有紀さん・くるみさん 午前10時から正午まで佐々町公民館将棋教室の手伝い
昼食後、2時半から5時半まで佐世保市北地区公民館・秀楽で将棋を指す
先週から秀楽先生がグローブを持ってきておられ 隣接するグラウンドで子どもたちがキャッチボールするようになった
有紀さんも くるみさんも喜んでやっていた
2003年5月24日(土)記
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過去の記述と現在の表記を昨日までと前後逆にしました。戸惑われた方がいらしゃったら相済みません。
かつて、学校が土曜日半ドンの時代があった。それが休日へと移行になった際、町教育委員会の意向を受け、土曜日の午前中に将棋教室を開いたことがあった。
講師に将棋教室「秀楽」主宰の松山さんをお願いし、有紀さんとくるみさんにも手伝いを頼んだ。ガソリン代も出ない全くのボランティアだったが、松山さんには快くお引き受けいただき、毎週土曜日午前中、佐世保から通っていただいた。
現在、佐々町将棋同好会にたくさんの方がお集まりくださるのも、年に1度の社会福祉協議会主催の将棋大会が盛り上がるのも松山さんや同じく秀楽にお子さんをお預けだった佐世保市在住の増本さんのお力添えがあってのものだと心底思う。
松山さんこと秀楽先生とは長いお付き合いになった。深浦九段とのお付き合いを始め、プロ棋士との交流やタイトル戦、将棋大会の運営の手伝いなど、将棋界の奥深いところまでその面白さを堪能させていただいた。そして、それは今も継続中である。
最初は山崩しや歩まわりから入って、8枚落ち、6枚落ち、4枚落ちと徐々にステップアップしていくのが楽しく将棋にはまっていきました。
今思うと、叔父が将棋の相手が欲しくてうまく誘導していたんだなと思います。
そしてその手法を引き継ぎ、今息子を将棋の世界へ誘っています。
小学校4年生の時に夏休み期間中入院することがあり、とてもとても退屈だったので、色々な戦法を勉強したり、病室の人と指したりして、棋力が上がり叔父に負けなくなりました。
小学校でも私にかなう相手がいなく、すっかり興味をなくしてしまいました。そのとき奨励会に入っていたら・・・と妄想することがありますが、趣味のひとつとして今でも楽しんでいます!
いつか将棋のお話もしたいですね!
入院中のお話は、故村山聖九段の幼少期を連想させるものでした。
深浦康市九段が少年時代の師匠である故川原潤一さんの門をたたいた小学4年生の時、一学年上の野田君という子と一緒だったそうです。その後、2人はライバルとしてしのぎを削るようにして互いに強くなっていったそうです。
もし、けんじさんにもその当時、良きライバルがいたら違った道を歩まれていたかもしれませんね。