私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳の身であり.
今朝ぼんやりとカレンダーを眺めると、今日で『皐月』の5月が終りか、と思ったりした。
そして定年後の60歳を過ぎた頃から、歳月の流れが実に早い速く過ぎていく、と改めて実感させられた。
月初は大型連休の時節、新緑を深める中、そよ風は薫風となり、
こうした過ごしやすい時節は『皐月』と明記とされているが、
現在の40日ばかり遅れた旧暦に相応しい言葉なので、幼年期に農家の児として育った私は、
『花菖蒲』の5月だ、と勝手に命名したりした。
私はこの季節を迎えると、何かと気になるのは、
菖蒲(あやめ)、花菖蒲(はなしょうぶ)、そして杜若(かきつばた)の花である・・。
私の幼年期には、田んぼの外れに咲いていた花菖蒲を見て、
これこそ何よりも気品を秘めた高貴な花と思ったりしてきた。
しかしながら、20歳過ぎても、菖蒲、花菖蒲とよく間違えることがあった。
その後、秘かに菖蒲は乾燥地で育って、新芽が赤味を帯びているし、
花菖蒲は、やや水湿地に育ち、新芽が緑色と覚えたりした・・。
そして杜若は、水湿地に育ち、葉先が垂れている、と判断したりしている。
私の拙(つたな)い記憶によれば、
遠い昔、私が35歳の5月の下旬の頃、家内と明治神宮を散策している時、
小雨降る中の花菖蒲が最も深く心に残っている。
いつの日だったか忘れてしまったが、何かの本を読んでいた時、『花言葉』が掲載されていたので、
私は机の引き出しあるメモ帳代わりとなっているカレンダーに、
少しボケてきたので、書き込んだりしていた。
菖蒲は、よき便り、
花菖蒲は、優雅な心、
杜若は、幸運は必ず来る、
と明記されていたので、齢ばかり重ねた私でも、更に恵みの日々が訪れる月かしら、
と悦びながら解釈したりしている。
そして躑躅(ツツジ)、皐月(さつき)の花はもとより、
鉄線の優美な花、華やかな牡丹(ぼたん)の花や芍薬(しゃくやく)の花も愛(め)でる最良の到来、
と私は微笑んだりしてきた。
こうした中で、たまたま私たち夫婦は、
5月6日より初めて山里の越後湯沢に3泊4日で訪れたりした。
そして予期せぬ出来事は、付近の里山のアルプの里で、積雪の山なみを観たり、
周囲の小路も積雪が残り、散策する予定も大幅に変更させられたりした。
その後、山里の観光ホテル、旅館、リゾートホテルなどで滞在した旅行が多かった私たち夫婦は、
海の匂い潮の香りが恋しくなり、伊豆半島の東海岸の熱海から少し南下した網代(あじろ)温泉で、
露天風呂から海を観ることができる観光旅館に21日より4泊5日で滞在したりした。
この間は、庭の手入れをしたり、いつものように遊歩道を散策したりした。
そして18日の昼時に雷鳴と共に激しく雨が降り、そして5分ぐらい雹(ひょう)が降り、
その後の下旬も霰(あられ)がほんの数分降り、
この時季なのに、どうしてなの、と私は空を見上げた天上の気候の神々の采配に戸惑ったりした。
そして何よりも我が家の落葉樹の多い小庭を眺めることが多かった。
モミジ、花梨(カリン)、紫木蓮(シモクレン)等は、日増しに枝葉を伸ばし、
色合いも新緑から深緑に染めている。
こうした中で、根宿草の半夏生、或いは半化粧(ハンゲショウ)、唐糸草(カライトソウ)、
アメリカン芙容(フヨウ)、秋海棠(シュカイドウ)、
そして小判草(コバンソウ)、が芽を出して、日増しに成長しているので、
齢ばかり重ねた私は、微笑みながら見つめたりしている。
半化粧(ハンゲショウ)は、入梅の時節になると、上部の数葉は、白く化粧をほどこしたような色合いとなったり、
妖艶な姿、と私は思ったりし、
唐糸草(カライトソウ)は、初夏の頃になると淡いピンクの花となり、かぐわしい芳香となる。
、
アメリカン芙容(フヨウ)は、初夏から盛夏の頃に、純白、ピンク色の美麗な花を見せてくれている。
そして秋海棠(シュウカイドウ)は、夏の終りの頃から初秋に可憐な淡紅色の花が咲く。
そして群生させた稲穂に近い小判草(コバンソウ)の群生は、
微風を受けて、揺らいでいる情景に、思わず微笑んだりしてきた。
このように思い深い日々を過ごしたりし、
今日で愛惜ある『花菖蒲』の5月の日々にお別れか、と溜息を重ねながら思ったしている。
