裏庭のハナミズキの紅葉が次第にその度を増している。それは、ヤマボウシもそうだが息を呑むほどの赤色に変化する。ハゼの紅葉も美しいが、その赤色とはまた異なる美しさがある。
このところ、和室の前の山茶花【さざんか】が次々と愛らしいピンクの蕾をほころばせている。
一方、果樹園の一角に古くから自生しているチャノキとおぼしき樹木も、いつの間にか素朴な花をそっと咲かせていた。
この写真はムカゴだ。この時期、いろんな樹木にヤマイモノつるが伸びてからまりムカゴをつけている。それを庭仕事しながら口に入れる。食感も味もヤマイモそのものだ。
今朝、回覧の部数が1部足りないとご連絡をいただいていた9班の班長さん宅へ、それをお届けした際、来月に催す町内会文化祭の話になった。
いろいろお話しているうち、これまで趣味で作ってこられたアートフラワーやトールペインティングの作品などを見せていただくことになり、出展していただくことになった。
7年前、民生児童委員の役割を担うようになったのを皮切りに、思いもかけず地域の中でたくさんのさまざまな人たちと関わる毎日を過ごすこととなった。
10年前、今の私の在りようをいったい誰が想像できただろう。当の私自身が驚くほどだ。
その頃の私は、物言えば唇寒しというような思いが次第に募ってきており、家族やほんの一部の気の合う者としか交わることは無かった。自覚的に極めて閉鎖的で内向きな志向にあった。
それでも、そんな私を変える契機になったのが、私のような者でも必要とされる役割があるのであれば、喜んでそれを担おうとする意識だった。今思えば、そこに働きかけてもらえるのを待っていたのかもしれない。
だから、私に民生児童委員をとお声をかけてくださった前町内会長の植杉さんには感謝している。何せ、それまで町内会でどんな役もしたことが無かった。町内会のことは全部、女房どのに任せていた。
植杉さんに「よく私みたいな者に声をかけられましたね。植杉さんでなければ、私みたいな者に声をかける人はいなかったはずです」とその後、何度となく話をしている。
しかし、本当に私が変わったのか。それは、私自身にも分からない。
ただ、どんなに忙しいときでも、身体が疲れているときでも、無性に庭仕事をしたくなるときがある。樹木や草花の中にたった一人、身を置くことで精神のバランスを保とうとする無意識が働いているのは感じる。
このところ、和室の前の山茶花【さざんか】が次々と愛らしいピンクの蕾をほころばせている。
一方、果樹園の一角に古くから自生しているチャノキとおぼしき樹木も、いつの間にか素朴な花をそっと咲かせていた。
この写真はムカゴだ。この時期、いろんな樹木にヤマイモノつるが伸びてからまりムカゴをつけている。それを庭仕事しながら口に入れる。食感も味もヤマイモそのものだ。
今朝、回覧の部数が1部足りないとご連絡をいただいていた9班の班長さん宅へ、それをお届けした際、来月に催す町内会文化祭の話になった。
いろいろお話しているうち、これまで趣味で作ってこられたアートフラワーやトールペインティングの作品などを見せていただくことになり、出展していただくことになった。
7年前、民生児童委員の役割を担うようになったのを皮切りに、思いもかけず地域の中でたくさんのさまざまな人たちと関わる毎日を過ごすこととなった。
10年前、今の私の在りようをいったい誰が想像できただろう。当の私自身が驚くほどだ。
その頃の私は、物言えば唇寒しというような思いが次第に募ってきており、家族やほんの一部の気の合う者としか交わることは無かった。自覚的に極めて閉鎖的で内向きな志向にあった。
それでも、そんな私を変える契機になったのが、私のような者でも必要とされる役割があるのであれば、喜んでそれを担おうとする意識だった。今思えば、そこに働きかけてもらえるのを待っていたのかもしれない。
だから、私に民生児童委員をとお声をかけてくださった前町内会長の植杉さんには感謝している。何せ、それまで町内会でどんな役もしたことが無かった。町内会のことは全部、女房どのに任せていた。
植杉さんに「よく私みたいな者に声をかけられましたね。植杉さんでなければ、私みたいな者に声をかける人はいなかったはずです」とその後、何度となく話をしている。
しかし、本当に私が変わったのか。それは、私自身にも分からない。
ただ、どんなに忙しいときでも、身体が疲れているときでも、無性に庭仕事をしたくなるときがある。樹木や草花の中にたった一人、身を置くことで精神のバランスを保とうとする無意識が働いているのは感じる。