夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

作家の素質と創作のエネルギー、作家・曽野綾子さんの御著作より、つたない私でも深く学び・・。

2012-07-19 12:19:29 | 真摯に『文学』を思考する時
昨日の午後のひととき、私は本棚に向った時、単行本の並んだ列の上に、
一冊の雑誌があったので、取り上げた。

そして総合月刊雑誌のひとつの『新潮45』の2008年11月号であったので、
どうして古い雑誌が保管していたのかしら、と思ったりした。
手に持った私は、この雑誌の中に栞(しおり)があったことに気付き、
このページを開いた・・。

そして曽野綾子さんの『作家の日常、私の記事』と題された寄稿文で、
この中の第二章の「シンナーとミルフィーユ」の一部に於いて、
私は赤いポールペンで線を引いていた・・。

《・・
文章を書く作業は、「ミルフィーユ(千枚の葉)」というお菓子の名前が示すように重層的な構造を持っている。
根本のところでは、一重ずつ意識した自己の真実を重ねて行くことが必要だが、
表現はただ現実をそのまま述べればいいということではない。

表現はそれを効果的に伝えるために
ほんとうの意味で充分に技巧的でなければならない。
つまり虚構も真実もないまぜということだ。
最低限の嘘と底抜けの真実を承認できない人は、作家にはなれない。

しかし作家にとって、長い年月書き続けるという純動な作業を可能にするには、
充分に醸成された私怨だということはできる。
ユダヤ人として生きる私怨、
障害を持つという私怨、
戦争によって生を脅かせされた私怨。
なんでもいい。
この世に私怨を持たぬ人などないだろう、と私は思う時がある。

すべての私怨が、なまの臭気を失うほど充分に熟成した時、
初めてそれは継続的な創作のエネルギーになるという素朴な過程が、
私の場合にも当てはまるように思うのである。
・・》

私は年金生活をしている67歳の身であるが、日常の大半は、
随筆、ノンフィクション、小説、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。

定年後は、特に愛読しているのは塩野七生、佐野真一、藤原正彦、嵐山光三郎、曽野綾子、阿川弘之、高峰秀子、
各氏の作品に深く魅了され、この著作された人たちを主軸に購読してきている。

私が初めて作家・曽野綾子さんの作品を読んだのは、
講談社から出版された『われらの文学』と名づけられた文学全集からであった。

この文学全集は、確か1965(昭和40)年の頃から毎月一巻発刊され、全22巻であり、
大江健三郎、江藤 淳の両氏による責任編集の基で刊行され、
この当時の老成家した作家を除外した斬新で新鮮なな全集であった。

これ以前の私としては、中央公論社から確か『日本の文学』と命名された80巻ぐらいであった
と思われる文学全集を読んでいたが、
この『われらの文学』は、この当時に最も勢いのある大江健三郎、江藤 淳の両氏による責任編集に寄り、
選定された28名の作家の作品を私なりに精読していた。

そして、この全集の中で、第16巻として『曽野綾子、北 杜夫』が、
1966(昭和41)年5月に発刊されて、
私は初めて曽野綾子さんの『たまゆら』、『遠来の客たち』を含む8作品を初めて精読した。

これ以来、ときおり読んできたが、私はサラリーマンの多忙時期に重なったりし、
ここ5年は見逃してきた曽野綾子さんの作品を購読している。


私は1963〈昭和38〉年に大学に入学したが、この少し前の頃から、映画専門雑誌の『キネマ旬報』に熱中し、
小学4年生の頃から独りでたびたび映画館に通ったりしてきた体験も加わり、
これが原因で翌年に大学を中退し、シナリオライターをめざして養成所に入所し、
アルバイトなどをしながら、映画青年の真似事の期間を過ごしたりしていた。

その後、講師の知人のアドバイスを頂き、小説の習作に移り、
契約社員の警備員などをしながら生活費の確保と空き時間を活用して、文学青年のような真似事をして、
こうした中で純文学の月刊誌『文学界』、『新潮』、『群像』、
中間小説の月刊誌としては『オール読物』、『小説新潮』、『小説現代』を精読したり、
総合月刊雑誌の『文藝春秋』を不定期に購読していた。

この当時の私は、アルバイト・契約社員などをしながら、小説の習作に専念していた。
確かな根拠はなかったが、私には独創性がある、と独りよがり自信にあふれて、
純文学の新人コンクールの小説部門に応募したりした。

しかし当選作の直前の最終候補作の6作品に残れず、
三回ばかり敗退し、もう一歩と明日の見えない生活をしていた。
結果としては、30代に妻子を養う家庭のことを考えた時、
強気の私さえ、たじろぎ敗北宣言を心の中でして、やむなく安定したサラリーマンの身に転向した。

