私は東京の調布市に住む年金生活11年生の老ボーイの70歳の身であるが、
たまたま家内は家内の母宅に里帰りし、私は独りぼっちの『おひとりさま』の生活をしている。
今朝、朝食をいつもように一汁七菜で頂いた後、
休むと台所が汚くなるので、人生は気合だ、と自身を叱咤激励した・・。
そして家内から借りた可愛らしいエプロンを着て、台所で皿洗いを始めた。
食器専用の洗剤液をスポンジにたらし、それぞれの茶碗、皿などに丁重に擦(こすっ)たりした後、
盛大に水道水で洗い清めたりした・・。
こうした時、どうした心情が解からないが、
♪嵐も吹けば 雨も降る・・と大津美子さんの『ここに幸あり』の歌を、
かぼそい声で唄っていた。
そして♪・・女の道よ なぜ険(けわ)し 君をたよりに わたしは生きる・・
と唄ったりした。
この数分後、家内や私の妹も団塊世代の人であり、専業主婦が多く、
妻が専守防衛長官ように家庭内を維持管理していたので、もとより発言力も増し、
まして平成の時代になると、共稼せぎの多い時代に変貌してきたので、
この歌の内容は、死語だょねぇ、と苦笑したりしていた。
そして私は微苦笑しながら、確か1956年(昭和31年)の私が小学5年生の時に、
ラジオから盛んに流れていた歌だったので、
俺も古い人間でやはり齢は隠せない・・、と思ったりした。
家内が居る時の平素は、ときたま私は家の中で、かぼそい声で鼻歌を唄ったりしている。
一週間前の時は、たまたま唄った歌のひとつは、『旅の夜風』であった。
♪花も嵐も 踏み越えて・・《作詞・西條八十、作曲・万城目正、唄・霧島昇&ミス コロムビア》
と心の中で唄ったりして、自身を慰め、そして励ましたりして、ときにはかぼそい声で唄ったりした。
私が小学3年の春、祖父が亡くなり、
その前年に父に死去されて、母は私を含め兄妹の五人の子供が残されたので、
母がよく鼻歌を唄ったりしていた。
この当時、ラジオからよく流れていた、と子供心に記憶がある。
家内は私より5歳ばかり下であるが、戦前、戦後の歌謡曲は、私より詳しい。
こうした根底には、生前の家内の父が歌謡曲が好きで、歌に自信を深めていたので、
家の中とか勤務先の交際の折、よく唄っていたらしい。
時折、こうした歌を私が鼻歌を唄ったりすると、
近くにいた家内が、NHKの『素人のど自慢』の鐘の音を真似て、
『カァ~ン』と微笑みながら、云ったりしている。
そして私は鐘ひとつかょ、と苦笑したりしている。
この『旅の夜風』の歌は、昭和13年(1938年)に上映された松竹映画の『愛染かつら』の主題歌であり、
原作が小説家・川口松太郎が雑誌『婦人倶楽部』に連載された、
と知ったのは恥ずかしながら10年前であった。
私は平素、買物メール老ボーイの責務を果たした後、
独りで自宅付近の3キロ範囲の小公園、遊歩道を散策して、
季節のうつろいを享受している。
こうした時、人影がない時には、♪君と好きな人が 百年続きますように・・
一青窈(ひとと・よう)さんの『ハナミズキ』の歌を、かぼそい声で唄ったりする時もある。
私たち夫婦は、この先いつまでも、ささやかな生活が続くわけでなく、いずれ片割れになる・・。
このような思いを重ねたりして、歩く時もある。
余談であるが、私はサラリマン時代には、人前で唄うカラオケは苦手で、
おつきあい程度に唄ったりしてきたが、
年金生活をしていると、ときおり鼻歌をかぼそい声で唄ったりしている。
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たまたま家内は家内の母宅に里帰りし、私は独りぼっちの『おひとりさま』の生活をしている。
今朝、朝食をいつもように一汁七菜で頂いた後、
休むと台所が汚くなるので、人生は気合だ、と自身を叱咤激励した・・。
そして家内から借りた可愛らしいエプロンを着て、台所で皿洗いを始めた。
食器専用の洗剤液をスポンジにたらし、それぞれの茶碗、皿などに丁重に擦(こすっ)たりした後、
盛大に水道水で洗い清めたりした・・。
こうした時、どうした心情が解からないが、
♪嵐も吹けば 雨も降る・・と大津美子さんの『ここに幸あり』の歌を、
かぼそい声で唄っていた。
