本日の昼下がり、私は愛読しているネットの『プレジデントオンライン』を見ていると、
【 「夫の定年」までに夫婦で合意すべき5カ条 】と見出しを見て、
遅ればせながら学ぼうとして、こっそりと読み始めた・・。
やがて経済にも疎(うと)い私は、定年前の5年前の頃から、
信愛してきた経済ジャーナリスト・荻原博子さんの寄稿文と知り、精読した。
この記事の原文は、ビジネス総合情報誌として名高い『プレジデント』の2015年11月2日号に
掲載された記事のひとつであり、関連の『プレジデントオンライン』に2016年8月31日に配信された記事で、
無断ながら転載させて頂く。
《・・「夫の定年」までに夫婦で合意すべき5カ条
■借金は夫の定年までになくす
借金を減らして、現金を増やす。
老後の準備は、これに尽きます。
特に夫の定年までに、借金をなくしておくことが重要です。
例えば現在、住宅ローンは70歳まで組めますが、
年金で、毎月、10万円のローンを払っていたら生活できません。
ですから、どんなに遅くとも65歳まで、
可能なら50歳で借金と貯蓄をプラス・マイナス・ゼロにしておけば、大成功の人生ですよ。
なぜなら、あとは貯める一方だからです。
今まで借金返済に払っていた分はもちろん、50歳ぐらいには、子供も手が離れるので、教育費も浮きます。
月に10万円から20万円貯められるようになりますから、
60歳までに1200万から2400万円ぐらい貯まる計算です。
65歳まで稼げれば、その分も上乗せできます。
定年時にそれだけ貯金があれば「勝ち組」です。
そのためにも、住宅ローンは、なるべく繰り上げ返済をしていくべきです。
目の前に使えるお金が100万円あっても、消費や投資に回すのではなく、ローンの返済に充てる。
100万円繰り上げ返済したら、利息が100万円減る場合もあります。
つまり100万円が200万円になるわけですから、投資と考えても、こんなに割のいい話はありません。
ですから、まず夫婦で話し合うべきことは、どうやって最低65歳、
できれば50歳までに借金をなくすかという方策です。
その際には、細かなことまで突き詰めないことがポイントです。
細かく話せば話すほどすれ違いが生まれ、溝が深まっていくだけ。
もともと違う人間なのですから、意見が完全に合うことなんてありません。
夫婦の話し合いでは、合わせるのではなく、一緒にやろうという意思が大切です。
例えば、家計を見直す場合にも、夫の視点と妻の視点は違います。
会社でうるさく経費節減を言われている夫は、車のローンや生命保険、通信費など大きな支出の見直しが得意です。
そちらを夫に任せつつ、妻は細かい日々の生活費をしめる。
こうして2人で家計を見直していくと、よりお金は貯まりやすくなります。
☆夫婦の協力関係を再確認する
問題は、普段から夫婦で話し合う習慣が、あまりない家庭が多いことです。
子育て期間中は、子供が共通の話題になっていたけれど、
手が離れたらめっきり会話が少なくなったというケースは、よく見られます。
特に、妻が専業主婦の場合、夫婦があまりにも違う環境で生きてきたため、
夫が定年退職すると、うまく生活がマッチングしないことも多いのです。
毎日、夫に家でゴロゴロされても、妻にとっては、うっとうしいだけ。
夫は妻の小言に、辟易する。
そんな老後にならないためにも、夫の定年までに、夫婦が互いに歩み寄れる下地をつくっておくことが大切です。
ひとつは夫が家事を手伝うことです。
これは老後の人生に、とっても大切なことです。
家事ができれば妻が寝込んだり、先立たれたりしても、暮らしていくことができます。
何よりも妻の苦労を知ることになります。
家事のなかでも、特に料理がおすすめです。
料理は頭と体、五感を使うからです。
献立を考えるために頭を使い、散歩がてら買い物に行く。
調理は、手先や味覚の訓練にもなる。
ボケ防止や健康にいいことばかりですから、無駄な医療費を抑えることにもつながります。
そして、出来上がった料理を妻や友人にふるまえば、感謝されたり褒められたりして、自分も満足できる。
料理ひとつで、老後の人生が明るくなるわけです。
一方、特に専業主婦の妻には、外で働いてみることをおすすめします。
体が弱くて働けない人もいますから、強要はしませんが、