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今朝ぼんやりとカレンダーを眺めると、今日で『皐月』の5月が終りか、と思ったりした。
そして定年後の60歳を過ぎた頃から、歳月の流れが実に早い速く過ぎていく、と改めて実感させられた。
月初は大型連休の時節、新緑を深める中、そよ風は薫風となり、
こうした過ごしやすい時節は『皐月』と明記とされているが、
現在の40日ばかり遅れた旧暦に相応しい言葉なので、幼年期に農家の児として育った私は、
『花菖蒲』の5月だ、と勝手に命名したりした。
私はこの季節を迎えると、何かと気になるのは、
菖蒲(あやめ)、花菖蒲(はなしょうぶ)、そして杜若(かきつばた)の花である・・。
私の幼年期には、田んぼの外れに咲いていた花菖蒲を見て、
これこそ何よりも気品を秘めた高貴な花と思ったりしてきた。
しかしながら、20歳過ぎても、菖蒲、花菖蒲とよく間違えることがあった。
その後、秘かに菖蒲は乾燥地で育って、新芽が赤味を帯びているし、
花菖蒲は、やや水湿地に育ち、新芽が緑色と覚えたりした・・。
そして杜若は、水湿地に育ち、葉先が垂れている、と判断したりしている。
私の拙(つたな)い記憶によれば、
遠い昔、私が35歳の5月の下旬の頃、家内と明治神宮を散策している時、
小雨降る中の花菖蒲が最も深く心に残っている。
いつの日だったか忘れてしまったが、何かの本を読んでいた時、『花言葉』が掲載されていたので、
私は机の引き出しあるメモ帳代わりとなっているカレンダーに、
少しボケてきたので、書き込んだりしていた。
菖蒲は、よき便り、
花菖蒲は、優雅な心、
杜若は、幸運は必ず来る、
と明記されていたので、齢ばかり重ねた私でも、更に恵みの日々が訪れる月かしら、
と悦びながら解釈したりしている。
そして躑躅(ツツジ)、皐月(さつき)の花はもとより、
鉄線の優美な花、華やかな牡丹(ぼたん)の花や芍薬(しゃくやく)の花も愛(め)でる最良の到来、
と私は微笑んだりしてきた。
こうした中で、たまたま私たち夫婦は、
5月6日より初めて山里の越後湯沢に3泊4日で訪れたりした。
そして予期せぬ出来事は、付近の里山のアルプの里で、積雪の山なみを観たり、
周囲の小路も積雪が残り、散策する予定も大幅に変更させられたりした。
その後、山里の観光ホテル、旅館、リゾートホテルなどで滞在した旅行が多かった私たち夫婦は、
海の匂い潮の香りが恋しくなり、伊豆半島の東海岸の熱海から少し南下した網代(あじろ)温泉で、
露天風呂から海を観ることができる観光旅館に21日より4泊5日で滞在したりした。
この間は、庭の手入れをしたり、いつものように遊歩道を散策したりした。
そして18日の昼時に雷鳴と共に激しく雨が降り、そして5分ぐらい雹(ひょう)が降り、
その後の下旬も霰(あられ)がほんの数分降り、
この時季なのに、どうしてなの、と私は空を見上げた天上の気候の神々の采配に戸惑ったりした。
そして何よりも我が家の落葉樹の多い小庭を眺めることが多かった。
モミジ、花梨(カリン)、紫木蓮(シモクレン)等は、日増しに枝葉を伸ばし、
色合いも新緑から深緑に染めている。
こうした中で、根宿草の半夏生、或いは半化粧(ハンゲショウ)、唐糸草(カライトソウ)、
アメリカン芙容(フヨウ)、秋海棠(シュカイドウ)、
そして小判草(コバンソウ)、が芽を出して、日増しに成長しているので、
齢ばかり重ねた私は、微笑みながら見つめたりしている。
半化粧(ハンゲショウ)は、入梅の時節になると、上部の数葉は、白く化粧をほどこしたような色合いとなったり、
妖艶な姿、と私は思ったりし、
唐糸草(カライトソウ)は、初夏の頃になると淡いピンクの花となり、かぐわしい芳香となる。
、
アメリカン芙容(フヨウ)は、初夏から盛夏の頃に、純白、ピンク色の美麗な花を見せてくれている。
そして秋海棠(シュウカイドウ)は、夏の終りの頃から初秋に可憐な淡紅色の花が咲く。
そして群生させた稲穂に近い小判草(コバンソウ)の群生は、
微風を受けて、揺らいでいる情景に、思わず微笑んだりしてきた。
このように思い深い日々を過ごしたりし、
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