私は東京郊外の調布市に住む年金生活7年生の66歳の身であるが、
今朝、いつものように読売新聞の朝刊を読んだ後、何よりも魅了された記事は、
1面の総合面で定例箇所に定められた【編集手帳】であった・・。
この記事と同一なのが、
読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】にも掲載されて折、
無断であるが、この記事を転載させて頂く。
《・・
11月27日付 編集手帳
漢字が30%ほど含まれている文章は読みやすいという。
20%では締まりがなくなり、40%では幾らか硬い感じになると、
ジャーナリストの林邦夫さんが『「大漢和辞典」を読む』(紀田順一郎編、大修館書店)に書いている
“漢字率”30%と言われてもちょっと見当がつかないが、
三島由紀夫『潮騒』の書き出し部分がちょうどその比率とか。
書棚の新潮文庫版をひらくと、なるほど、活字の並んだ姿が心なしか美しく感じられなくもない
仮名という生地の上に浮き出た模様――漢字をそうたとえたのは作家の高田宏さんだが、
日本の活字文化とは漢字と仮名がつくりだす織物の美でもあるのだろう
29年ぶりに改定された常用漢字表が30日付の官報で内閣告示される。
追加された196文字には「鬱(うつ)」や語彙(ごい)の「彙」など画数の多い漢字も含まれている。
いわば刺(し)繍(しゅう)の新しい糸である。
学び、慣れていくなかで日本語の面白さや美しさに触れる中高生もいるだろう。
伝統の織物に親しむきっかけになればいい
蛇足ながら小欄458文字のうち、本日の漢字は162文字、35%、三島さんの芸当は真似(まね)できない。
(2010年11月27日01時35分 読売新聞)
・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。
私はこのサイトで、過ぎし今月の11月16日に於いて、
【 我が心の発露は、言霊(ことだま)の力を何よりも信愛し・・。】
と題して、投稿している。
【・・
私は東京郊外の調布市に住む年金生活7年生の66歳の身であり、
中小業の民間会社を2004(平成16)年の秋に定年退職して、まもない時にブログの世界を知った。
そして私は、ブログ、ブログに準じたサイトに加入して投稿をし初めて、
6年目となっている。
私は定年直後から年金生活を始めたのであるが、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことを表現する手段として、
写真に関しては高校時代に写真部で風景を専攻していたが、
やはり心の中の思いを発露するには、何より言葉の力を信じて投稿してきたのである。
古来、日本は人々の会話の伝達の時代が過ぎた後、
少なくとも飛鳥の時代から言葉を綴り, 日記、随筆、小説、詩、短歌、俳句、
川柳などは文字で表現してきたのである。
そして、その時代なりに数多くの人々により、
心を思いを満天の星空のように、数多くの遺(のこ)されて、現世に至っている。
私は確固たる根拠もないが、私なりの拙(つたな)い感性と感覚を頼りに、
随筆であるエッセイ風、そしてコラム風に綴ってみようと、投稿文としている。
その日に応じて、簡単に言葉を紡(つむ)ぐ時もあれば、
言葉がなかなか舞い降りてこなくて、苦心惨憺とすることも多いのである。
このような時、言霊(ことだま)に対して自己格闘が甘いのかしら、
或いは幼年期からの甘さの多い人生を過ごしてきたから、
このような拙(つたな)い文章を綴るしか表現が出来ない、
と深刻に考えたりすることがある。
このような時、私は文章を綴ったのは、少年期の何時頃であったのかしら、
そして、その後は・・と拙(つたな)い我が身を振りかえることがある。
私は1944(昭和19)年に、東京の郊外の農家の三男坊と生を受けた。
初めて文字を書いたのは、小学校に入学したからだった・・。
この頃は、私の住む村では幼稚園が出来たのは、私が小学校3年頃だったと思う。
私は最寄の託児所で2年ばかり通い、小学校に入学したが、
託児所は、文字などは教えることのない時代で、礼儀作法、お遊戯で過ごしていた。