可能であれば、自分でお金を稼ぐ経験をしたほうがいいと思います。
家計の助けにもなるし、夫の苦労がわかるようになる。
そうすれば、家ではどうしようもない宿六だ、と思っていた夫のことを見直すことになるはずです。
☆夫婦円満こそが理想の老後
こうして夫婦仲がよく協力して暮らしていくことが、老後の安心の大前提ですが、
だからといって、何から何まで一緒にやる必要はありません。
よく、「老後の夢は夫婦で旅行三昧」などという話も聞きますが、
1年もやれば飽きるし、足腰も弱くなって出かけるのが面倒になってくる。
それよりも元気なうちに交遊範囲を広げて、生きがいや友達を見つけておくことが大切です。
妻はわりと地域に根付いた生活をしているのでいいのですが、
夫は会社以外の付き合いを広げておかないと、寂しい老後になってしまいます。
会社や仕事の付き合いは、退職したら縁の切れ目。
特に男性は薄情です。
老後の準備というと、お金のことに目がいきがちですが、お金さえあれば幸せなわけでもありません。
確かに生きていくうえで、お金は不可欠ですが、
いくら豪華な料理でも1人で食べたらおいしくないけれど、
友達みんなでワイワイ食べたらオニギリでもおいしく感じるはず。
友達が多ければ、お金をかけずに楽しく暮らすことができますし、
いざというときには、助け合うこともできます。
友達づくりのためには、夫も妻も自分の趣味をもつといいでしょう。
それも、できれば人のためになる趣味。ボランティア活動でもいいと思います。
先ほどの料理の話にもつながるのですが、人間は他人から感謝されると、
自分の存在価値を確認することができ、生きるエネルギーになります。
自分だけの楽しみよりも、何らかのかたちで、人のためになるものが老後の趣味としては理想的です。
最後にひとつ。
最近は「定年離婚」も増えているようですが、どうしても嫌で仕方ないとか、
DVで苦しんでいたりしない限り、多少のことには目をつぶって2人で暮らしていくことを考えましょう。
そのためにも、夫の定年までに、夫婦で老後について話し合っておくことが大切。
それを通して互いの理解を深めておけば、定年後にはゴールデン・タイムが待っているはずです。
☆夫婦で合意すべき5カ条
1. 借金はできれば50歳までになくす。
2. 家計の見直しは夫婦で協力する。
3. できるだけ夫は家事を、妻は仕事を。
4. 会社以外の友達を増やす。
5. 老後の生きがいを見つける。
・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。
私たち夫婦はセカンドライフと称せられる私の定年後の生活の改めて話し合ったのは、
1999年(平成11年)の新春の当時で、私が54歳あった。
私たち夫婦は子供に恵まれず、たったふたりだけの家庭であるので、
世の中の多く人たちから、人生の3大支出は教育資金、住宅資金、老後資金と学んだりしているが、
たまたま我が家は子供の「教育資金」は不要となったりしてきた。
私は1970年(昭和45年)の春、この当時としては大手の音響・映像のメーカーに何とか中途入社でき、
そして音楽事業本部のある部署に配属された。
まもなく音楽事業本部のあるひとつの大きなレーベルが、外資の要請でレコード専門会社として独立し、
私はこのレコード専門会社に転籍させられ、やがてこのレコード会社で、制作に直接かかわらない情報畑、
経理畑、営業畑などで奮戦した。
こうした中で、1998年(平成10年)に中小業の多い音楽業界全体の売上げピークとなり、
この少し前の年からリストラ烈風となり、やがて私も出向となり、
各レコード会社が委託している音楽商品のCD、DVDなどを扱う物流会社に勤め始めた時であった・・。
こうした時に、私が定年退職を出来た後、どのような生活をしたいか、そして生活資金などを話し合った。
具体的には、私たち夫婦の第二の人生は、どのように過ごしたいのか、主題であった。
やがて結論としては、定年退職後の60歳以降は、
私は働くことを卒業し、お互いのささやかな趣味を互いに干渉することなく、
共通の趣味のひとつの国内旅行を四季折々できればよいなぁ、と漠然に念願したりした。
