夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

ここ数週間、冬眠のような午後の時を過ごし、我ながら微苦笑をして・・。

2020-01-10 15:54:11 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅み住む年金生活の75歳の身であるが、
私は民間会社で35年近く奮戦して2004年(平成16年)の秋に定年退職後、
多々の理由で年金生活を始めたので、年金生活は丸15年が過ぎ、早や16年生の身である。

そして私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たった2人だけ家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、古びた一軒家に住んでいる。
       
こうした中、私が年金生活の2004年(平成16年)の秋の当初から、
我が家の平素の買物は、 私は自主的に買物専任者として宣言し、 家内から依頼された品を求めて、
独りで殆ど毎日、スーパー、専門店など歩いて行き、 買物メール老ボーイとなっている。


この後は、やはり自宅から3キロ以内の遊歩道、小公園などをひたすら歩き廻ったりして、
季節の移ろいを享受している。


私は亡き母の遺伝を純粋に受け継いだ為か、恥ずかしながら男の癖におしゃべりが好きで、
結婚した当初からでも、 何かと家内と談笑したり、 やがて年金生活の中でも
ご近所の奥様、ご主人などと明るく微笑みながら談笑したりしている。

そして私は、遊歩道、公園などを散策していると、 見知らぬ男性、 女性グループの御方たちと、
話しかけられたり、或いは話しかけたりして、 立ち止まって談笑したりしている。


このような午前中の過ごし方を定例事項のように過ごしてきた・・。
          


例外として、家内のボディガード、お供そして荷物持ちで、3週間に一度ぐらい駅前で買物、
或いは年に3回ぐらい都心の新宿にある伊勢丹、小田急、京王などのデパートに買物、
そして庭の手入れ、国内旅行、懇親会、冠婚葬祭などで小用がない限り、定年後の丸15年を過ごしてきた。


こうした散策することは、もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、困窮するので、
ひたすら歩き、ときおり大股で歩いたり、或いは足早に歩くことが多くなっている。
              

そして
私は定年後に年金生活の始めた直後、独りで近所の遊歩道を散策したりすると、
こんなに自由に散歩できるなんて、許されても良いのかしら、 と定年直前までの多忙期を思い重ねたりし、
戸惑いながら甘受したりした。

そして午後から夜の大半は、私は随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書、

ときおり20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、 或いは音楽も聴いたりしている。

そして年金生活は、サラリーマン航路は、何かと悪戦苦闘が多かった為か、
つたない半生を歩んだ私でも、予測した以上に安楽な生活を享受している。

          

このように私は過ごしているが、ここ数週間は冬眠のような午後の時を過ごしている。

午後の2時過ぎ、電気毛布の暖かさのある布団(ふとん)にもぐり、
本を読んだりしてきた。

たとえば塩野七生さんの著作の『十字軍物語』(新潮文庫・1巻~4巻)を読んだりしているが、
殆ど1時間半ぐらい読み、中断して、やがて寝付いてしまう・・。

そして夢の中で、塩野七生さんの著作に導かれて、十字軍が活躍した当時の欧州、中近東の状況が、
カラーで鮮明に映し出されて、それぞれの御方の思惑を学び、
そうでしたか・・と無学な私は学んだりしている。

やがて布団(ふとん)の中で目覚めた後、
また昼寝をしてしまった、と微睡(まどろみ)ながら微苦笑をしたりしてきた。

もとより平日の午後に昼寝ができることは、年金生活の特権のひとつ、
独り苦笑したりしてきた。

しかし午後の大切な時間が、ふたつぐらい用事が押し寄せ、
何かとノロマの私は、読書と昼寝の時間がなくなってしまう日もある。

たまたま本日も、読書と昼寝の時間がなくなり、少し戸惑いながら微苦笑している。

コメント
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