私は東京の調布市に住む年金生活の78歳の身であるが、
私より5歳若い家内と共に、雑木の多い小庭の中で、
古ぼけた戸建てに住み、ささやかに過ごしている。
私より5歳若い家内と共に、雑木の多い小庭の中で、
古ぼけた戸建てに住み、ささやかに過ごしている。
毎年、『秋分の日』のこの日は、
私たち夫婦は私の生家の実家となっている長兄宅に行き、
仏壇に安置されている位牌にお線香を捧げた後、
長兄夫婦と他愛ない話をした後、お墓参りに行っているのが、恒例のようになっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/0a/a00e91dfcdfc815c18df11f2a812aaa7.jpg)
今朝、雨上がりの9時半過ぎに、私たち夫婦は兄宅で、
兄夫婦、そして兄の息子夫婦と一時間ばかり歓談した後、
やがて自宅に戻ったりした。
まもなくお墓参り行く為に、小田急線の狛江駅の近くにある寺院に向かった・・。
私はお墓参りは、生者の死者に対する慰めと思ったりしているが、
1944年(昭和19年)の秋に農家の三男坊として生を受け、
両親、祖父、親族、祖先のお陰で、私がこうして生きていられるので、
感謝の意味から墓前にお線香、花をささげて手を合わしている・・。
このように、『春分の日』、『お盆の日』、『秋分の日』、そして『母の命日』、
年にわずか4回ばかりであるが、私たち夫婦はお墓参りをしている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/94/4ad4aa1c070c2f91e6d5560aab7eb496.jpg)
こうした中、私たちは私を育ててくれた祖父、父、母、次兄などが
永眠しているお墓の墓石を水で清め、
駅前で買い求めた生前の母が好きだったお花を奉(ささげ)、お米を備えた。
そして、お線香を奉げた。
お線香の紫煙が立ち昇る中、祖先はもとより、祖父、父、母、次兄などから、
改めて私は見守られて日々を過ごしている、
と私は感謝をしながら、手を合わしたりした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/81/ed81b498769ba6a45a289078539f811a.jpg)
こうした思いを重ねたりした後、毎年ながら母のおもかげがよぎっていった。
私の場合は、父が私の小学校の2年の時に病死され、
その1年を過ぎた後、まもなく祖父も死去されたので、何かと母の存在が多かった。
こうした確かな記憶の片隅から、ときたま生前の母のちょっとしたしぐさ、
表情、言葉づかいが想いだされる・・。
そして生前の母と家内は、ある程度の遠慮がお互いにあった上、
何かと心身の波長が合い、私は家内、母に秘かに、今でも感謝している。
まもなく曇り空の中、お線香の煙が芳香を残して、
ゆったりと、立ち昇りながら消えていった・・。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/cd/74afaeab8916d91f5b8ddb4f073d1cf6.jpg)
やがて寺を辞した後、狛江の駅前より路線バスで調布の駅前に行き、買物をした後、
家内は靴を買い求めたい、と私に言ったりして、
まもなく新宿の京王デパートに行き、長年愛用している『ヨシノヤ』で購入して、
2時半過ぎに帰宅した。
しかしながら、数か所で買い物して、私は疲れ果てて、
こうしてブログの投稿文を書いて、平素の投稿時より遅れてしまった、
と微苦笑したりしている。
仏壇に安置されている位牌にお線香を捧げた後、
長兄夫婦と他愛ない話をした後、お墓参りに行っているのが、恒例のようになっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/0a/a00e91dfcdfc815c18df11f2a812aaa7.jpg)
今朝、雨上がりの9時半過ぎに、私たち夫婦は兄宅で、
兄夫婦、そして兄の息子夫婦と一時間ばかり歓談した後、
やがて自宅に戻ったりした。
まもなくお墓参り行く為に、小田急線の狛江駅の近くにある寺院に向かった・・。
私はお墓参りは、生者の死者に対する慰めと思ったりしているが、
1944年(昭和19年)の秋に農家の三男坊として生を受け、
両親、祖父、親族、祖先のお陰で、私がこうして生きていられるので、
感謝の意味から墓前にお線香、花をささげて手を合わしている・・。
このように、『春分の日』、『お盆の日』、『秋分の日』、そして『母の命日』、
年にわずか4回ばかりであるが、私たち夫婦はお墓参りをしている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/94/4ad4aa1c070c2f91e6d5560aab7eb496.jpg)
こうした中、私たちは私を育ててくれた祖父、父、母、次兄などが
永眠しているお墓の墓石を水で清め、
駅前で買い求めた生前の母が好きだったお花を奉(ささげ)、お米を備えた。
そして、お線香を奉げた。
お線香の紫煙が立ち昇る中、祖先はもとより、祖父、父、母、次兄などから、
改めて私は見守られて日々を過ごしている、
と私は感謝をしながら、手を合わしたりした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/81/ed81b498769ba6a45a289078539f811a.jpg)
こうした思いを重ねたりした後、毎年ながら母のおもかげがよぎっていった。
私の場合は、父が私の小学校の2年の時に病死され、
その1年を過ぎた後、まもなく祖父も死去されたので、何かと母の存在が多かった。
こうした確かな記憶の片隅から、ときたま生前の母のちょっとしたしぐさ、
表情、言葉づかいが想いだされる・・。
そして生前の母と家内は、ある程度の遠慮がお互いにあった上、
何かと心身の波長が合い、私は家内、母に秘かに、今でも感謝している。
まもなく曇り空の中、お線香の煙が芳香を残して、
ゆったりと、立ち昇りながら消えていった・・。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/cd/74afaeab8916d91f5b8ddb4f073d1cf6.jpg)
やがて寺を辞した後、狛江の駅前より路線バスで調布の駅前に行き、買物をした後、
家内は靴を買い求めたい、と私に言ったりして、
まもなく新宿の京王デパートに行き、長年愛用している『ヨシノヤ』で購入して、
2時半過ぎに帰宅した。
しかしながら、数か所で買い物して、私は疲れ果てて、
こうしてブログの投稿文を書いて、平素の投稿時より遅れてしまった、
と微苦笑したりしている。