こうしたことを実現するためには、現在の我が家の貯金の確認、定年退職までの年収、退職金など、
そして年金の推定額も算出し、収支概算表を年別に作表し、平均寿命までの年を総括表にしたりした。
そして、毎年の月別は、家計簿の応用で収入の項目、支出の保険、税金等を含め、
予定表も作成したりした。
この時の私は、幸いに住宅ローンを終えていたが、私は1944年(昭和19年)9月生まれであるので、
年金の満額の支給は62歳であり、それまでの2年間は、満額のほぼ半分となるので、このことも配慮した。
そして年金が満額となった62歳からの生活の収支は、
私たち夫婦の共通趣味である国内旅行費、そして冠婚葬祭など諸経費は例外として、
原則として生活費は年金を頂く範囲として、収支の概要を作成したりした。
こうした中、不慣れな遠い勤務先の出向会社に私が奮戦している時、
出向先の物流会社も大幅なリストラが実施されたり、私が30年近く勤めてきた出向元の会社でも、リストラ烈風となる中、
私の同僚、後輩の一部が定年前の退社の連絡、或いは葉書で挨拶状を頂いたりし、
私は出向先で2004年〈平成16年〉の秋に定年退職を迎えたりした。
この間、経済にも疎(うと)い私が、信愛している経済ジャーナリストの荻原博子さんなどの数多く著名人の寄稿文を読み、
デフレ経済の蔓延している中、公的年金を受け取りながら堅実に年金生活をし、
預貯金が3000万円あれば、少しづつ取り崩して生活すれば、少しはゆとりのある年金生活ができるかしら、と学んだりした。
年金生活を始めた当初から、私は午前中の殆どは、平素の我が家の買物として、
家内から依頼された品を独りでスーパー、専門店で求め、買物メール老ボーイとなっている。
この後、独りで自宅から3キロ以内の遊歩道、小公園などを歩いたりして、
季節のうつろいを享受している。
こうした根底には、定年前の私は、現役のサラリーマン時代は数多くの人たちと同様に多忙で、
家内は我が家の専守防衛長官のような専業主婦であり、日常の洗濯、買い物、料理、掃除などで、
家内なりの日常ペースがあり、この合間に趣味などのささやかな時間で過ごしてきた・・。
こうした家内のささやかな時間を壊すのは、天敵と私は確信して、
定年後の年金生活を始めた時から、私はこのような午前中の生活を過ごしている。
午後の大半は、私は随筆、ノンフィクション、小説、近代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。
こうした中、家内は相変わらず料理、掃除、洗濯などをしてくれるので、
私はせめてと思いながら、家内が煎茶、コーヒーを飲みたい時を、
何かと愚図な私でも、素早く察知して、日に6回ぐらい茶坊主の真似事もしている。
そして人だれしも長所、短所はあるが、私は短所の方が多いので、
家内の短所には目をつぶり、長所を伸ばそうと心がけてきた・・。
家内は料理、洗濯、掃除などを積極果敢にする専業主婦の優等生であるが、
血液型A型となっている。
そして我が家では一年に数回、私はB型、家内はA型の為か、ボタンの掛け違いのように差異が発生し、
険悪になることもある。
やがて私は、映画、文學、音楽に関しての粗雑なコメント以外は、私たちの人生に大勢に影響がないと判断して、
いつまでも心のわだかまりを残すことは、夫婦としてよくないと思い、15分以内に妥協して、
『ボクが悪かった・・XXちゃんのおしゃる通りです!!』
と家内の前で、私は床に伏して詫びたりしている。
このように我が家は家内安全となり、離婚などは無縁である、と私は微苦笑したりしている。
こうした中、私たち夫婦の年金生活を、ご近所の方の奥様たちが見かけて、
あなたたちは仲良し恋しねぇ、と社交辞令のお世辞を頂くこともある。
しかしながら日常生活の実情は、私は家内のことを、婚約する前の頃から、『XXちゃん・・』と呼んでいるが
家内は日頃の多くは、私のことを『あなた・・』と呼ぶことが多いが、
ときには、たわむれで、『XXクン・・』と苗字で呼ぶこともある。
しかしながら2004年(平成16年)の秋、年金生活を始めてまもない頃、
私は家内から依頼された買物の購入品などで間違えたりすると、
『ボケチィンねぇ』
と家内は笑いながら、私に言ったりした。
この日以降、私が何かで日常生活で失敗した時、
