夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

鴻上尚史氏が創作者をめざす諸兄諸姉に最適な助言、と若き日に敗退した私は確信し・・。

2012-10-04 15:44:09 | 真摯に『文学』を思考する時
私は遠い昔、東京オリンピックが開催された1964〈昭和39〉年の秋の直前に、
小学4年からの映画少年の影響で、映画の脚本家になりたくて私は大学を中退し、
アルバイト、契約社員をしながら映画青年、やがて文学青年の真似事を4年ばかり過ごした。

この間、演技と演出のある養成所に学び、
やがて、この養成所の講師のひとりが、ある月刊誌の記事の連載を契約していたので、
この講師の下で、私は取材、下書きなどをして、
ノンフェクション・ライター気取りで取材し、指定された原稿用紙に綴り、
講師に手渡し、幾ばくかの金銭を受けたりしていた。

或いは養成所の関係により、アメリカのテレビドラマの準出演を演じたり、
斡旋して下さるアルバイトで生活費を賄〈まかな〉ったりしていた。

そして、講師の知人の新劇のある長老から、小説を書いた方がよいとアドバイスを頂き、
確固たる根拠もなく、独創性はあると思いながら小説の習作したりして、
純文学の新人賞に応募したが、最終候補6編の選考の直前で3回ばかり落選した。

こうした時、お彼岸の懇親の時、親戚の小父さんから、
『今は若いからよいとしても・・30過ぎから・・家族を養えるの・・』
と素朴に叱咤され、私は30歳頃に結婚をして果たして妻子を養っていける自信もなく、
あえなく敗退した身である。

この後、やむなく大手の企業に中途入社する為に、コンピュータの専門学校に一年通った後、
何とかこの当時は大手の音響・映像のメーカーに中途入社できたのは、1970〈昭和45〉年の春であった。
その後、この会社の音楽事業本部の大手レーベルが、外資の要請でレコード専門会社として独立し、
私はこのレコード専門会社に転籍させられた。

そして、このレコード専門会社の情報畑、管理畑など35年近く奮戦して、
2004〈平成16〉年の秋に、定年退職となり、その後は年金生活をしている身である。


先ほどパソコンを開き、トップページとして【YAHOO! JAPAN】を設定しているが、
たまたま【雑誌】コーナーを見たりしていたが、
この中のひとつの見出しに、《 脚本の書き方のポイント…基本はとにかく完結させること! 》
と明記され見出しを見て、思わず読んでしまった・・。

そして私は恥ずかしながら鴻上尚史(こうかみ・しょうじ )氏に関しては、
無知であったが日本の劇作家・演出家と知り、
舞台の戯曲、テレビの脚本、小説、エッセイを書いてきたとお方である、と学んだりした。

たまたま私は読み終わった後、まぎれなく創作者をめざす諸兄諸姉に最適な助言である、
と若き日に敗退した私は確信を深めたりした・・。

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20121004-00000500-sspa-soci
☆【YAHOO! JAPAN】<==【雑誌】
       <==【週刊SPA! 】<==鴻上尚史『脚本の書き方のポイント…基本はとにかく完結させること!』☆

そして創作者をめざす諸兄諸姉に氏から最適な助言である、と確信を深めている私は、
ネットに表示されたのは読みづらく、あえて改行を多く転載させて頂くので、
ご興味のある方は読んで頂きたい、と熱望する。
《・・
        鴻上尚史『脚本の書き方のポイント…基本はとにかく完結させること!』

★鴻上尚史「ドンキホーテのピアス」

しこしこと、10月30日から始まる虚構の劇団『イントレランスの祭』の台本を書いています。
書いては気分転換を求めて、ツイッターを眺めたり、無理して書き込んだりしています。
「どうしたら脚本を書けるんですか?」という質問をツイッターで受けました。

「先輩は『とにかく終わらせることだ』とアドバイスをくれるんですが、
最後まで書けないんです」と文は続いていました。
「とにかく最後まで終わらせること」というのは、一番基本のルールです。
どんなに傑作でも、途中で終わっているものは評価の対象にはなりません。

