峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

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僕らの敬老祝賀会

2008年10月13日 | 町内会長
昨日は敬老祝賀会の準備のため朝7時から集会所へ出向く。
午前9時、来週の大綱引きに備え練習。副会長が仕事先から手に入れてきたロープを使い、副会長の会社の敷地で、会社のユンボを使っての練習だ。いいのかな?って時々、副会長に訊くが?…。まぁ、企業が地域社会に貢献するってのは意義あることで、センスのいい企業であり、社員であることには間違いない。

この朝、集まることができたのはわずか8人だったが、毎年出ている反省点を踏まえたいい練習ができた。時間がないので登録選手30名全員に周知徹底させるのは難しいが、土曜日にもう1度練習の機会を設けることにしてこの日は解散。帰り道も皆が綱を引く姿勢やタイミングなどについて熱っぽく話していた。盛り上がってきている。

一汗流して集会所に戻ると午前10時。料理作りに女性のみなさんが集まって来られた。女房どのもエプロン姿でかけつけてくれた。
会場の設営をしなければならないが、受付用の出席者名簿作りその他、いくつか詰めなければならない作業がまだ残っていたので後を副会長に任せ、いったん帰宅することに。

11時45分、ようやく準備万端整い、ワイシャツに、めったにすることのないネクタイを締め、スーツを着、書類にラジカセ、それに歌本、ウクレレ、譜面立て等を抱え会場に駆け付ける。
ご高齢者がすでに6人いらっしゃっているとこの日の受付を頼んでいた女房どのが心配して途中まで迎えに来てくれた。名簿を渡し、チェックを頼む。

副会長とこの日の進行をざっと打ち合わせる。町内会活動・行事の司会・進行は副会長がやってくれる。最近は自他共に認める阿吽【あうん】の呼吸だ。

11時55分、関町長と川副町議会議長が到着。玄関まで出迎えに出る。挨拶を交わす。11時まで眠っていたと関町長、8日・9日は御くだりと御のぼりでかなりの距離を歩いておられる。疲れておられたのだろう。

間もなく正午、副会長の司会で我らが西町町内会の敬老祝賀会は始まった。
先ずは開会に当たっての私の挨拶、次に町長と町議会議長に続けてお祝いのお言葉をいただく。続いて、平島さんの祝舞。それから、75歳以上の方々にお一人おひとり、お祝いの品をお渡しする。
それが終わった後、元町内会長の下利さんにご発声をいただき「乾杯!」。

和やかに歓談が始まる。
町長・議長のお相手をしばらくさせていただいた後、ご高齢者のお一人おひとりにお祝いの言葉をかけさせていただいたが、ずいぶんビールを飲まされる。
宴たけなわとなった頃、下村さんの相撲甚句が始まった。とにかく上手い・渋い。しびれる声であり、しびれる節回しなのだ。
やがて私にもお声がかかる。歌ったのは昨夜、女房どのに「それにしたら」と言われた加藤和彦と北山修の「あの素晴しい愛をもう一度」をウクレレで歌う。アンコールがかかり、副会長のリクエストで加山雄三の「旅人よ」を。
その後、92歳になられる伊藤さんが「お池の噴水」など2曲。関町長の音頭で童謡「ふるさと」などなど、それはそれは楽しい時間が流れた。

午後2時半頃中締め、そこでご高齢者のみなさんをお送りしする。その後、女性のみなさんにざっと片付けていただき、副会長・氏子総代・何かとお手伝いいただいている森山さんの4人で杯を傾ける。

午後5時頃だったかお開きにし、後片付けを4人で行い6時頃帰宅。
シャワーを浴び、ごろんと横になったまま翌朝までぐっすり眠った。

きょうも朝から集会所に出向き、昨日の後片付けに精を出す。その後、昨日出席いただけなかった75歳以上のみなさん方にお祝いの品をお届けにあがる。
顔を出した先で火災報知機の取り付けを頼まれたり、世間話をしたりして正午に帰宅。食後、横になって出雲駅伝を見始めたが、すぐに眠ってしまっていた。
3時頃目を覚まし、再び集会所に出向く。開け放しておいた窓を閉め、食器を棚にしまい、乾かしていた布巾・雑巾、モップ等を取り込み、リサイクルごみを分別して倉庫に保管し帰宅。
夜の7時になり、昼間お留守だったご高齢者のお宅を再び訪問し、すべてのお祝い品をお届けすることができた。

今年も、無事に敬老祝賀会を終えることができた。きょう町内会を回っていて、何人かの方に「楽しかった!」とお声をかけていただいた。「お世話様でした」とねぎらいの言葉をかけていただいた。みなさんが楽しんでおいでのようだったが、私も本当に楽しかった。

さぁ、来週の日曜日は大綱引き大会だ。頑張ろうっと。
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