『ボケチィンねぇ・・』とか、ある時は『ダメオ(駄目夫)クンねぇ・・』
と家内は微苦笑しながら、私に言ったりしている。
我が家の年金生活の基本は、厚生年金、わずかな企業年金を頂き、通常の生活費するのが原則としている。
しかし共通の趣味のひとつである国内旅行、或いは冠婚葬祭などの思いがけない出費などに関し、
程々の貯金を取り崩して生活している。
そして、毎年年始が過ぎた頃に、新年度の月別の概算表を作る際、
家内の要望などを織り込んで作成し、予算としている。
従って、年金生活の身であるから、今年も赤字が120万円前後かしら、とお互いに確認し合っている。
こうした中で私たち夫婦は、月初めには家計簿をお互いに確認しながら実施している。
もとより社会の少子高齢化の中で、公的年金は目減りは減少してきたので、
私たち夫婦はお互い趣味の費用を捻出する為に、収支の実態をお互いに確認し、
ささやかに生活を過ごしたく、家計簿の月次決算をしている。
私たち夫婦は年金生活をして12年目となるが、我が家の銀行、郵便局、信託銀行などの貯蓄は、
安全利回りが原則で、周知の通り金利はわずかである。
そして年金生活を始めて数年は、200万円前後の赤字となったりしたが、
その後は毎年は120万円前後の赤字の実態なので、予定通り貯蓄の残額は減るばかりとなっている。
こうして私たち夫婦は、経済的に贅沢な生活は出来ないが、
働らなくても何とか生活ができるので助かるわ、
と家内がときおり、 呟(つぶや)くように私に言ったりするので、私は苦笑したりしている。
私たち両親は、無念ながら家内の母だけとなっている。
私より14歳ばかり齢上の高齢者である家内の母は、
私が民間会社のサラリーマンの定年退職した2004年〈平成16年〉の秋の直前に主人に病死され、
独り住まいの生活をされて、早や丸12年近くになっている・・。
家内の母は、独り住まいの生活をされた当初は、自身の身の周りは出来ても、
大掃除、季節ごとの室内のカーテン、布団、暖冷房器具、衣服、庭の手入れなどは、おぼつかなくなり、
長女である家内は季節の変わるたびに、7泊8日前後で母宅に泊りがけで行っているのが、
11年ぐらいの恒例となっていた。
この間、私は我が家で『おひとりさま』の生活をしている。
平素の私たち夫婦の年金生活は、ご近所の方の奥様たちから、
仲良しねぇ、と何かと社交辞令を頂いている私たちでも、
もとより永遠に続く訳ではなく、いつの年にどちらかは片割れとなり『おひとりさま』となるので、
ときおり『おひとりさま』の生活となった私は、特別演習かしら、と思ったりしている。
家内の母は、やがて昨年の5月下旬より、膝(ひざ)、腰も悪化して、大学病院に入院した後、
リハビリで近くの病院に行ったりしている。
そして家内と家内の妹は交互に、大半は家内の母宅に宿泊して、家内の母の食事、洗濯、掃除、
或いは通院の付き添いなどしているので、必然的に多くなっている。
この間、家内の母は市の福祉課が再審査を得て、『要支援2』から『要介護1』と認定されたりした。
こうした状況となる中、家内は老々介護になってしまったわ、と私に苦笑しながら言ったりした。
そして私としては、我が家で『おひとりさま』の生活が増えたりしてきたので、
これも人生・・と私は微苦笑しているのが実情となっている。
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【 「夫の定年」までに夫婦で合意すべき5カ条 】と見出しを見て、
遅ればせながら学ぼうとして、こっそりと読み始めた・・。
やがて経済にも疎(うと)い私は、定年前の5年前の頃から、
信愛してきた経済ジャーナリスト・荻原博子さんの寄稿文と知り、精読した。
この記事の原文は、ビジネス総合情報誌として名高い『プレジデント』の2015年11月2日号に
掲載された記事のひとつであり、関連の『プレジデントオンライン』に2016年8月31日に配信された記事で、
無断ながら転載させて頂く。
《・・「夫の定年」までに夫婦で合意すべき5カ条
■借金は夫の定年までになくす
借金を減らして、現金を増やす。
老後の準備は、これに尽きます。
特に夫の定年までに、借金をなくしておくことが重要です。