そして♪・・女の道よ なぜ険(けわ)し 君をたよりに わたしは生きる・・
と唄ったりした。
この数分後、家内や私の妹も団塊世代の人であり、専業主婦が多く、
妻が専守防衛長官ように家庭内を維持管理していたので、もとより発言力も増し、
まして平成の時代になると、共稼せぎの多い時代に変貌してきたので、
この歌の内容は、死語だょねぇ、と苦笑したりしていた。
そして私は微苦笑しながら、確か1956年(昭和31年)の私が小学5年生の時に、
ラジオから盛んに流れていた歌だったので、
俺も古い人間でやはり齢は隠せない・・、と思ったりした。
家内が居る時の平素は、ときたま私は家の中で、かぼそい声で鼻歌を唄ったりしている。
一週間前の時は、たまたま唄った歌のひとつは、『旅の夜風』であった。
♪花も嵐も 踏み越えて・・《作詞・西條八十、作曲・万城目正、唄・霧島昇&ミス コロムビア》
と心の中で唄ったりして、自身を慰め、そして励ましたりして、ときにはかぼそい声で唄ったりした。
私が小学3年の春、祖父が亡くなり、
その前年に父に死去されて、母は私を含め兄妹の五人の子供が残されたので、
母がよく鼻歌を唄ったりしていた。
この当時、ラジオからよく流れていた、と子供心に記憶がある。
家内は私より5歳ばかり下であるが、戦前、戦後の歌謡曲は、私より詳しい。
こうした根底には、生前の家内の父が歌謡曲が好きで、歌に自信を深めていたので、
家の中とか勤務先の交際の折、よく唄っていたらしい。
時折、こうした歌を私が鼻歌を唄ったりすると、
近くにいた家内が、NHKの『素人のど自慢』の鐘の音を真似て、
『カァ~ン』と微笑みながら、云ったりしている。
そして私は鐘ひとつかょ、と苦笑したりしている。
この『旅の夜風』の歌は、昭和13年(1938年)に上映された松竹映画の『愛染かつら』の主題歌であり、
原作が小説家・川口松太郎が雑誌『婦人倶楽部』に連載された、
と知ったのは恥ずかしながら10年前であった。
私は平素、買物メール老ボーイの責務を果たした後、
独りで自宅付近の3キロ範囲の小公園、遊歩道を散策して、
季節のうつろいを享受している。
こうした時、人影がない時には、♪君と好きな人が 百年続きますように・・
一青窈(ひとと・よう)さんの『ハナミズキ』の歌を、かぼそい声で唄ったりする時もある。
私たち夫婦は、この先いつまでも、ささやかな生活が続くわけでなく、いずれ片割れになる・・。
このような思いを重ねたりして、歩く時もある。
余談であるが、私はサラリマン時代には、人前で唄うカラオケは苦手で、
おつきあい程度に唄ったりしてきたが、
年金生活をしていると、ときおり鼻歌をかぼそい声で唄ったりしている。
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富士見町といえば貴兄の行動範囲外と見ていますが、大丈夫でしょうか?
調布飛行場からは、飛行ルートに当たるのでしょうか。
気を付けて...と申し上げても、こればっかりは(汗)
>調布市でセスナが墜落したとのこと。
>富士見町といえば貴兄の行動範囲外と見ていますが、大丈夫でしょうか?
>調布飛行場からは、飛行ルートに当たるのでしょうか。
>気を付けて...と申し上げても、こればっかりは(汗)
貴兄の迅速にお便り、ご心配をお掛けいまして、恐れ入る次第です。
私は本日の午前中、散髪屋(理容店)に行き、いつものようにスーパーで買物して帰宅後、
12時半過ぎにテレビのニュースで知った次第です。
我が家からは5キロばかり離れた地域で、
通常の定期航路(調布飛行場~伊豆七島の新島)の飛行ルートから離れています。
しかし民間と思われる小型飛行機の墜落は、周辺には住宅が密集し、学校もあり、
サッカーなどに使用されているスタジアム、そして中央高速道路がある地域です。
私は小さな飛行場は、国交省が認定された定期航路、
そして警察、消防、自衛隊が活用されて、一般の小型飛行機の愛好者は禁止する、
このように思ってきた次第です。
今回の惨事、一般の小型飛行機の愛好者でしたら、どのように賠償できるか、
配慮した上、操縦して欲しく・・
安易な快適の為に飛行機を乗るなょ、と思っています。