私は遅ればせながら高校に入学してまもなく、突然に読書に目覚めて、
この時から小説、随筆、ノンフェクション、月刊雑誌などを乱読してきた。
読書に魅せられるのは、創作者より、文字から伝えられる伝達力、創造力が
それぞれ読む時の感受性、知性、想像力により多少の差異があるが、
綴られた文章はもとより、この行間から感じられる圧倒的な魔力から、
高校生の時からとりつかれたのであった・・。
そして何かと読書に魅了されて早や55年が過ぎている。
こうした中で、月刊総合雑誌のひとつの『文藝春秋』に関しては、
東京オリンピックが開催された1964年(昭和39年)の頃から特集に魅せられた時は買い求めて、
やがて1970年(昭和45年)4月より、毎月購読して今日に至っている。
そして文藝春秋が実質上主催となっている公益財団法人 日本文学振興会が制定する『芥川賞』が、
年に二回の選考が実施された結果、
受賞作品が、『文藝春秋』の誌上に、選考委員の選評と共に掲載されている。
私は掲載された『芥川賞』受賞作品をリアルタイムで精読したのは、
確か1965年に始まりと記憶していたので、津村節子さんの『玩具』が最初で、
最後は三田誠広さんの『僕って何 』(1977年)であった。
これ以降は、選考委員の選評だけは読み、受賞作品は殆ど読んだことはなく、過ごしてきた。
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過ぎし7月16日に第153回芥川龍之介賞の選考委員会が開催され、
やがて又吉直樹さんの『火花』と羽田圭介さんの『スクラップ・アンド・ビルド』が受賞作に決まった事に関し、
テレビのニュースで知った。
そして又吉直樹さんについて、テレビや新聞などで盛んに取り上げられて、
人気お笑い芸人、と私は初めて知ったりした。
やがて私は、作家・丸山健二さん(1966年、芥川賞受賞作『夏の流れ』)が、
1994年に上梓された『まだ見ぬ書き手へ』(朝日新聞社)を思い浮かべた・・。
小説を志す人たちの中にはおらず、文学なんぞ青くさくて話にもならないと思い、
他の世界できちんと現実に立ち向かいながら、着実な仕事振りをしている方・・
こうした方に小説を公表して、文学の活性化を念願している・・
確かこのような内容と私は記憶していた。
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この後、7日の朝、いつものように読売新聞を読んでいたら、
出版広告として、『文藝春秋』(9月号)と『中央公論』(9月号)が、
本日発売と表示されていた。
通常は10日発売の月刊総合雑誌であるが、
数多くの民間会社が夏季休暇は12日から始まると知ったりしてきたので、
少し早めたかしら、と思ったりした。
やがて『文藝春秋』は、恒例の芥川賞に於いて受賞作が掲載されてきたが、
今回は話題の又吉直樹さんの『火花』も掲載されているので、
出版業界は不況の中、又吉直樹さんの『火花』が単行本が爆発的に売れている中、
相乗効果で、今回の9月号は少し早めたかしら、と私は微苦笑したりした。
そして当日の7日の午前中のひととき、駅ビルの本屋に立ち寄り、
『文藝春秋』(9月号)を見たりしたが、近くに厚い『文藝春秋』があり、
何かしら特別付録として、昭和2年9月『芥川龍之介追悼号』が付いていたので、買い求めたりした。。
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やがて二日遅れで、久々に芥川賞受賞作品の又吉直樹さんの『火花』だけを読んだりした・・。
そして又吉直樹さんの『火花』は、純文学を意識してか少し固い文体もあるが、
独自性もあり、描写が新鮮で好感した。
ただ苦言を呈すれば、終末に描かれた《胸豊》はない方が圧倒的に良質の作品に完成した、
と私は感じたりした。
昨夜、ネットで月刊『創』編集長の篠田博之さんが、
『皆、遠慮して言わないけど、『火花』が209万部ってどうなの?』と題された寄稿文を読み、
やがて微苦笑させられた。
無断であるが記事の前半部分を転載させて頂く。
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《・・又吉直樹さんの『火花』の発行部数が209万部に達したという。
電車の広告ではいまだに「120万部突破」と書かれている。
広告を差し替えるのが追いつかないほどの勢いで増刷がかかっているのだ。