例えば現在、住宅ローンは70歳まで組めますが、
年金で、毎月、10万円のローンを払っていたら生活できません。
ですから、どんなに遅くとも65歳まで、
可能なら50歳で借金と貯蓄をプラス・マイナス・ゼロにしておけば、大成功の人生ですよ。
なぜなら、あとは貯める一方だからです。
今まで借金返済に払っていた分はもちろん、50歳ぐらいには、子供も手が離れるので、教育費も浮きます。
月に10万円から20万円貯められるようになりますから、
60歳までに1200万から2400万円ぐらい貯まる計算です。
65歳まで稼げれば、その分も上乗せできます。
定年時にそれだけ貯金があれば「勝ち組」です。
そのためにも、住宅ローンは、なるべく繰り上げ返済をしていくべきです。
目の前に使えるお金が100万円あっても、消費や投資に回すのではなく、ローンの返済に充てる。
100万円繰り上げ返済したら、利息が100万円減る場合もあります。
つまり100万円が200万円になるわけですから、投資と考えても、こんなに割のいい話はありません。
ですから、まず夫婦で話し合うべきことは、どうやって最低65歳、
できれば50歳までに借金をなくすかという方策です。
その際には、細かなことまで突き詰めないことがポイントです。
細かく話せば話すほどすれ違いが生まれ、溝が深まっていくだけ。
もともと違う人間なのですから、意見が完全に合うことなんてありません。
夫婦の話し合いでは、合わせるのではなく、一緒にやろうという意思が大切です。
例えば、家計を見直す場合にも、夫の視点と妻の視点は違います。
会社でうるさく経費節減を言われている夫は、車のローンや生命保険、通信費など大きな支出の見直しが得意です。
そちらを夫に任せつつ、妻は細かい日々の生活費をしめる。
こうして2人で家計を見直していくと、よりお金は貯まりやすくなります。
☆夫婦の協力関係を再確認する
問題は、普段から夫婦で話し合う習慣が、あまりない家庭が多いことです。
子育て期間中は、子供が共通の話題になっていたけれど、
手が離れたらめっきり会話が少なくなったというケースは、よく見られます。
特に、妻が専業主婦の場合、夫婦があまりにも違う環境で生きてきたため、
夫が定年退職すると、うまく生活がマッチングしないことも多いのです。
毎日、夫に家でゴロゴロされても、妻にとっては、うっとうしいだけ。
夫は妻の小言に、辟易する。
そんな老後にならないためにも、夫の定年までに、夫婦が互いに歩み寄れる下地をつくっておくことが大切です。
ひとつは夫が家事を手伝うことです。
これは老後の人生に、とっても大切なことです。
家事ができれば妻が寝込んだり、先立たれたりしても、暮らしていくことができます。
何よりも妻の苦労を知ることになります。
家事のなかでも、特に料理がおすすめです。
料理は頭と体、五感を使うからです。
献立を考えるために頭を使い、散歩がてら買い物に行く。
調理は、手先や味覚の訓練にもなる。
ボケ防止や健康にいいことばかりですから、無駄な医療費を抑えることにもつながります。
そして、出来上がった料理を妻や友人にふるまえば、感謝されたり褒められたりして、自分も満足できる。
料理ひとつで、老後の人生が明るくなるわけです。
一方、特に専業主婦の妻には、外で働いてみることをおすすめします。
体が弱くて働けない人もいますから、強要はしませんが、
可能であれば、自分でお金を稼ぐ経験をしたほうがいいと思います。
家計の助けにもなるし、夫の苦労がわかるようになる。
そうすれば、家ではどうしようもない宿六だ、と思っていた夫のことを見直すことになるはずです。
☆夫婦円満こそが理想の老後
こうして夫婦仲がよく協力して暮らしていくことが、老後の安心の大前提ですが、
だからといって、何から何まで一緒にやる必要はありません。
よく、「老後の夢は夫婦で旅行三昧」などという話も聞きますが、
1年もやれば飽きるし、足腰も弱くなって出かけるのが面倒になってくる。
それよりも元気なうちに交遊範囲を広げて、生きがいや友達を見つけておくことが大切です。
妻はわりと地域に根付いた生活をしているのでいいのですが、
夫は会社以外の付き合いを広げておかないと、寂しい老後になってしまいます。
