私は東京の調布市に住む年金生活の血液型B型の75歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
私たち夫婦の両親は、家内の母だけとなっている。
私が民間会社を定年退職する2004年(平成16年)の秋の直前に、家内の父が死去し、
家内の母は我が家より遠方に独り住まいとなったので、年末年始には我が家に来て貰って、
この時節の年末年始を共に3人で過ごすのが、14年間続いたりした。
やがて昨年になると、介護・要となってしまった家内の母は、我が家に来るのも難儀となり、
私たち夫婦は15年ぶりに、ふたりだけの年末年始となったりした。
こうした中、年金生活を始めた時より、元旦の朝、私たち夫婦は恒例のように、
朝の挨拶をしてきた・・。
今年の元旦の朝、布団の中でまどろんでいた私は、新たな年を迎えて、
今年は恥ずかしながら9月の誕生日を迎えると76歳かょ、と思ったりした。
横の布団には、家内が軽い寝息をしていた。
やがて家内は目覚めたらしく、私は家内に新年の挨拶をしなければと思い、
私はわが身の掛布団と毛布を払い、敷布団2枚と電気毛布を敷いたシーツの上で、正座した。
そして私は横の布団の中にいる家内に向かって、
『昨年は事あるごとに・・何かとノロマの私に・・幾たびもお心遣いを賜り、感謝したします。
おかげさまで・・私も楽しい一年を過ごすことができました。
本年も・・よろしくお願い致します・・』
と私は家内に真摯に言ったりした。
家内は横の布団の中で、少しうなずいた後、
『何時ごろ、お雑煮を頂きましょうか?』
と家内は私に笑いながら言ったりした。
『7時半ごろ、頂きましょうか・・』
と私は家内に言ったりした。
そして私は敷布団の上の正座から、横たわり掛布団と毛布をわが身に掛けながら、
家内に対しての新年の挨拶を終わり、安堵したりした。
このように準じた新年の挨拶・・私は定年退職後に多々の理由で年金生活をき始めた以来、
毎年してきたので、確か16年だょなぁ・・、と微苦笑したりした。
この後、まもなく一年前のこの日は、途絶えてしまったことに気づき、苦笑をしたりした。
昨年の元旦の早朝、私は心臓に激しい痛みを感じて、やむなく救急車で病院に搬送されて、
緊急の応急手当を受けた後、やがて日帰りで帰宅した。
そして私は安静した状態で正月3が日を過ごすこととなり、
私たちは初めて静かなお正月を過ごすこととなるわねぇ・・と家内から言われたりした。
今回、やむなく生まれて初めて正月三が日は、安静の中、戸惑いながら過ごした・・。
お節料理の好みの単品を揃えてきたが、思いがけない病状に、何かとプラス思考の私でも、
失墜感で、うつろな状況で食べたりした。
或いは日本酒、ウィスキー、ビールを年末で準備完了であったが、
一滴も呑めない正月三が日は、二十歳以来初めての出来事となったりした。
やむなく日中のひとときは、寝室の布団の中で身も心も預けて、
本を読んだり、昼寝をして過ごした・・。
この後、3日の深夜、再び心臓の激しい痛みで、やむなく救急車で病院に搬送されて、
やがて8泊9日の入院生活を過ごした。
そして今年の元旦の朝、昨年は朝の挨拶が途絶えてしまったので、
敗者復活戦のように、私は敷布団の上に正座して、横の布団の中にいる家内に向かって、
新年の挨拶をしたりした。
『昨年は事あるごとに・・何かとノロマの私に・・幾たびもお心遣いを賜り、感謝したします。
おかげさまで・・私も楽しい一年を過ごすことができました。
本年も・・よろしくお願い致します・・』
と私は家内に真摯に言ったりした。
家内は横の布団の中で、くすっと笑ったりした。