7月半ばの芥川賞受賞発表までは60万部強だったから、半月で100万部以上の増刷がかかったわけだ。
いま出版界は深刻な不況で、特に文学とノンフィクションのジャンルは本が売れないから、
業界がこぞって『火花』ヒットさせようとしたのはよくわかる。
特に芥川賞はこのところ、受賞が話題になることが多いから、今回も関係者はいろいろ考えたのだろう。
その結果、予想をはるかに上回るベストセラーが誕生したわけだ。
業界の多くの人がほっとしたし、これが起爆剤になって少しでも出版界が活性化すれば、と思ったことだろう。
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でも、どうなんだろう。
そのブームはいまや独り歩きしてしまっているし、こういう現象って本当に出版界にとって良いことなのだろうか。
出版界ではこの10年程、「メガヒット現象」と言って、特定の本に売れ行きが集中し、
それ以外は本や雑誌がさっぱり売れないという状況が加速している。
今回の現象はそれを象徴する事柄だ。
お笑いの世界でもブームが訪れては翌年にはそれが消えていくという現象が続いているが、
『火花』のブームも「お笑い芸人が初めて芥川賞受賞」という話題性が、
普段本を読まない人にも関心を抱かせる要因になっているのは明らかだ。
購買動機が「話題を消費する」ことだから、『火花』の売れ行きが爆発的であっても、
それが他の文芸書に波及していくとは思えない。
『SPA!」8月11・18日号の「文壇アウトローズの世相放談『これでいいのだ!』」で文芸評論家の坪内祐三さんが
こう語っている。
「今回の芥川賞に関しては、周りのはしゃぎっぷりは見苦しいね。
『週刊文春』のグラビアでさ、選考委員の島田雅彦や山田詠美たちが又吉さんを囲んで嬉しそうに写ってたでしょ。
あれはサイアク。芸能と文学は五分と五分のはずなのに、あれを見ると文学が芸能に負けちゃってるんだよ」
「芸人が獲ったってだけで、こんなにみんなはしゃぐなんて、
今回の芥川賞で、いよいよ文学が滅びたなって感じがするんだよ。
少なくともオレの考えてる文学は滅びた感じがする。又吉さんの作品が文学なだけに、それが際立つよね。
文学的な作品が芥川賞を獲って、それで文学が滅びたってところがいいよね」
断っておくが、又吉さんの『火花』が作品としてだめだと言っているのではない。
それを文学として評価したうえで、今回の騒動については「文学が滅びた」と言っているのだ。
この何年か、出版界では「良い本が良い本だという理由だけで売れる時代は終わった」と言われている。
映像化によってブームを作り出すとか、何かの賞を受賞して話題になるとか、
そういうプロモーションを行っていかないと、良い本でもヒットは望めないという状況なのだ。
文藝春秋にプロモーション局が設置されたのは2012年だ。
そのプロモーション主導で作り上げたミリオンセラーが阿川佐和子さんの『聞く力』だった。
いや別に阿川さんの本が、中身がないのにプロモーションで売ったと言っているのではない。
でもあの本がミリオンセラーになっていったのを見ると、マーケティングとプロモーションの勝利だという印象は否めない。
最近は、本は「一部の売れる本とそれ以外の本」に大別されると言われる。
文藝春秋も新潮社も、ごく一部のメガヒットとなった本の売り上げで書籍部門全体を引っ張るという構造が定着しつつある。
特定のメガヒットとなった本を除くと、書籍部門が対前年比マイナスだったりするのも珍しくない。
文藝春秋がプロモーション局を作ったり、新潮社が「映像化推進プロデューサー」という妙な肩書のスタッフを置いて、
文芸作品の映像化を意識的に働きかけたりしているのはそのためだ。
何らかの仕掛けによってベストセラーを作り出すというのを、意識的にやっていく、それが当たり前の時代になった。
同じ作家の作品でも、映像化などで話題になったものとそうでないものとでは部数に極端な違いが出たりする。
今回の『火花』の芥川賞受賞や、それを機に一気に何十万部も増刷をかけ、
「100万部突破」というニュースによって話題を加速していくという手法は、『聞く力』で成功したやり方だ。
文藝春秋も幾つかの経験を経て、プロモーションがうまくなっているといえる。
その手の手法としては、ドラマ化・映画化はもちろんだが、何かの賞をとらせて話題を作る、
あるいは年末のいろいろなランキングに作品をすべりこませ、それを宣伝に使っていくなど、