その後、何とか民間会社に中途入社したく、コンピュータの専門学校で一年ばかり学び、
この当時としてある大手の音響・映像メーカーに中途入社できたのは、1970〈昭和45〉年の春であった。
まもなく一部門の音楽のレーベルが外資元の要請で、レコード会社として新設され、
私も移籍の辞令を受けて、その後35年近く音楽業界のあるレコード会社の情報畑・管理畑などのサラリーマン生活をして、
2004(平成16)年の秋に定年退職を迎えた。

このように私は民間会社を定年退職するまでは、何かと屈折と劣等感の多い人生を過ごしたのであるが、
この地球に生を受けたひとりとして、私が亡くなる前まで、
何らかのかけらを残したい、と定年前から思索していた。

あたかも満天の星空の中で、片隅に何とか目を凝(こ)らせば見えるぐらいの星のひとつのように、
と思ったりした・・。

私はこれといって、特技はなく、かといって定年後は安楽に過ごせれば良い、
といった楽観にもなれず、いろいろと消却した末、言葉による表現を思案したのである。

文藝の世界は、短歌、俳句、詩、小説、随筆、評論などの分野があるが、
私は無念ながら歌を詠(よ)む素養に乏しく、小説、評論は体力も要するので、
せめて散文形式で随筆を綴れたら、と決意した・・。

私は若き日のひととき、映画・文学青年の真似事をして、あえなく敗退した時期もあったが、
定年後の感性も体力、何よりの文章の表現力も衰えたので、
ブログ、ブログに準じたサイトに加入し、文章修行とした。

そして多くの方に読んで頂きたく、あらゆるジャンルを綴り、
真摯に綴ったり、ときには面白く、おかしく投稿したりした。
そして苦手な政治、経済、社会の諸問題まで綴ったりしたが、
意識して、最後まで読んで頂きたく、構成なども配慮したりしている。

私の最後の目標は、人生と文章修行の果てに、
たとえば鎌倉前期の歌人のひとり鴨長明(かもの・ちょうめい)が遺され随筆の『方丈記』等があるが、
この方の数多くの遺(のこ)された中のひとつに準じる随筆を綴れれば、本望と思っている。

そして私の死後の数百年を過ぎた頃、文愛人の一部の方から、
あの時代に短かな随筆をたったひとつ遺(のこ)した人もいた、
と思って頂ただければ幸いという思いがある。

このような思いが、私としては拙(つたな)いなりに秘めたりしているので、
日々に感じたこと、思考したことを心の発露とし、
原則として国内旅行で自宅を留守にしない限り、毎日少なくとも一通は投稿している。

そして、何より肝要なことは、人それぞれ誰しも光と影を持ちあわしているので、
つたない私でも、ささやかな光、そして秘められた影を余すところなく綴るのが命題と思ったりしている。

このような身過ぎ世過ぎの年金生活をしながら、
言葉による表現、読書、そして思索の時間を過ごしたりすると、
私にとっての年金生活は暇、安楽というのは死語である。


私は確固たる根拠もないが、私なりの拙(つたな)い感性と感覚を頼りに、
できうる限り随筆形式で綴ってみようと、投稿文としている。
そして若き頃に小説の習作を少し体験し、幾たびか校正したりしてきたが、
定年後はブログの投稿文と甘え、一気呵成〈かせい〉に書き上げてしまうことも多い。

しかしながら、その日に応じて、簡単に言葉を紡(つむ)ぐ時もあれば、
言葉がなかなか舞い降りてこなくて、苦心惨憺とすることも多いのが実情でもある・・。

このような時、言霊(ことだま)に対して自己格闘が甘いのかしら、
或いは幼年期からの何かと甘さの多い人生を過ごしてきたから、
このような拙〈つたな〉い文章を綴るしか表現が出来ない、と深刻に考えたりすることがある。

こうした私なりに、秘かな野望が挫折した時、
数多くの拙〈つたな〉い投稿文が残して、涙を浮かべて振り返った時、
のちの想いになることだけは確かだ、と思いながらも日々投稿文を認(したた)めている。


このような思いを秘めている私は、今回、改めて作家歴50年の曽野綾子さんより、
作家の素質と継続的な創作のエネルギーを再読しながら学んだりした。

そして、何よりも創作をされて文筆で生計をめざしている若き諸兄諸姉、
曽野綾子さんの名言のひとつが、何かと参考になれば、という思いで私は今回あえて長く綴った。

尚、この曽野綾子さんの『作家の日常、私の記事』の連載が終り、
単行本として、今年の4月20日に於いて、『堕落と文学 ~作家の日常、私の仕事場』(新潮社)と題され、
発刊されている。
そして私も、買い求めて精読したひとりである。

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