会社や仕事の付き合いは、退職したら縁の切れ目。
特に男性は薄情です。
老後の準備というと、お金のことに目がいきがちですが、お金さえあれば幸せなわけでもありません。
確かに生きていくうえで、お金は不可欠ですが、
いくら豪華な料理でも1人で食べたらおいしくないけれど、
友達みんなでワイワイ食べたらオニギリでもおいしく感じるはず。
友達が多ければ、お金をかけずに楽しく暮らすことができますし、
いざというときには、助け合うこともできます。
友達づくりのためには、夫も妻も自分の趣味をもつといいでしょう。
それも、できれば人のためになる趣味。ボランティア活動でもいいと思います。
先ほどの料理の話にもつながるのですが、人間は他人から感謝されると、
自分の存在価値を確認することができ、生きるエネルギーになります。
自分だけの楽しみよりも、何らかのかたちで、人のためになるものが老後の趣味としては理想的です。
最後にひとつ。
最近は「定年離婚」も増えているようですが、どうしても嫌で仕方ないとか、
DVで苦しんでいたりしない限り、多少のことには目をつぶって2人で暮らしていくことを考えましょう。
そのためにも、夫の定年までに、夫婦で老後について話し合っておくことが大切。
それを通して互いの理解を深めておけば、定年後にはゴールデン・タイムが待っているはずです。
☆夫婦で合意すべき5カ条
1. 借金はできれば50歳までになくす。
2. 家計の見直しは夫婦で協力する。
3. できるだけ夫は家事を、妻は仕事を。
4. 会社以外の友達を増やす。
5. 老後の生きがいを見つける。
・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。
私たち夫婦はセカンドライフと称せられる私の定年後の生活の改めて話し合ったのは、
1999年(平成11年)の新春の当時で、私が54歳あった。
私たち夫婦は子供に恵まれず、たったふたりだけの家庭であるので、
世の中の多く人たちから、人生の3大支出は教育資金、住宅資金、老後資金と学んだりしているが、
たまたま我が家は子供の「教育資金」は不要となったりしてきた。
私は1970年(昭和45年)の春、この当時としては大手の音響・映像のメーカーに何とか中途入社でき、
そして音楽事業本部のある部署に配属された。
まもなく音楽事業本部のあるひとつの大きなレーベルが、外資の要請でレコード専門会社として独立し、
私はこのレコード専門会社に転籍させられ、やがてこのレコード会社で、制作に直接かかわらない情報畑、
経理畑、営業畑などで奮戦した。
こうした中で、1998年(平成10年)に中小業の多い音楽業界全体の売上げピークとなり、
この少し前の年からリストラ烈風となり、やがて私も出向となり、
各レコード会社が委託している音楽商品のCD、DVDなどを扱う物流会社に勤め始めた時であった・・。
こうした時に、私が定年退職を出来た後、どのような生活をしたいか、そして生活資金などを話し合った。
具体的には、私たち夫婦の第二の人生は、どのように過ごしたいのか、主題であった。
やがて結論としては、定年退職後の60歳以降は、
私は働くことを卒業し、お互いのささやかな趣味を互いに干渉することなく、
共通の趣味のひとつの国内旅行を四季折々できればよいなぁ、と漠然に念願したりした。
こうしたことを実現するためには、現在の我が家の貯金の確認、定年退職までの年収、退職金など、
そして年金の推定額も算出し、収支概算表を年別に作表し、平均寿命までの年を総括表にしたりした。
そして、毎年の月別は、家計簿の応用で収入の項目、支出の保険、税金等を含め、
予定表も作成したりした。
この時の私は、幸いに住宅ローンを終えていたが、私は1944年(昭和19年)9月生まれであるので、
年金の満額の支給は62歳であり、それまでの2年間は、満額のほぼ半分となるので、このことも配慮した。
そして年金が満額となった62歳からの生活の収支は、
私たち夫婦の共通趣味である国内旅行費、そして冠婚葬祭など諸経費は例外として、
原則として生活費は年金を頂く範囲として、収支の概要を作成したりした。
こうした中、不慣れな遠い勤務先の出向会社に私が奮戦している時、