大手出版社ではそれが当たり前になりつつある。
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戦後、日本の出版界は一貫して右肩上がりの成長を続け、
経済的な不況に陥っても本だけは読むというのが日本人の特性と言われてきた。
出版界にとっては、牧歌的で幸せな時代だった。
しかし、その出版界は1990年代半ばをピークにいまや落ち込む一方だ。
本が売れないと言われるなかで、ヒットを出すには何らかの「仕掛け」が必要になった。
その意味では『火花』は幾つかの仕掛けが完璧に功を奏した事例だろう。でも、
それが100万部を超え、200万部を超え、という異常なブームになってしまうと、喜んでばかりはいられない気もする。
作品の消費のされ方が、お笑い界のブームや、健康本が一過性でブームになってしまう経過とよく似ているのだ。
これって出版界にとって健全なことなのか。
救いなのは、こういうブームのなかで、当事者の又吉さんが決して浮かれていないように見えること、
あるいはこの現象を冷静に受け止める空気もまだ残っていることだ。 ・・(略)・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。
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私のつたない読書歴としては、純文学の世界に関して、
瀬戸内寂聴さんが晴美と明記していた1955年(昭和35年)の頃、
『純文学の(単行)本は3000部程度で、これ以上は何かしら加味されたもの・・』
後年に私は、このような意味合いの言葉を学んだりした。
まもなく石原慎太郎さんが『太陽の季節』で芥川賞を受賞された1955年(昭和35年)、
起爆剤ように社会現象として波及し、時の人となり、
出版業界はやがて日本の高度成長と共に活性化し、隆盛の時代となった。
これ以前、前年に芥川賞を『 白い人』授賞された遠藤周作さんは、
授賞も平穏で、授賞したから出版社から特別な注文はなかった、と私は後年読んだりした。
昨今、出版業界と創作者の作家の状況の中、電子書籍の時代の著作権が不明確のまま到来、
何よりも出版社と著作者に無断のまま、本を裁断してコピーし、販売する業種も出現し、
出版社などは大揺れの状況下となっている。
或いはアマゾンなどのネット書店に席巻されて、街にあった中小書店が激少し、
出版業界全般として縮小している。
そして数か月前、私が衝撃を受けたは、1996年に『家族シネマ 』授賞された柳美里さんが、
インタビューした記事の中で、
《・・多くの作家が経済的に困っている状態ということですか、と問いに、
柳美里さんは、「書くことだけで食べている作家は30人ぐらいではないか」という話を聞いたのですが、
かなりリアルな数字だと思います。
ただ「貧乏は恥ずかしい」と考えている方が多く、公にしないだけだと思います。・・》
こうしたことに私は動顛させられた。
そして私が勤めていた音楽業界のレコード会社の各社でも、
1998年(平成10年)に売上のピークで、これ以降今日まで下降している。
主因としては、経済の低迷化の中で、ネットの違法な音楽配信の蔓延化、そして社会全般の多趣味化であり、
やがて正規な音楽配信元でも、無料、或いは有料の音楽利用料金が普及してきたが、
著作権を有するアーティストに対しての対価は、余りにも廉(やす)過ぎる、と私は感じたりしている。
このような環境下では、肝要の音楽アーティストの多くは、
収入の激少化となり、生活もままならず、創作意欲がなくなってしまうのではないか、
或いは転職を余儀なくされてしまうのではないか、と憂いたりしてきた。
こうした中で、音楽業界、出版業界も堅実に利益を出して発展する為には、
世界の他分野の主力な巨大企業でも、徹底したマーケティングが実施されているので、
文化的な出版業界、音楽業界、一部の突出したことが現象がでている実態は、
私はやむえないことと思っている。
そして一部の突出したことが現象は、ネットの社会でも露呈しているが、現状である。
今回の又吉直樹さんの『火花』が若き人が買い求められたと知り、
これを機会に若き人の多くが小説を読み、本を買い求めて下されれば、と私は念願している。
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この時から小説、随筆、ノンフェクション、月刊雑誌などを乱読してきた。
