峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

since 2005

災いを転じて

2016年01月29日 | 家族

26日・火曜日になっても依然として九州道・長崎道・西九州道のそれぞれ一部が通行止めのままだった。高速道を通れる区間と一般道とをつないで帰ろうかとも思ったが、帰宅出来ないのを好機と捉え、子供たちが現在の生活の拠点としている場所で今を語り合うことにしようと思い直した。くるみさんと連絡を取り、この日は馬出のくるみさん宅に泊まることにした。災いを転じて福となすだ。塾生にはグループラインでその旨伝える。

午前7時半頃、2人の天使を彼女らのお父さんが保育園に送って行くのと同時にひびきのの家を発った。保育園で彼らと別れ、園の近くの「コメダ珈琲店」でしばしゆっくりと過ごした後、一路、馬出へと愛車159で国道3号線を走った。

午前11時過ぎ、大学に到着。少し早めのランチタイムを申し出て、研究室から出て来たくるみさんを拾い「筥崎とろろ」にて3人で昼食をとる。古い町屋を、ほとんどそのまま使っている趣のある料理屋だった。
  

その後、くるみさんは研究室へ戻り、女房どのと私は寝具を求めに近くの「ニトリ」へ向かう。
時々、くるみさんの部屋に夫婦で泊まることがあるが、その都度寝具は自宅から持参している。今回は急なことで「ニトリ」に助けられた。

いつもは、外に出て飲むのだが、この夜は全豪オープンの錦織対ジョコビッチ戦、そしてリオ五輪出場をかけてのサッカーU23・日本対イラク戦のテレビ放映があり、くるみさんの部屋で応援しながら夕食をとることにして近くの「ゆめタウン」で食料品とビール・ワインを買い込み、帰宅した。

全豪オープンが始まる頃、くるみさんが研究室から帰って来た。
錦織対ジョコビッチ戦の後、くるみさんと飲みながらあれこれ語り合った。特に、進路について意外な考えを持っていることを話してくれた。思うように進めばいい。女房どのと私の夢も話した。

サッカーが始まる頃、くるみさんは、今日中に仕上げなければならないことがあるからと隣室へと向かった。私の方はというと、もちろん1人で延長戦へと突入していったのだった。

コメント
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