小学校に入学すると、『こくご』の授業で初めて、文字を覚え、
真っ先にひらがなで、私の名前を升目の大きなノートに書いたりしていた。
そして、ひらがな、カナ字、そして漢字を学び、
3年生頃から『さくぶん』の授業で、今の時代で云うと粗雑な藁半紙(わらばんし)で書かされたのである。
この頃に家にある本と云えば、
農協の発刊する『家の光』ぐらい記憶していなかったので、
小学5年の時、近くに引っ越してきた都心に勤めるサラリーマンの宅に行った時に、
書棚に本が並んでいたを見たときは、
子供心でも眩暈(めまい)を感じたのである。
夏休みには、宿題として作文があったが、苦手な私は苦心惨憺で綴ったのは、
今でもほろ苦く覚えている。
私が都心にある高校に入学してから、
突然に読書に目覚めて、高校二年の夏に小説の真似事の原稿用紙に習作をした。
東京オリンピックの直前に、私は大学を中退し、
映画青年、文学青年の真似事を4年ばかり過ごした。
養成所の講師から、ある月刊誌の記事の取材、下書きを分けて貰い、
ノンフェクション・ライター気取りで取材し、指定された原稿用紙に綴り、
講師に手渡し、幾ばくかの金銭を受けたりしていた。
そして、ときおりシナリオとか小説の習作していた。
私は確固たる実力もないくせに、根拠のない自信があり、
感覚と感性は人一倍あると思いながら、独創性に優れていると勝手に思い込み、
独断と偏見の多い言動もしたりしてきた。
こうした中、純文学、中間小説の新人賞に幾たびか応募したが、
最終候補の6作品に選定されず、落胆をしたりしていた。
ある年のお彼岸の懇親の折、親戚の小父さんから、
『30過ぎから・・家族を養えるの・・』
と素朴に叱咤され、私は30代の頃を想像し、とても妻子を養う自信も失くし、
明日のみえない文学青年の真似事を断念した。
この後、大手の企業に中途入社する為に、
コンピュータの専門学校のソフト・コースに一年通った後、サラリーマンの一員となった。
私はこの地球に生を受けたひとりとして、私が亡くなる前まで、
何らかのかけらを残したい、と定年前から思索していた。
あたかも満天の星空の中で、片隅に少し煌(きらめ)く星のように、
と思ったりしたのである・・。
私はこれといって、恥ずかしながら特技はなく、
かといって定年後は安楽に過ごせれば良い、といった楽観にもなれず、
いろいろと消却した末、言葉による表現を思案したのである。
文藝の世界は、短歌、俳句、詩、小説、随筆、評論などの分野があるが、
私は無念ながら歌を詠(よ)む素養に乏しく、もとより小説、評論は体力も要するので、
せめて散文形式で随筆を綴れたら、と決意したのである。
私はブログのこのサイトに於いて、
今後も随筆らしき散文、或いはコラムを綴り、投稿文を重ねながら文章修行している。
私の最後の目標は、残り許される歳月は今としては不明であるが、文章格闘の果てに、
たとえば鎌倉前期の歌人のひとり鴨 長明が遺され随筆の『方丈記』があるが、
このような随筆のかけらが綴れれば、本望と思っている。
こうした中でも、何よりも想像力の感性、独創性ある文体が必要とされるので、
果たして・・と思いながら、年金生活の身過ぎ世過ぎの中、過ごしている。
・・】
このように投稿しているが、今回の【編集手帳】を拝読して、
恥ずかしながら漢字、ひらがなのバランスを配慮し、意識して綴ることは少なかった。
このように指摘されてみると、なるほどと了解はでき、
限りなく美しいに日本語の文体になるのだろう、と微苦笑させられた。
もとより私は投稿文のテーマを決めた上、
構成を考えて、言葉を紡(つむ)ぐのであるが、
的確に表現する言葉が脳裏から舞い降りてこなくて、文章修行が未熟なので、
苦心惨憺とすることも多いのである。
このような時、言霊(ことだま)に対して自己格闘が甘いのかしら、
と齢ばかり重ねた私は苦笑することが多く、
無念ながら今回の漢字とひらがらのバランスを配慮す余裕がない、というのが本心でもある。
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今朝、いつものように読売新聞の朝刊を読んだ後、何よりも魅了された記事は、