読書に魅せられるのは、創作者より、文字から伝えられる伝達力、創造力が
それぞれ読む時の感受性、知性、想像力により多少の差異があるが、
綴られた文章はもとより、この行間から感じられる圧倒的な魔力から、
高校生の時からとりつかれたのであった・・。
そして何かと読書に魅了されて早や55年が過ぎている。
こうした中で、月刊総合雑誌のひとつの『文藝春秋』に関しては、
東京オリンピックが開催された1964年(昭和39年)の頃から特集に魅せられた時は買い求めて、
やがて1970年(昭和45年)4月より、毎月購読して今日に至っている。
そして文藝春秋が実質上主催となっている公益財団法人 日本文学振興会が制定する『芥川賞』が、
年に二回の選考が実施された結果、
受賞作品が、『文藝春秋』の誌上に、選考委員の選評と共に掲載されている。
私は掲載された『芥川賞』受賞作品をリアルタイムで精読したのは、
確か1965年に始まりと記憶していたので、津村節子さんの『玩具』が最初で、
最後は三田誠広さんの『僕って何 』(1977年)であった。
これ以降は、選考委員の選評だけは読み、受賞作品は殆ど読んだことはなく、過ごしてきた。
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過ぎし7月16日に第153回芥川龍之介賞の選考委員会が開催され、
やがて又吉直樹さんの『火花』と羽田圭介さんの『スクラップ・アンド・ビルド』が受賞作に決まった事に関し、
テレビのニュースで知った。
そして又吉直樹さんについて、テレビや新聞などで盛んに取り上げられて、
人気お笑い芸人、と私は初めて知ったりした。
やがて私は、作家・丸山健二さん(1966年、芥川賞受賞作『夏の流れ』)が、
1994年に上梓された『まだ見ぬ書き手へ』(朝日新聞社)を思い浮かべた・・。
小説を志す人たちの中にはおらず、文学なんぞ青くさくて話にもならないと思い、
他の世界できちんと現実に立ち向かいながら、着実な仕事振りをしている方・・
こうした方に小説を公表して、文学の活性化を念願している・・
確かこのような内容と私は記憶していた。
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この後、7日の朝、いつものように読売新聞を読んでいたら、
出版広告として、『文藝春秋』(9月号)と『中央公論』(9月号)が、
本日発売と表示されていた。
通常は10日発売の月刊総合雑誌であるが、
数多くの民間会社が夏季休暇は12日から始まると知ったりしてきたので、
少し早めたかしら、と思ったりした。
やがて『文藝春秋』は、恒例の芥川賞に於いて受賞作が掲載されてきたが、
今回は話題の又吉直樹さんの『火花』も掲載されているので、
出版業界は不況の中、又吉直樹さんの『火花』が単行本が爆発的に売れている中、
相乗効果で、今回の9月号は少し早めたかしら、と私は微苦笑したりした。
そして当日の7日の午前中のひととき、駅ビルの本屋に立ち寄り、
『文藝春秋』(9月号)を見たりしたが、近くに厚い『文藝春秋』があり、
何かしら特別付録として、昭和2年9月『芥川龍之介追悼号』が付いていたので、買い求めたりした。。
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やがて二日遅れで、久々に芥川賞受賞作品の又吉直樹さんの『火花』だけを読んだりした・・。
そして又吉直樹さんの『火花』は、純文学を意識してか少し固い文体もあるが、
独自性もあり、描写が新鮮で好感した。
ただ苦言を呈すれば、終末に描かれた《胸豊》はない方が圧倒的に良質の作品に完成した、
と私は感じたりした。
昨夜、ネットで月刊『創』編集長の篠田博之さんが、
『皆、遠慮して言わないけど、『火花』が209万部ってどうなの?』と題された寄稿文を読み、
やがて微苦笑させられた。
無断であるが記事の前半部分を転載させて頂く。
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《・・又吉直樹さんの『火花』の発行部数が209万部に達したという。
電車の広告ではいまだに「120万部突破」と書かれている。
広告を差し替えるのが追いつかないほどの勢いで増刷がかかっているのだ。
7月半ばの芥川賞受賞発表までは60万部強だったから、半月で100万部以上の増刷がかかったわけだ。
いま出版界は深刻な不況で、特に文学とノンフィクションのジャンルは本が売れないから、
