラス思考の私でも、
失墜感で、うつろな状況で食べたりした。

或いは日本酒、ウィスキー、ビールを年末で準備完了であったが、
一滴も呑めない正月三が日は、二十歳以来初めての出来事となったりした。

やむなく日中のひとときは、寝室の布団の中で身も心も預けて、
本を読んだり、昼寝をして過ごした・・。

この後、3日の深夜、再び心臓の激しい痛みで、やむなく救急車で病院に搬送されて、
やがて8泊9日の入院生活を過ごした。

          

そして今年の元旦の朝、昨年は朝の挨拶が途絶えてしまったので、
敗者復活戦のように、私は敷布団の上に正座して、横の布団の中にいる家内に向かって、
新年の挨拶をしたりした。

『昨年は事あるごとに・・何かとノロマの私に・・幾たびもお心遣いを賜り、感謝したします。
おかげさまで・・私も楽しい一年を過ごすことができました。
本年も・・よろしくお願い致します・・』
と私は家内に真摯に言ったりした。

家内は横の布団の中で、くすっと笑ったりした。

コメント (4)
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