多くの作家志望の人達は、途中まで書いた作品を抱えているはずです。
すべて、途中で「面白いとは思えなくなった」とか「アラが目立って前に進めない」とか冷静な判断力が働いた結果です。

書いている途中から「おおっ、すごいぞ!これは傑作だぞ!」なんて感激している人がいたら、天才かアホです。
たぶん、99.9999%アホでしょう。
書けば書くほど、いろんなアラが目立つものです。
この発見が、作品を書き続ける推進力を弱めます。

そういう時は、確信を持って、そのアラに目をつぶります。
なぜなら、それが本当にアラなのか、物語上必要な“ゆるみ”なのかは、物語が完結してみないと分からないからです。

作品は、どんな形であれ、最後までたどり着いて初めて、何が必要で何が必要じゃないか分かります。
逆にいえば、最後までたどり着かないのに、駄作か傑作か判断のしようがないのです。

と書きながら、やはり、途中で行き詰まることはあります。
物語がにっちもさっちもいかなくなる場合です。
「台本の書き方レッスン」の本を出すと10年以上前から言っていますが、まだ書けていません。
えらいこってすが、ちょっとだけここに書きます。

■物語に必要な「目的」と「障害」

物語が行き詰まった場合、「目的」のレベルなのか、「障害」のレベルなのかを、まず見極めます。
「目的」のレベルというのは、つまり、あなたが今書こうとしている登場人物は、
この時点で、「どんな具体的な目的を持っているのか?」ということです。
じつは、「具体的な目的」がない登場人物は、動けません。
「地球を救いたい」といくら念じていても、「だから具体的に何をしたいのか?」ということがない人物には、
具体的にやることはありません。
ただ、祈るか心配するだけです。
それでは、ドラマは生まれないのです。

あなたが書こうとしている物語も、じつはもう「目的が実現している」場合や
「目的が矛盾している」場合や「目的が抽象的すぎて何をしたらいいか分からない」場合があります。
それを整理し、明確にするのです。
具体的な目的が多すぎて行き詰まるということもあります。
やりたい目的に順番がついてないので、登場人物は何から始めていいか分からず動けないのです。

「障害」のレベルというのは、その具体的な「目的」の実現を阻むために、ナイスかチャーミングか意外か切ないか、
とにかく心動く「じゃまするもの=障害」があるかどうかを見極めることが大切です。
じつは「障害がない」場合や「障害が抽象的すぎる」場合や「障害が簡単に乗り越えられる」場合などがあります。
今、この人物は何がしたくて、でも、何のせいでそれが実現できないのか--ということを常に明確にするのです。
もちろん、大前提として「そもそもこの人物は何がしたくて、何がそれを阻んでいるのか?」という物語全体の設定は大切です。
ですが、その大きな設定の中で各場面では細かな「目的」と「障害」のぶつかり合いが求められます。
それがドラマであり、前に進む力なのです。

そして、「目的」と「障害」が明確になっても、
どうしてもシーンが浮かばない場合は「ここで主人公は何らかの方法で迷宮を脱出して」と書いて、次に進むのです。
細かなことは大切ですが、それは最後まで完成した後に考えることなのです。

とにかくどんなにぶさいくな形でもいいから、最後まで書き終わらせること。
それは完成ではなく、やっと執筆が始まる瞬間なのです。

そこから全体を見直し、本当の意味で作品を書き始めるのです。

週刊SPA! 10月4日(木)14時0分配信
・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。

このような氏からの創作者をめざす諸兄諸姉に最適な助言、と私は深く確信しているので、
ぜひ今回の氏の助言を参考に、創作活動に励んで頂きたい、と若き日に敗退した私は切望する。

もとよりこうした思い私の心の根底には、私は敗退した身であり、
たまたまこの記事に接して、創作者をめざす諸兄諸姉に少しでも氏からの助言に学んで頂きたく、
高齢者となった私としては、若き時期に挫折した体験を若い人たちに繰り返してほしくなく、
あえて投稿した次第である。

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