出向先の物流会社も大幅なリストラが実施されたり、私が30年近く勤めてきた出向元の会社でも、リストラ烈風となる中、
私の同僚、後輩の一部が定年前の退社の連絡、或いは葉書で挨拶状を頂いたりし、
私は出向先で2004年〈平成16年〉の秋に定年退職を迎えたりした。
この間、経済にも疎(うと)い私が、信愛している経済ジャーナリストの荻原博子さんなどの数多く著名人の寄稿文を読み、
デフレ経済の蔓延している中、公的年金を受け取りながら堅実に年金生活をし、
預貯金が3000万円あれば、少しづつ取り崩して生活すれば、少しはゆとりのある年金生活ができるかしら、と学んだりした。
年金生活を始めた当初から、私は午前中の殆どは、平素の我が家の買物として、
家内から依頼された品を独りでスーパー、専門店で求め、買物メール老ボーイとなっている。
この後、独りで自宅から3キロ以内の遊歩道、小公園などを歩いたりして、
季節のうつろいを享受している。
こうした根底には、定年前の私は、現役のサラリーマン時代は数多くの人たちと同様に多忙で、
家内は我が家の専守防衛長官のような専業主婦であり、日常の洗濯、買い物、料理、掃除などで、
家内なりの日常ペースがあり、この合間に趣味などのささやかな時間で過ごしてきた・・。
こうした家内のささやかな時間を壊すのは、天敵と私は確信して、
定年後の年金生活を始めた時から、私はこのような午前中の生活を過ごしている。
午後の大半は、私は随筆、ノンフィクション、小説、近代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。
こうした中、家内は相変わらず料理、掃除、洗濯などをしてくれるので、
私はせめてと思いながら、家内が煎茶、コーヒーを飲みたい時を、
何かと愚図な私でも、素早く察知して、日に6回ぐらい茶坊主の真似事もしている。
そして人だれしも長所、短所はあるが、私は短所の方が多いので、
家内の短所には目をつぶり、長所を伸ばそうと心がけてきた・・。
家内は料理、洗濯、掃除などを積極果敢にする専業主婦の優等生であるが、
血液型A型となっている。
そして我が家では一年に数回、私はB型、家内はA型の為か、ボタンの掛け違いのように差異が発生し、
険悪になることもある。
やがて私は、映画、文學、音楽に関しての粗雑なコメント以外は、私たちの人生に大勢に影響がないと判断して、
いつまでも心のわだかまりを残すことは、夫婦としてよくないと思い、15分以内に妥協して、
『ボクが悪かった・・XXちゃんのおしゃる通りです!!』
と家内の前で、私は床に伏して詫びたりしている。
このように我が家は家内安全となり、離婚などは無縁である、と私は微苦笑したりしている。
こうした中、私たち夫婦の年金生活を、ご近所の方の奥様たちが見かけて、
あなたたちは仲良し恋しねぇ、と社交辞令のお世辞を頂くこともある。
しかしながら日常生活の実情は、私は家内のことを、婚約する前の頃から、『XXちゃん・・』と呼んでいるが
家内は日頃の多くは、私のことを『あなた・・』と呼ぶことが多いが、
ときには、たわむれで、『XXクン・・』と苗字で呼ぶこともある。
しかしながら2004年(平成16年)の秋、年金生活を始めてまもない頃、
私は家内から依頼された買物の購入品などで間違えたりすると、
『ボケチィンねぇ』
と家内は笑いながら、私に言ったりした。
この日以降、私が何かで日常生活で失敗した時、
『ボケチィンねぇ・・』とか、ある時は『ダメオ(駄目夫)クンねぇ・・』
と家内は微苦笑しながら、私に言ったりしている。
我が家の年金生活の基本は、厚生年金、わずかな企業年金を頂き、通常の生活費するのが原則としている。
しかし共通の趣味のひとつである国内旅行、或いは冠婚葬祭などの思いがけない出費などに関し、
程々の貯金を取り崩して生活している。
そして、毎年年始が過ぎた頃に、新年度の月別の概算表を作る際、
家内の要望などを織り込んで作成し、予算としている。
従って、年金生活の身であるから、今年も赤字が120万円前後かしら、とお互いに確認し合っている。
こうした中で私たち夫婦は、月初めには家計簿をお互いに確認しながら実施している。
もとより社会の少子高齢化の中で、公的年金は目減りは減少してきたので、