1面の総合面で定例箇所に定められた【編集手帳】であった・・。
この記事と同一なのが、
読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】にも掲載されて折、
無断であるが、この記事を転載させて頂く。
《・・
11月27日付 編集手帳
漢字が30%ほど含まれている文章は読みやすいという。
20%では締まりがなくなり、40%では幾らか硬い感じになると、
ジャーナリストの林邦夫さんが『「大漢和辞典」を読む』(紀田順一郎編、大修館書店)に書いている
“漢字率”30%と言われてもちょっと見当がつかないが、
三島由紀夫『潮騒』の書き出し部分がちょうどその比率とか。
書棚の新潮文庫版をひらくと、なるほど、活字の並んだ姿が心なしか美しく感じられなくもない
仮名という生地の上に浮き出た模様――漢字をそうたとえたのは作家の高田宏さんだが、
日本の活字文化とは漢字と仮名がつくりだす織物の美でもあるのだろう
29年ぶりに改定された常用漢字表が30日付の官報で内閣告示される。
追加された196文字には「鬱(うつ)」や語彙(ごい)の「彙」など画数の多い漢字も含まれている。
いわば刺(し)繍(しゅう)の新しい糸である。
学び、慣れていくなかで日本語の面白さや美しさに触れる中高生もいるだろう。
伝統の織物に親しむきっかけになればいい
蛇足ながら小欄458文字のうち、本日の漢字は162文字、35%、三島さんの芸当は真似(まね)できない。
(2010年11月27日01時35分 読売新聞)
・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。
私はこのサイトで、過ぎし今月の11月16日に於いて、
【 我が心の発露は、言霊(ことだま)の力を何よりも信愛し・・。】
と題して、投稿している。
【・・
私は東京郊外の調布市に住む年金生活7年生の66歳の身であり、
中小業の民間会社を2004(平成16)年の秋に定年退職して、まもない時にブログの世界を知った。
そして私は、ブログ、ブログに準じたサイトに加入して投稿をし初めて、
6年目となっている。
私は定年直後から年金生活を始めたのであるが、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことを表現する手段として、
写真に関しては高校時代に写真部で風景を専攻していたが、
やはり心の中の思いを発露するには、何より言葉の力を信じて投稿してきたのである。
古来、日本は人々の会話の伝達の時代が過ぎた後、
少なくとも飛鳥の時代から言葉を綴り, 日記、随筆、小説、詩、短歌、俳句、
川柳などは文字で表現してきたのである。
そして、その時代なりに数多くの人々により、
心を思いを満天の星空のように、数多くの遺(のこ)されて、現世に至っている。
私は確固たる根拠もないが、私なりの拙(つたな)い感性と感覚を頼りに、
随筆であるエッセイ風、そしてコラム風に綴ってみようと、投稿文としている。
その日に応じて、簡単に言葉を紡(つむ)ぐ時もあれば、
言葉がなかなか舞い降りてこなくて、苦心惨憺とすることも多いのである。
このような時、言霊(ことだま)に対して自己格闘が甘いのかしら、
或いは幼年期からの甘さの多い人生を過ごしてきたから、
このような拙(つたな)い文章を綴るしか表現が出来ない、
と深刻に考えたりすることがある。
このような時、私は文章を綴ったのは、少年期の何時頃であったのかしら、
そして、その後は・・と拙(つたな)い我が身を振りかえることがある。
私は1944(昭和19)年に、東京の郊外の農家の三男坊と生を受けた。
初めて文字を書いたのは、小学校に入学したからだった・・。
この頃は、私の住む村では幼稚園が出来たのは、私が小学校3年頃だったと思う。
私は最寄の託児所で2年ばかり通い、小学校に入学したが、
託児所は、文字などは教えることのない時代で、礼儀作法、お遊戯で過ごしていた。
小学校に入学すると、『こくご』の授業で初めて、文字を覚え、
