私は東京の調布市に住む年金生活の75歳の身であるが、
今朝ぼんやりとカレンダーを見ると、11日は確か『鏡開きの日』だったよなぁ、
と思ったりした。
そして数多くの人が3連休を迎えて、ご家族でゆっくりと過ごされ、
家庭を守る主婦たちは『女正月』として、今年初めてのんびりとくつろげる日かしら、
と私は思ったりした・・。
もとより家庭を守るご主婦たちは、昨年の中旬までにお歳暮を済ませた後、
その後は大掃除、年末年始の準備をしたり、御節料理の買物、料理などで多忙な日々を過ごしてきた。
そして新年を迎え、ご家族一同で初詣をしたり、新年会をされたりした後、
6日には仕事始めの一家の主(あるじ)の夫を送りだし、7日の朝食の代わりに『七草がゆ』を頂き、
そして8日にはお子様も三学期の『始業式』となる。
そして本日の11日には、お供えの鏡餅を下ろし、『鏡開き』をして、
小豆(あずき)がゆを食べたり、 何かしら初めてほっとご家族で過ごすことができるのは、
この時節と思ったりした・・。
私たち夫婦は無念ながら子供に恵まれなかったので、
我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
叔母、長兄、或いは友人のご家庭を時折見たりしてきたので、
このようなことを長らく思ったりしたのである。
大正時代の頃から日本の多くの人たちは、このように過ごされ、
特にご婦人たちがゆっくりとした気持ちになれるので、『小正月』と命名されたり、
『女正月』とも称せられたりしてきた。
私は1944年(昭和19年)の秋に生を受けて、
東京オリンピックが開催されて1964(昭和39)年に大学を中退し、
映画・文学青年の真似事をし、やがて敗退し、
ある民間会社に何とか中途入社できたのは、1970年(昭和45年)の春であった。
職場で共にした多くは、新卒の団塊の世代であり、妹のふたり、そして家内もこの世代の人である。
そして私たちの先輩たちは、1960年(昭和35年)の前後から、日本の高度成長と共に、
猛烈に社内で働いて、一家の収入の責務を負い、
妻は専業主婦となり、子供の育児などを含めて、家庭内の専守防衛に徹して、夫の後方支援となっていた。
このような先輩たちを学びながら、私達の世代、そして団塊の世代も邁進した。
一家の主(あるじ)が懸命に働ければ、年収は確実に上昇し、
専守防衛の専業主婦に収入を渡すことができ、喜びを共にできた時代であり、
確かに明日に希望を託すことの出来た時代であった・・。
こうした中で、ささやかながら、白黒テレビ、電気冷蔵庫、電気洗濯機など、
その後は自動車、クーラー、カラーテレビなどの耐久商品を少しつづ購入しながら、
住宅を一生の高い買物と思いながら、ローン返済に奮闘したり、
子供の教育にも自分たちの夫婦より、少しでも高いレベルと思いながら、捻出して、
家族それぞれが悦びを共に享受できた時代であった。
やがて1989年(平成元年)11月初旬に東ドイツが市民に寄る『ベルリンの壁』が崩壊した後、
やがて米ソの冷戦構造が終結され、
世界の諸国の政治はもとより、外交・軍事・経済そして社会が一変した・・。
世界は社会共産経済も消滅し、世界の主要国は自由経済となり、
日本は東ヨーロッバ、アジアの諸国などの経済競争力に巻き込まれて、経済は低下した。
こうした中で、日本に於いては、1991年(平成3年)にバブル経済の崩壊後は、
日本経済の足かせになってきた企業の《雇用・設備・債務》の過剰問題は、
民間会社の多くは自助努力に基づいて、過酷な程、事業の再編、人員削減を行なってきた。
私は中小業の民間会社に勤めた身であったので、
まともに大波を受けたりし、多くの先輩、同僚たちと別れ、
そして残された私たちは困苦の時期を過ごした体験もある。
この間、数多くの民間会社のサラリーマンはもとより、多くの国民が困惑した時期を送られた、
と私は確信を深めたりした。
そして周知の通り、失われた20年の政治は混迷、経済は低迷、そして社会も劣化し、
ここ10年は特にたえず短期に成果を問われる勤務となり、
たとえ大企業の正社員であっても、安住できない時代となり、
働いて下さる現役世代の諸兄諸姉の人たちは、このように過酷な状況の中で奮戦している。
もとより私達が30、40代まで昭和の時代と共に過ごし、
やがて昭和の時代が終わった頃から、『昭和妻』と称せられた専業主婦の家庭も激減し、、
数多くの家庭も共稼ぎ時代となったのは、まぎれなく30年近い実態となっている・・。
このように無力な年金生活の私は、時代に翻弄され、明日に希望を託せない閉塞の現世に、
ときおり思い馳せたりすると、涙を浮かべたりする時もある。
確か5年前の今頃、たまたま私は家内と買物に出掛けた時、
私の甥っ子である長兄の子供に逢った・・。
長兄の子供といっても、42歳となり、若き奥様を連れ立っていた・・。
『女正月の日だから・・たまには・・のんびりとお2人で・・』
と私は甥夫婦のふたりに云ったりした。
『叔父様・・女正月は昭和妻の名残りだわ・・
叔父様たちには悪いけれど・・当世では昭和妻は死語ですょ・・』
と甥の若お嫁ちゃんは、微苦笑しながら私たち夫婦に云ったりした。
この後まもなくして、私達は別れたが、
甥夫婦の後ろ姿を眺めながら、確かに甥夫婦にしても、
妹の子供ふたりも40代で夫婦共稼ぎをしながら、仲良く堅実に生活している状況に、
私は思い重ねたりし、私たち夫婦が過ごしてきた時代と、
大きく変貌していることに改めて実感させられたりした。
こうした心情を秘めてきた私は、働いて下さる諸兄は多忙の中、せめてこの3連休ぐらいは、
愛する妻と可愛い子供と共に、ご家族でのんびりと過ごされれば・・と無力の私は願ったりしている。