私たち夫婦はお互い趣味の費用を捻出する為に、収支の実態をお互いに確認し、
ささやかに生活を過ごしたく、家計簿の月次決算をしている。
私たち夫婦は年金生活をして12年目となるが、我が家の銀行、郵便局、信託銀行などの貯蓄は、
安全利回りが原則で、周知の通り金利はわずかである。
そして年金生活を始めて数年は、200万円前後の赤字となったりしたが、
その後は毎年は120万円前後の赤字の実態なので、予定通り貯蓄の残額は減るばかりとなっている。
こうして私たち夫婦は、経済的に贅沢な生活は出来ないが、
働らなくても何とか生活ができるので助かるわ、
と家内がときおり、 呟(つぶや)くように私に言ったりするので、私は苦笑したりしている。
私たち両親は、無念ながら家内の母だけとなっている。
私より14歳ばかり齢上の高齢者である家内の母は、
私が民間会社のサラリーマンの定年退職した2004年〈平成16年〉の秋の直前に主人に病死され、
独り住まいの生活をされて、早や丸12年近くになっている・・。
家内の母は、独り住まいの生活をされた当初は、自身の身の周りは出来ても、
大掃除、季節ごとの室内のカーテン、布団、暖冷房器具、衣服、庭の手入れなどは、おぼつかなくなり、
長女である家内は季節の変わるたびに、7泊8日前後で母宅に泊りがけで行っているのが、
11年ぐらいの恒例となっていた。
この間、私は我が家で『おひとりさま』の生活をしている。
平素の私たち夫婦の年金生活は、ご近所の方の奥様たちから、
仲良しねぇ、と何かと社交辞令を頂いている私たちでも、
もとより永遠に続く訳ではなく、いつの年にどちらかは片割れとなり『おひとりさま』となるので、
ときおり『おひとりさま』の生活となった私は、特別演習かしら、と思ったりしている。
家内の母は、やがて昨年の5月下旬より、膝(ひざ)、腰も悪化して、大学病院に入院した後、
リハビリで近くの病院に行ったりしている。
そして家内と家内の妹は交互に、大半は家内の母宅に宿泊して、家内の母の食事、洗濯、掃除、
或いは通院の付き添いなどしているので、必然的に多くなっている。
この間、家内の母は市の福祉課が再審査を得て、『要支援2』から『要介護1』と認定されたりした。
こうした状況となる中、家内は老々介護になってしまったわ、と私に苦笑しながら言ったりした。
そして私としては、我が家で『おひとりさま』の生活が増えたりしてきたので、
これも人生・・と私は微苦笑しているのが実情となっている。
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>お久しぶりです。
こちらこそ、ご無沙汰致しまして・・。
>いよいよ私も後半年でセミリタイアというところにきました。
>五箇条、ほとんど大丈夫ですが、加えて、退職金など、金融資産を私名義と妻名義に等分しておこうかと話し合っていました。
>後は、お互い無理して介護はせず、施設に入れるように、準備だけはしておくということになってます。
私の友人、或いは知人のセカンドライフをお互いに談笑したりしてきましたが、
貴兄のセカンドライフ設計、そして実施されていることは、稀なケースと感じて、
経済ジャーナリスト・荻原博子さんが評価されれば、三重丸と私は確信します。
貴兄ご夫妻は、日常生活の中、お互いに尊重し、さりげない思いやりがあり、
貴兄も料理まで楽しんでなさる・・
貴兄のブログを読ませて頂きながら、深く感じてきた次第です。
>夢逢人さまご夫婦の生き方をひそかに師と仰いでおります。今後とも、いろいろご教示ください。
私たち夫婦のセカンドライフは、ごくありふれた年金生活の状況ですので、
貴兄は過剰評価です(笑)
いずれにしましても、こちらこそ今後ともよろしくお願い致します。
朝夕は季節のうつろう初秋のような昨今、貴兄、そして奥様共々、程ほどにお身体をご自愛して下さい。
いよいよ私も後半年でセミリタイアというところにきました。
五箇条、ほとんど大丈夫ですが、加えて、退職金など、金融資産を私名義と妻名義に等分しておこうかと話し合っていました。
後は、お互い無理して介護はせず、施設に入れるように、準備だけはしておくということになってます。
夢逢人さまご夫婦の生き方をひそかに師と仰いでおります。今後とも、いろいろご教示ください。