私は民間会社の中小業のサラリーマンを卒業した年金生活の70歳の男性の身であるが、
今朝ぼんやりとカレンダーを眺めると、『大暑(たいしょ)』と明記されていた。
もとより暑さが最も厳しくなる時節、と古人から伝言されているが、
私の住む東京の調布市の片隅の地域は、6日ぶりの小雨が降り、微苦笑させられた。
午前中のひととき、いつものように平素の買物専任者の私は、
最寄りのスーパーに傘を差しながら歩いて往還した。
この後、定例の散策を取りやめて、自宅の小庭に降る雨を眺めたりした。
やがてパソコンを開き、トップページにしている【YAHOO! JAPAN】の中のひとつの『雑誌』コーナーを
ぼんやりと見たりしていた・・。
そして【1時間1000円で“おっさん”を貸りる!? 「おっさんレンタル」を体験】
と見出しを見て、どういうことなのょ、
と好奇心が満ち溢れてしまい、クリックした。
そして女性専用誌の名高い『日経ウーマン』が、ネットの『日経ウーマンオンライン』に配信された記事と知り、
私はためらったりした・・。
しかしながら興味のあることは、過ぎし年にシンガーソングライターの中島みゆきさんのインタビュー記事が、
女性専用月刊誌に掲載を知り、恥ずかしながら購読してきた体験のある私は、
こっそりと「おっさんレンタル」を知りたくて、記事を精読してしまった・・。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150723-00210124-woman-life&p=1
☆【YAHOO! JAPAN】==>『雑誌』
==>『日経ウーマンオンライン』7月23日・配信
==>【1時間1000円で“おっさん”を貸りる!? 「おっさんレンタル」を体験】☆
私は東京オリンピックが開催された1964年〈昭和39年〉の秋に大学を中退して、
映画・文學青年の真似事を奮戦したりしたが、あえなく敗退した。
そして、やむなくサラリーマンに転身し、何とか大企業に中途入社する為に、
コンピュータの専門学校に一年ばかりソフトコースの学科を専攻して学び、
この後、知人のご尽力もあり、この当時としては、ある大手の音響・映像メーカーの会社に、
何とか中途入社できたのは1970年〈昭和45〉年の春であった。
そして、この頃の私の根底には、ハード製品のテレビ、ステレオ、ラジオなどの事業本部より、
ソフト商品の方が波長に合う、同じ働くなら音楽事業本部の方が何かと創作などにも刺激があると思い、
面接を3回した中で無理難題を申しあげて、配属された。
私は音楽事業本部の仮正社員となり、ともかく現場を学べと指示されて、工場にある商品部に配属となった。
この当時の音楽事業本部は、レコード市場に於いて、圧倒的な首位の座のメーカーであった。
私は入社早々、商品部の商品センター働き始め、 数ヶ月した頃、
この中のひとつの大きなレーベルがレコード会社と新設され、
私も新たな外資系のレコード会社に転籍の辞令を受けたりした。
もとよりレコード会社の各社は中小業であり、苦楽の大波、小波をまともに受けたし、
やがて定年の5年前にリストラ烈風の中、出向となったりした。
そして音楽業界に35年近く勤めて、2004年〈平成16年〉の秋に定年退職となった。
こうした中で、私は裏方の管理系の情報、経理、商品など分野で奮戦する中で、
私は母の遺伝を素直に受け継いだ為か、男の癖におしゃべりで、
明るく大きな声で職場で、同じ働くなら楽しく仕事をしましょう、と私は周囲に言ったりして、奮闘したりした。
或いはリストラ烈風の中、出向時代は、
出向先は各レコード会社がCD、DVDなど音楽商品を委託している物流会社であった。
私の場合は物流会社の中のひとつの商品センターに出向であり、
職場はセンター長をはじめとする私を含めて正社員の5名の中、
若手の20代を中核とした男性の契約社員、アルバイトの10名前後、
そして30代と40代の多い女性のパートの120名前後の職場であった。
こうした中、業務の合間とか懇親会で、女性のパート方たちと、談笑したりしてきた。
或いは私の兄ふたり妹ふたりで、サンドイッチのように挟まりながら育ってきたこともある上、
何かと女性に小学一年生の頃から、憧憬した為か、
男性には厳しくても、女性にやさしく接する習性がある。
定年後は多々の理由で年金生活を始めて、何かと家内と談笑したり、
ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑したりしている。
或いは、好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまったりしている。
こうした中で、働いて下さる若き女性に関しての問題は、
上野千鶴子さん著作・『女たちサバイバル作戦』(文春新書、2013年)で、
多々教示された。
雇用機会均等法から約30年が過ぎ。日本の働く女性は、幸せになったか?、
という主旨で、総合職、一般職、派遣社員まで、
追い詰められても、手にとりあえにい女たちの実態を克明に描かれている。
こうした中で、《・・今の日本のワーキングマザーは、いわゆるマミートラック(お母さん向けコース)に乗せられ、
二流の仕事しか与えられないか、
男と“機会均等”に戦って体がボロボロになるかの二択しか用意されていない・・》
こうした実態を私は深く学んだりしてきた。
今回の「おっさんレンタル」に関しては、社会情勢の働く厳しい状況下、
ときには年配の人生経験が豊富な男性に、《一期一会の機会であればこそ・・》、
悩みの相談など、安易に求めることのできる「おっさんレンタル」の風潮に、私は理解できる。
私も恥ずかしながらサラリーマン時代に、職場の若き女性から、
相談のようなことを言われたりしてきた・・。
ただ、その女性の働く状況の軌跡を知っていたし、家族背景を少し知ってきたので、
真摯にアドバイスらしき事が私は言えたりした。
そして「おっさんレンタル」は、どのような人生航路を歩んできたか未知の女性には、
何かと中小業で多事多難を体験させられた私でも、対価がなくとも、
安易に答えられない私なので、私は「おっさんレンタル」には、なれないなぁ、と微苦笑させられたりした。
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コンピュータの専門学校に一年ばかりソフトコースの学科を専攻して学び、
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ソフト商品の方が波長に合う、同じ働くなら音楽事業本部の方が何かと創作などにも刺激があると思い、
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この当時の音楽事業本部は、レコード市場に於いて、圧倒的な首位の座のメーカーであった。
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出向先は各レコード会社がCD、DVDなど音楽商品を委託している物流会社であった。
私の場合は物流会社の中のひとつの商品センターに出向であり、
職場はセンター長をはじめとする私を含めて正社員の5名の中、
若手の20代を中核とした男性の契約社員、アルバイトの10名前後、
そして30代と40代の多い女性のパートの120名前後の職場であった。
こうした中、業務の合間とか懇親会で、女性のパート方たちと、談笑したりしてきた。
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多々教示された。
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