業界がこぞって『火花』ヒットさせようとしたのはよくわかる。
特に芥川賞はこのところ、受賞が話題になることが多いから、今回も関係者はいろいろ考えたのだろう。
その結果、予想をはるかに上回るベストセラーが誕生したわけだ。
業界の多くの人がほっとしたし、これが起爆剤になって少しでも出版界が活性化すれば、と思ったことだろう。
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でも、どうなんだろう。
そのブームはいまや独り歩きしてしまっているし、こういう現象って本当に出版界にとって良いことなのだろうか。
出版界ではこの10年程、「メガヒット現象」と言って、特定の本に売れ行きが集中し、
それ以外は本や雑誌がさっぱり売れないという状況が加速している。
今回の現象はそれを象徴する事柄だ。
お笑いの世界でもブームが訪れては翌年にはそれが消えていくという現象が続いているが、
『火花』のブームも「お笑い芸人が初めて芥川賞受賞」という話題性が、
普段本を読まない人にも関心を抱かせる要因になっているのは明らかだ。
購買動機が「話題を消費する」ことだから、『火花』の売れ行きが爆発的であっても、
それが他の文芸書に波及していくとは思えない。
『SPA!」8月11・18日号の「文壇アウトローズの世相放談『これでいいのだ!』」で文芸評論家の坪内祐三さんが
こう語っている。
「今回の芥川賞に関しては、周りのはしゃぎっぷりは見苦しいね。
『週刊文春』のグラビアでさ、選考委員の島田雅彦や山田詠美たちが又吉さんを囲んで嬉しそうに写ってたでしょ。
あれはサイアク。芸能と文学は五分と五分のはずなのに、あれを見ると文学が芸能に負けちゃってるんだよ」
「芸人が獲ったってだけで、こんなにみんなはしゃぐなんて、
今回の芥川賞で、いよいよ文学が滅びたなって感じがするんだよ。
少なくともオレの考えてる文学は滅びた感じがする。又吉さんの作品が文学なだけに、それが際立つよね。
文学的な作品が芥川賞を獲って、それで文学が滅びたってところがいいよね」
断っておくが、又吉さんの『火花』が作品としてだめだと言っているのではない。
それを文学として評価したうえで、今回の騒動については「文学が滅びた」と言っているのだ。
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この何年か、出版界では「良い本が良い本だという理由だけで売れる時代は終わった」と言われている。
映像化によってブームを作り出すとか、何かの賞を受賞して話題になるとか、
そういうプロモーションを行っていかないと、良い本でもヒットは望めないという状況なのだ。
文藝春秋にプロモーション局が設置されたのは2012年だ。
そのプロモーション主導で作り上げたミリオンセラーが阿川佐和子さんの『聞く力』だった。
いや別に阿川さんの本が、中身がないのにプロモーションで売ったと言っているのではない。
でもあの本がミリオンセラーになっていったのを見ると、マーケティングとプロモーションの勝利だという印象は否めない。
最近は、本は「一部の売れる本とそれ以外の本」に大別されると言われる。
文藝春秋も新潮社も、ごく一部のメガヒットとなった本の売り上げで書籍部門全体を引っ張るという構造が定着しつつある。
特定のメガヒットとなった本を除くと、書籍部門が対前年比マイナスだったりするのも珍しくない。
文藝春秋がプロモーション局を作ったり、新潮社が「映像化推進プロデューサー」という妙な肩書のスタッフを置いて、
文芸作品の映像化を意識的に働きかけたりしているのはそのためだ。
何らかの仕掛けによってベストセラーを作り出すというのを、意識的にやっていく、それが当たり前の時代になった。
同じ作家の作品でも、映像化などで話題になったものとそうでないものとでは部数に極端な違いが出たりする。
今回の『火花』の芥川賞受賞や、それを機に一気に何十万部も増刷をかけ、
「100万部突破」というニュースによって話題を加速していくという手法は、『聞く力』で成功したやり方だ。
文藝春秋も幾つかの経験を経て、プロモーションがうまくなっているといえる。
その手の手法としては、ドラマ化・映画化はもちろんだが、何かの賞をとらせて話題を作る、
あるいは年末のいろいろなランキングに作品をすべりこませ、それを宣伝に使っていくなど、
大手出版社ではそれが当たり前になりつつある。
