夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

『60歳代 高齢者にあらず』と学び、何よりも健康寿命こそが肝要、と確信を深めて。

2014-07-15 14:49:23 | 定年後の思い

私は東京郊外の調布市の片隅に住む年金生活の69歳の身であるが、
今朝、いつものように45年ばかり購読している読売新聞の朝刊を読んでいた・・。

そして1面に特集『日本2020 団塊の世代』の連載記事があり、
この特集は来たる東京オリンピックが開催される2020年に於いて、
この頃に想定される社会状況を団塊の世代を中核に、多岐な難題を思考した連載記事である。

本日の15日は第4回となり、見出しには、『60歳代 高齢者にあらず』として、大きく表示されていた。
そして男女別の平均寿命の推移表が掲載されて、2012年の平均寿命として、
女性は86.41歳、男性は79.94歳と明示されていた。
                   

私は平均寿命に関しては、あくまで平均であり、
私の現役サラリーマン時代の58歳の時に同僚の死去に接したり、
2004年に多々の理由で年金生活を始めて数年過ぎる中、先輩、同僚だった人たちの死去を知り、
余りにも若き60代なのに、と戸惑いながら、ご冥福を祈ったりしながらお通夜に参列したりした。

或いは私の住む近所には、90代の御夫婦がいて、ときおりお逢いした時は、
私は挨拶を交わしたりしている。

こうした体験をしてきたので、私は平均寿命については、
その年に生まれた子供が平均で何歳まで生きるかを予測した数値であり、
たとえ長寿世界一になっても、人それぞれの平均値である。

私は平均寿命よりは、何よりも健康寿命こそが肝要であると、深く確信しているひとりである。
          
               
もとより健康寿命は、心身ともに自立し、健康的に生活できる期間、と世界保健機関が提唱して以来、
いかに健康に生活できる期間を伸ばすかに、ここ10数年関心が高まっている状況となっている。

悩ましきは平均寿命と健康寿命との差てあり、衰弱・病気・痴呆などによる介護期間であり、
もとより日常生活に制約される苦汁の期間となる。

ここ5年でも厚生労働省の調査に於いて、たとえば、
《・・平成22年において、この差は男性9.13年、女性12.68年・・
今後、平均寿命が延びるにつれてこの差が拡大すれば、健康上の問題だけではなく、
医療費や介護費の増加による家計へのさらなる影響も懸念されます。
健康に配慮する一方で、こうした期間に対する備えも重要になります・・》と私は学んだりしてきた。

               
このような心情を秘めてきた私は、今回の『日本2020 団塊の世代』の第4回の記事に於いて、
後半の記事に注視させられたのである。
          

読売新聞の社会部・大重真弓、政治部・天野雄介の両氏に寄る綴られた記事であるが、
後半の記事を無断ながら、転記させて頂く。
《・・埼玉県は2012年度から健康長寿プロジェクトを実施する。
この一環として東松山市は中高年を主な対象として、「毎日1万歩運動」に取り組む。
市が歩数計を貸与し、参加者は歩数を記録する。

2013年度の参加者60人について分析したところ、平均年齢は67.4歳で、
一人当たりの年間医療費は同じ世代に比べて、5万7918円少なかった。
・・(略)・・
参加した男性のひとり(66歳)は、「団塊世代が健康に過ごせば医療費も下がる」と言い切る。

政府は、今月下旬に閣議決定する「健康・医療戦略」で、
自立して日常生活を送れる「健康寿命」を、2020年までに一年以上延ばす目標を掲げる。
医療や介護が必要な人を減らすことになり、社会保障費の抑制につなげたい考えだ。

健康長寿は男性70.42歳、女性73.62歳(2010年現在)。
これをどれだけ延ばせるか。
超高齢社会でも安定した社会保障制度を築けるかどうかがかかってる。》
          

このような記事であったが、微苦笑させられたりした。

私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
私より5歳若い家内も、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

こうした中で、私は今年の9月の誕生日を迎えると古希と称される70歳となり、
家内も12月の誕生日を迎えると65歳となり、介護保険証を受ける身となっている。

私は男性の健康長寿は70.42歳と知り、まもなく私も迎えることになるので、
微苦笑させられたりしたのであった。
          

私は民間会社の中小業に35年近く勤め2004(平成16)年の秋に定年退職した後、
私の半生は屈折の多い人生だったので、せめて残された人生は・・と思いながら
直ちに年金生活にを始めた。

そして自主的に日常の買物担当となり、殆ど毎日のように独りでスーパーなどに行ったりしている。
こうした時に、住宅街の中の道を歩いたりし、
その後は川沿いの遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。
          
              
私は定年の5年前に、定年後の60代の10年間だけは五体満足に生かしてくれ、
その後の70代以降の残された歳月は、余生であると漠然ながらと思ったりしてきた。

もとより高齢者の方は齢を重ねれば、認知症、痴呆症、寝たきりなどの確立は増すし、
私自身は衰えた体力で日常生活のふるまいの中で、確かな言葉を発言しているうちに、
いつの日にかポックリと死ねたらと念願している。

