峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

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町内会の旅行

2015年06月18日 | 町内会長

昨日は、町内会の「のんびり温泉・日帰りバスの旅」で、佐世保市「西海橋」近くの「西海橋コラソンホテル」へ18名の参加者をお連れした。
早いもので、この行事も10回目を数える。つまり、私が町内会長になったその年から始めたことになる。当町内会からバスで1時間前後で行ける温泉施設を訪ね、温泉と美味しい会席料理を楽しんでいただこうという趣旨で始めたものだ。

今回は、ひょんなご縁から営業担当の方とお近づきになり、初めて町内会でこのホテルを利用させていただくことになった。
午前9時に町内会を出発。先ず針尾の「旧佐世保無線電信所(針尾送信所)」を訪れた。
案内によると、この施設は旧日本海軍によって1918年から1922年にかけて作られた送信施設で、日露戦争を契機に無線連絡体制の強化が必要となり、総工費155万円(現在の50億円相当)を費やして建設されたそうだ。
後の太平洋戦争の開戦を告げた「ニイタカヤマノボレ1208」は、ここから送信されたと伝えられている。

昨年、国の重要文化財の指定をうけたばかりだそうで、これまで手を入れられることもなく、3基の無線塔始め、その中心に位置するツタに覆われ立ち入り禁止となっている電信室など、いかにも負の遺産らしくひっそりとした佇まいだった。

11時にホテル到着。温泉を楽しんだ後、正午からはお待ちかねの昼食だ。往きの車中から続くお喋りはとどまるところを知らない。
午後1時半にはホテルを後にし、帰途につく前に西海橋そばの「魚魚(とと)市場」へ寄る。ここのたい焼きが評判ということで、みなさんお一人で10個、20個と買い求めておられた。

帰途につく頃には雨が落ちてきたが、車中は晴れ。西町に帰って来るまで賑やかな声が車中に響いていた。

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東京へ その2

2015年06月18日 | 夫婦

チェックインを済ませ、いったん部屋に入り荷物を置いた後、後楽園ホールへ向かうことにした。
女房どのが駅まで送ってくれるというので駅までの道を一緒に歩いた。ホテルから錦糸町駅までの2、3分の間に飲食店が数多く並んでいる。昼食をとっていなかったことから少し空腹を覚えてきている頃だった。時間が時間だっただけに夜の食事のことも考え、軽く麺類でもと女房どのと話しながら歩いているうち、いかにもといった雰囲気のラーメン屋を見つけ暖簾をくぐることにした。

空腹を満たし店を出て駅前の広場まで来ると、若いパフォーマーが数脚の椅子を組み合わせた上に倒立したり、空中高く放り上げた輪っかをロープで受け止めたりといった曲芸を披露していた。
このような場面に遭遇すると、よほど急ぎの用がない限り私の足は自然と止まる。この時も、数少ない観客の半円の輪に加わり彼のパフォーマンスを楽しんだ。

彼らのような路上パフォーマーに共通していて、それはやめておいた方がいいんじゃないかなと思うことが1つある。拍手の強要だ。彼らは、なんだかんだと言って拍手を求める。また、拍手の音が小さいと言っては、繰り返し強い拍手を要求する。そんなに求められなくともいい演技には自ずと手は打ち合わせられる。むしろ、強要されればされるほど高まった気分は急降下する。私が天の邪鬼なせいだからだろうか。
せっかくのパフォーマンスにも、やがていたたまれなくなり輪から離れた。

やがて、女房どのとは改札口で別れ、ひとりJR錦糸町駅から総武線の電車に乗った。

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