「茅」の単一相にも見えますけれどね^^;
小正月の行事として行われる「さいと焼き」…以前は、集落の子ども育成会行事として行われて来ましたが、農家のお父さんも居なくなりまして、いつの間にか集落行事として、役員が「茅」を刈り集めて準備をし、子どもたちが「お札」を集めるという役割分担が出来上がりました。『おやじぃ』が育成会長だった頃までは準備できたのだけれど、さて、来年以降は、また農家の集落役員が居なくなるという事実…結局のところ『歴史は繰り返す?』…今では、宗教的な意味合いは薄れているから、伝統行事・イベントとして残すか、面倒くさい・出来ないからと止めるか、またぞろ、同じことが繰り返されそうである。
イベントは、手ぶらで参加するのは楽しいが、準備係は『かったるい』…子どもたちの歓声を楽しみに替えるか、お年寄りを楽しませるか、そうした自分の内なる『喜び』を燃料に替えないと続かない。『おやじぃ』とて、この3年間のコロナ禍で、地域行事がことごとく中止され、集落のイベントを段取りするまで、腰を上げるのが億劫になってしまいました。基本、自分が楽しむことが重要であり、『やらされ仕事』では続くはずもない。今、「続けるか、止めるか?」という『民主的な』多数決を取ったなら、「止めたら良いんじゃない。」という意見にまとまりそうな雰囲気でありますよ(笑)
さて、重い腰を上げて、修理したはずの「草刈り機」のエンジンを掛けたら吹け上がらない…まったく、所有者の『エンジン』が掛からないように、「草刈り機」まで腰が重く、購入したはずの混合油を一旦捨てて、『おやじぃ』特製の『いい加減混合油』に替えてみたら何とか動き出した。イベントの継続も機械の不調も『いい加減』…いやいや『良い加減』なところで進めるのが得策なのかと言葉遊びで思いを伝えますよ(笑)
『なべ焼きうどん』に依存性はある?
はて、飽きて来たと言っているのに、2日程間を置くとまた食べている『なべ焼きうどん』…お昼からお仕事で、外で食べようと思っていたから、麺類をチョイスしなくて良かったと胸を撫で下ろす^^;
以前は、河川敷で草混じりの「茅」を刈り集めていたのだけれど、住宅地近くの『田んぼ』は、放置された結果、立派な『茅苅場』に変ってしまいましたよ。「茅」は根を張り、大きな株を作っていくから、次第に他の植物を寄せ付けなくなるようであります。「茅」を集める立場からすると実に楽でありますが、乾燥して火なんぞ着いたら、住宅も傍にあるから怖いわなぁ…。生物学に言う「群集」ならば、一定の地域に、有機的なつながりをもって集まる生物の集合体ということになるのでありますが、『茅苅場』は「単一相」と言えるような状態。(かといって、他の植物や動物が一切いないという訳でもない。)いつの間にやら、『異を唱えるモノ』を『優占種』が排除した結果にも思える。
はてさて、韓国・梨泰院の『雑踏事故』(転倒事故、群集事故など、メディアも原因が確定出来ていないから様々な表現のようである。)…多くの若者たちが尊い命を落としたことに『おやじぃ』も心を痛めております。身動きが取れなくなるような群集…「単一相」になってしまった『茅苅場』を前にしてまた思う。密集した「茅」でさえ、風が吹けば右・左へとなびくこともできるのにねぇ…。『若者たちのバカ騒ぎ』と大人が切って捨てることは簡単ではあるけれど、それを語る大人たちだって、身動き出来ないような、居心地の悪い隙間のない社会で生きているんじゃないかなんてね…。茅を刈るには「単一相」は楽ちんだけれど、一旦、火が着いたら危険極まりない。色々あってそれでいい…若者たちのご冥福をお祈りいたします。