まして自身が意識なく植物人間のようになって、
生き続けるぐらい当人はもとより、家族の人たちまでが不幸であると思っている。

そして私は寝たきりになった場合は、三ヶ月過ぎたら、
意識のあるうちに自殺と称せられる自裁を決意しているひとりである。

このような私自身の人生の中の健康に対する思い、そして死生観の思考があるが、
昨今の会社時代の懇親会などで、
こうした思いを少し上の先輩の方、同僚たちに一部を発言すると、
困惑する方、或いは嫌な顔をされる方がいて、私は世間からかけ離れているのかしら、と思ったりしてきた・・。
                                   

このような私なりの深い思い根底にあったが、
偶然に2010年8月下旬の頃に、帯津良一(おびつ・りょういち)氏の雑誌での発言が、
新聞の出版広告で偶然に読み、
この雑誌が女性専用誌の『婦人公論』と知り、私は買い求めて精読した。

この医学博士で病院長の帯津良一(おびつ・りょういち)氏の発言された概要を記載させて頂く。
《・・(略)・・私の理想は、「達者でポックリ」逝くことです。
死ぬ直前まで自分の足で歩き、自分の口で食べ、自分の頭で考えることができる。
「寝たきり」とは180度対照的な死に方が、「達者でポックリ」だと言えるでしょう。
・・
人生は生老病死ーーつまり死も含めて、丸ごと自分の人生なのだから、
「死に時」も「死に方」も自分らしくありたいという考えが基本です。
          

「いたずらに死を恐れるあまり不要に長生きしても意味がない」と考えるようになったのは、
このホリスティック医学の考え方に共鳴し、
その理念に基づいて自らの病院を設立した40半ば以降です。
・・
私もブラッと飲みに行けなくなったら、そろそろ「死に時」ですかねぇ(笑)。
理想は、下町の小料理店に出向き、さぁ、今日は何をツマミに飲もうかなとワクワクして暖簾をくぐっているときに、
心筋梗塞でバタッと倒れるなんていうのがいいですね。

年齢に関していえば、80歳くらいまで生きれば十分ではないですか。
もちろん、肉体面でも精神面でも人それぞれ個人差がありますから一概には言えません。

しかし、自力で自由に動けるのはせいぜい80代まででしょう。
90代になると、何かしら衰え、欠けてくる。
いくら頭がしっかりとしている人でも、足腰が立たなくなったり、その逆のケースも起こります。

ましてや100歳なんて、どんな人でもポンコツになっているはずですよ(笑)。
おめでたいと言うけれど、100歳以上は、やはり「生き過ぎ」だと私は思います。

これとこれができなくなったら、自分はそろそろ「死に時」かもしれない。
その線引きは人それぞれですし、それがわかれば、
「生きているうちにこれだけはやり遂げておこう」という人生のテーマも見えてくる。

つまり、自分にとってベストな「死に時」を考えことは、
今、生きているこの時間を最大限に充実させて生きていくことにもつながるのである。(略)・・》

このような秘伝を、この後に6つばかり披露して下さったのである。
          
そして私は、今後の確かな晩年期の導きの御人にめぐり逢えた、深く感じて、
これ以降、氏に注視して、信愛を重ねている。

こうした中で2011年〈平成23年〉の秋に、
帯津良一・著作の『楽々往生 ~老いを輝かせる12の心得』(ベスト新書)を読んだりした。
             
               
この本の帯に明記されている『楽々往生のための心得』として、
《 ◎いくつになっても、ときめきをもつ
  ◎「定年」で終わりにしない
  ◎ひとりを愉しむ
  ◎自分なりの「養成法」をもつ
  ◎敗れることも必ず想定に入れる
  ◎できるだけ身軽でいる 》
このように記載されていることを私は格言としている。
(意味合いが想像して、ご理解できない方は、この本をお読みください。)
             
         
私の家の最寄駅としては、京王線の場合は、『つつじが丘』、『仙川』の両駅は徒歩15分であり、
小田急線の場合は、『喜多見』、『狛江』の両駅は徒歩20分となり、
この京王線と小田急線にサンドイッチされたかのような辺鄙(へんぴ)な地域に住んでいる。

いずれも路線バスの利便性は良いが、年金生活を始めてから原則として散歩も兼ねて、
路線バスを利用することなく、ひたすら歩いたりして、季節のうつろいを享受している。
          

こうした根底には、歩きながら観える景観に良いし、
四季折々の季節のうつろいに心も身もゆだねて、何よりも健康にもよい、と固く信じてして歩いてきた。
何よりも歩けなくなった時は、もとより自由な時が制約され、何よりも困苦するのは自身だ、
と秘めながら日々歩いている。

☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪
にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へにほんブログ村
人気ブログランキングへ


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ネットは友達のひとり、ブロ... | トップ | ブログ通信簿、女性39歳と... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

定年後の思い」カテゴリの最新記事