真っ先にひらがなで、私の名前を升目の大きなノートに書いたりしていた。
そして、ひらがな、カナ字、そして漢字を学び、
3年生頃から『さくぶん』の授業で、今の時代で云うと粗雑な藁半紙(わらばんし)で書かされたのである。
この頃に家にある本と云えば、
農協の発刊する『家の光』ぐらい記憶していなかったので、
小学5年の時、近くに引っ越してきた都心に勤めるサラリーマンの宅に行った時に、
書棚に本が並んでいたを見たときは、
子供心でも眩暈(めまい)を感じたのである。
夏休みには、宿題として作文があったが、苦手な私は苦心惨憺で綴ったのは、
今でもほろ苦く覚えている。
私が都心にある高校に入学してから、
突然に読書に目覚めて、高校二年の夏に小説の真似事の原稿用紙に習作をした。
東京オリンピックの直前に、私は大学を中退し、
映画青年、文学青年の真似事を4年ばかり過ごした。
養成所の講師から、ある月刊誌の記事の取材、下書きを分けて貰い、
ノンフェクション・ライター気取りで取材し、指定された原稿用紙に綴り、
講師に手渡し、幾ばくかの金銭を受けたりしていた。
そして、ときおりシナリオとか小説の習作していた。
私は確固たる実力もないくせに、根拠のない自信があり、
感覚と感性は人一倍あると思いながら、独創性に優れていると勝手に思い込み、
独断と偏見の多い言動もしたりしてきた。
こうした中、純文学、中間小説の新人賞に幾たびか応募したが、
最終候補の6作品に選定されず、落胆をしたりしていた。
ある年のお彼岸の懇親の折、親戚の小父さんから、
『30過ぎから・・家族を養えるの・・』
と素朴に叱咤され、私は30代の頃を想像し、とても妻子を養う自信も失くし、
明日のみえない文学青年の真似事を断念した。
この後、大手の企業に中途入社する為に、
コンピュータの専門学校のソフト・コースに一年通った後、サラリーマンの一員となった。
私はこの地球に生を受けたひとりとして、私が亡くなる前まで、
何らかのかけらを残したい、と定年前から思索していた。
あたかも満天の星空の中で、片隅に少し煌(きらめ)く星のように、
と思ったりしたのである・・。
私はこれといって、恥ずかしながら特技はなく、
かといって定年後は安楽に過ごせれば良い、といった楽観にもなれず、
いろいろと消却した末、言葉による表現を思案したのである。
文藝の世界は、短歌、俳句、詩、小説、随筆、評論などの分野があるが、
私は無念ながら歌を詠(よ)む素養に乏しく、もとより小説、評論は体力も要するので、
せめて散文形式で随筆を綴れたら、と決意したのである。
私はブログのこのサイトに於いて、
今後も随筆らしき散文、或いはコラムを綴り、投稿文を重ねながら文章修行している。
私の最後の目標は、残り許される歳月は今としては不明であるが、文章格闘の果てに、
たとえば鎌倉前期の歌人のひとり鴨 長明が遺され随筆の『方丈記』があるが、
このような随筆のかけらが綴れれば、本望と思っている。
こうした中でも、何よりも想像力の感性、独創性ある文体が必要とされるので、
果たして・・と思いながら、年金生活の身過ぎ世過ぎの中、過ごしている。
・・】
このように投稿しているが、今回の【編集手帳】を拝読して、
恥ずかしながら漢字、ひらがなのバランスを配慮し、意識して綴ることは少なかった。
このように指摘されてみると、なるほどと了解はでき、
限りなく美しいに日本語の文体になるのだろう、と微苦笑させられた。
もとより私は投稿文のテーマを決めた上、
構成を考えて、言葉を紡(つむ)ぐのであるが、
的確に表現する言葉が脳裏から舞い降りてこなくて、文章修行が未熟なので、
苦心惨憺とすることも多いのである。
このような時、言霊(ことだま)に対して自己格闘が甘いのかしら、
と齢ばかり重ねた私は苦笑することが多く、
無念ながら今回の漢字とひらがらのバランスを配慮す余裕がない、というのが本心でもある。
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文字作文まったくの苦手で
昨今も独り言のような表現ばかり。
¬かっこをつけるように赤ペンで注意される
ことばかり。ふー