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戦後、日本の出版界は一貫して右肩上がりの成長を続け、
経済的な不況に陥っても本だけは読むというのが日本人の特性と言われてきた。
出版界にとっては、牧歌的で幸せな時代だった。
しかし、その出版界は1990年代半ばをピークにいまや落ち込む一方だ。
本が売れないと言われるなかで、ヒットを出すには何らかの「仕掛け」が必要になった。
その意味では『火花』は幾つかの仕掛けが完璧に功を奏した事例だろう。でも、
それが100万部を超え、200万部を超え、という異常なブームになってしまうと、喜んでばかりはいられない気もする。
作品の消費のされ方が、お笑い界のブームや、健康本が一過性でブームになってしまう経過とよく似ているのだ。
これって出版界にとって健全なことなのか。
救いなのは、こういうブームのなかで、当事者の又吉さんが決して浮かれていないように見えること、
あるいはこの現象を冷静に受け止める空気もまだ残っていることだ。 ・・(略)・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。
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私のつたない読書歴としては、純文学の世界に関して、
瀬戸内寂聴さんが晴美と明記していた1955年(昭和35年)の頃、
『純文学の(単行)本は3000部程度で、これ以上は何かしら加味されたもの・・』
後年に私は、このような意味合いの言葉を学んだりした。
まもなく石原慎太郎さんが『太陽の季節』で芥川賞を受賞された1955年(昭和35年)、
起爆剤ように社会現象として波及し、時の人となり、
出版業界はやがて日本の高度成長と共に活性化し、隆盛の時代となった。
これ以前、前年に芥川賞を『 白い人』授賞された遠藤周作さんは、
授賞も平穏で、授賞したから出版社から特別な注文はなかった、と私は後年読んだりした。
昨今、出版業界と創作者の作家の状況の中、電子書籍の時代の著作権が不明確のまま到来、
何よりも出版社と著作者に無断のまま、本を裁断してコピーし、販売する業種も出現し、
出版社などは大揺れの状況下となっている。
或いはアマゾンなどのネット書店に席巻されて、街にあった中小書店が激少し、
出版業界全般として縮小している。
そして数か月前、私が衝撃を受けたは、1996年に『家族シネマ 』授賞された柳美里さんが、
インタビューした記事の中で、
《・・多くの作家が経済的に困っている状態ということですか、と問いに、
柳美里さんは、「書くことだけで食べている作家は30人ぐらいではないか」という話を聞いたのですが、
かなりリアルな数字だと思います。
ただ「貧乏は恥ずかしい」と考えている方が多く、公にしないだけだと思います。・・》
こうしたことに私は動顛させられた。
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そして私が勤めていた音楽業界のレコード会社の各社でも、
1998年(平成10年)に売上のピークで、これ以降今日まで下降している。
主因としては、経済の低迷化の中で、ネットの違法な音楽配信の蔓延化、そして社会全般の多趣味化であり、
やがて正規な音楽配信元でも、無料、或いは有料の音楽利用料金が普及してきたが、
著作権を有するアーティストに対しての対価は、余りにも廉(やす)過ぎる、と私は感じたりしている。
このような環境下では、肝要の音楽アーティストの多くは、
収入の激少化となり、生活もままならず、創作意欲がなくなってしまうのではないか、
或いは転職を余儀なくされてしまうのではないか、と憂いたりしてきた。
こうした中で、音楽業界、出版業界も堅実に利益を出して発展する為には、
世界の他分野の主力な巨大企業でも、徹底したマーケティングが実施されているので、
文化的な出版業界、音楽業界、一部の突出したことが現象がでている実態は、
私はやむえないことと思っている。
そして一部の突出したことが現象は、ネットの社会でも露呈しているが、現状である。
今回の又吉直樹さんの『火花』が若き人が買い求められたと知り、
これを機会に若き人の多くが小説を読み、本を買い求めて下されれば、と私は念願している。
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